アーナンダマイー・マー(4)
毎晩行なわれるマーのサーダナの光景は、それをいつもそばで見ていたボーラーナートの心を、強い畏敬の念で満たしました。
マーはよく、至福のサマーディの状態に入ったまま、何時間も神の歌を歌い続けました。
またマーは、何時間もハリ(ヴィシュヌ神の別名)の名を唱え続けたりしましたが、これはボーラーナートを不快にさせました。ボーラーナートはヴィシュヌ神の信奉者(ヴァイシュナヴァ)ではなく、シヴァ神やその配偶者であるカーリーやドゥルガーを礼拝する、シャークタ派の信者だったからです。
そこでボーラーナートが、シヴァやカーリーの名を唱えるようにマーに頼むと、マーはまったくこだわりなく、シヴァやカーリーの名を唱えるのでした。これはマーが宗派主義に陥らず、シヴァもヴィシュヌも、すべての神の名は唯一の絶対者をあらわしているのだということを悟っていたがゆえでした。
初めのころ、マーは、夜にのみサーダナを行なっていたので、それを見ることができたのはボーラーナートだけでした。しかしその後、マーは昼間に他の人の前でも、サマーディに入ったり、マントラを唱えたりするようになりました。
子供のように自由に振舞いながらサーダナを行なうマーの姿を見て、村人たちは奇異に思いました。
ラーマクリシュナも、神に狂う修行段階の時期に、人々に狂人扱いされたように、マーの神的意識状態も、普通の人々には理解されませんでした。
そして『彼女は悪霊に取り付かれたのだ』と結論付ける人も出てきました。
以前は無条件で誰にでも愛されたマーでしたが、奇行をなし、悪霊にとりつかれたとみなされるようになって、その人気を失っていきました。そしてボーラーナートも、困った立場に立たされてしまいました。友人や村人たちが、マーのおかしな振る舞いをやめさせるようにボーラーナートにプレッシャーをかけていたのです。そして半ば強制的に、ボーラーナートは、マーを通常の意識に戻すための、悪魔祓いの祈祷師を呼ばされることになってしまいました。
しかしある祈祷師が呼ばれ、彼がマーに手を触れたとき、祈祷師は体中が強烈な痛みに襲われ、地面にのた打ち回って苦しみ始めました。ボーラーナートがマーに懇願してやっと、祈祷師の痛みは取り除かれ、祈祷師はマーの前にひれ伏して、去っていきました。
最終的にボーラーナータは、著名な医師であったドクター・マヘーンドラ・C・ナンディに相談することにしました。そしてドクター・マヘーンドラがマーを観察し、さまざまなチェックをした結果、マーが精神病ではなく、神の至福に酔った聖なる狂気の状態であるという結論を出し、ボーラーナートを安心させたのでした。
この時代のインドは、今と比べて非常に神聖な宗教的な国でしたが、そのような国でさえ、やはり世俗的な人々の観念で成り立っているのがこの世界なのです。だからラーマクリシュナやアーナンダマイー・マーのような、その心のすべてが神に向かっているような人が現われると、世俗を常識とする人々から見ると、それはまさに「狂気」と映ってしまうのでしょう。
ラーマクリシュナとアーナンダマイー・マーの共通点は他にもあります。それは二人とも、通常だったら長くかかる一つ一つの成就のプロセスを、ものすごいスピードで通過していったことです。
ただし、ラーマクリシュナは、宗派にとらわれず、ヒンドゥー教の中のさまざまな修行や、ヒンドゥー教以外の修行までも行なって成就したことで知られていますが、マーに関しては、ヒンドゥー教内のさまざまな派の修行はこだわりなく行ないましたが、ヒンドゥー教外の修行を行なったという記録は特に残っていません。
ある八月の満月の夜、ジューラン・プールニマーという祭儀の行なわれているときのことでした。マーはボーラーナートに夕食を用意した後、夜の修行を始めました。
するとマーの中に、『今、自らグルの役割と弟子の役割を同時に演じなければいけない』というインスピレーションが生じました。
そして秘儀のマントラが、マーの口からひとりでに流れ出しました。つまりマーは、自分で自分にイニシエーションを行なったわけです。マーは、自分の中でグルと弟子とマントラが一つになっているという実感のもとに、そのマントラを唱え続けました。
この経験により、マーは、イニシエーションの本当の意味を理解しました。
「イニシエーションの本質とは、道を求めてさまよう修行者に対して、神自身がグルの役割を演じて現われ、彼の秘密を弟子に明かすこと」なのだと。
しかし普通は、神は他の人間であるグルの姿をとって、弟子にイニシエーションを与えます。マーのような形で、自分で自分にイニシエーションを行なった他の聖者の例は、まったく知られていません。これもまた、アーナンダマイー・マーという聖者だけが持つ、他の聖者と違った特徴的な面の一つでしょう。
自らがグルとなり自らにイニシエーションを与えるというセルフ・イニシエーションの経験をした後の数ヶ月間、マーの修行は、より急速に進んでいきました。
マーは、ヒンドゥー教の教えや神話に出てくるような、さまざまな神々を実際に見、彼らに礼拝しました。
といっても、普通のやり方で礼拝したわけではありません。マーの修行のすべての根底をなすものは、すべての一元化でした。マーの中で、礼拝者と、礼拝と、礼拝の対象の三者は一つに溶け、合一しました。すべての二元対立は消えうせました。
この時期の数ヶ月の間、マーは、自分の肉体のことをほとんど意識していませんでした。ほとんど眠ることなく、また食物も、たまにわずかに口にする程度でした。
当然、マーの境地を理解できない親類たちは、そんなマーのことを心配したり、怒ったりする者もいました。
1922年12月の初めごろ、マーは初めて、ボーラーナートにイニシエーションを与えました。マーは、ヒンドゥー教の聖典などを読んだこともなかったにもかかわらず、聖典に説かれているとおりの方法で、ボーラーナートにイニシエーションを与えたのでした。
そしてこの後、三年間、マーは完全な沈黙の行に入りました。彼女は、心から苦しんでいる人を慰めるためか、あるいはある重要なメッセージを誰かに伝えるためにごく数回言葉を発しただけで、後は完全に無言の日々をすごしたのでした。
この時期、ボーラーナートは職を失ったため、二人は1924年4月に、東ベンガルの主要都市であるダッカに移住することになりました。それまで住んでいた小さな村であるバジートプルよりも、ダッカの方が、永続的な仕事にありつけると思ったからです。そして以前の雇い主でもあった、ナワブという男の下での仕事を確保しました。ナワブの所有する広大な土地の中の、ある庭園の管理人になったのです。そこの小さな家で、マーの「サーダナの遊び」は続けられました。
そして偶然、同時期にダッカに移り住んだバジートプルの数人の知人たちによって、マーの不思議で崇高な状態の話が、たちまち広まりました。そしてマーの最初の敬虔な信者となった、「シャハ・バグ・ガーデンの母」をはじめ、ダッカの郵便局長であったプラーン・ゴーパール・ムケールジとその家族、地主のニシカンタ・ミトラとその家族、ダッカ大学の教授であったナニ・ゴーパール・バネールジ、ヴァキル研究所の講師であったバウル・チャンドラ・バサクなどが、その噂にひきつけられ、マーのもとにやってきて、その信者となりました。
ほとんど文字も読めず、まともな教育も受けていないマーに、彼らのような人たちがひきつけられ信者となったのは、驚くべきことです。
マーは、本当にまともに文字を書くことも読むこともできないように見えました。後年、マーはよく、サインを求められたときに、ペンでちょんと一つの点だけを書きました。そしてこう言うのでした。「それにはすべてが含まれています。」
ラーマクリシュナも、同じくほとんど無学の人であったのに、多くの知識人たちが、彼の信者や弟子となりました。この点について、プラタプ・チャンドラ・マズンダルという識者は、こう言っています。
「彼(ラーマクリシュナ)の宗教は、至福そのものです。信者たちが彼にひきつけられるのは、信者たちの、理屈を超えた超越的な認識力によるものなのです。」
マーの信者となった有識者たちも、同じようにマーの面前において理屈を超えた至福を味わい、彼女にひきつけられているようでした。
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