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「クンダダーナ」

クンダダーナ

 クンダダーナは、過去世において、世尊パドゥムッタラの時代に、ハンサヴァティーの良家の家に生まれた。あるとき彼は世尊パドゥムッタラに、大きなバナナの実の房を供養した。世尊はそれを受け取って食べられた。この功徳によって、彼は11回にわたって天界で神々の王国を統治し、24回にわたって人間界で偉大なる王となった。
 そして世尊カッサパの時代に、ある地神として生まれた。
 さて、お釈迦様の時代には、半月ごとにウポーサタ(出家修行者が集まって戒律を唱え、自分の過ちを懺悔する会)が行われていたが、はるかに寿命が長かった世尊カッサパの時代には、6年に一度のペースでウポーサタが行われていた。
 そのあるウポーサタの日に、地方に住む二人の出家修行者が、「ウポーサタに行こう」と、二人で世尊カッサパのもとへと向かっていた。
 それを見たこの地神は、こう思った。

「この二人の出家修行者の友情は甚だ堅固である。もし仲たがいさせるような状況が生じたら、この二人の友情は壊れるだろうか、壊れないだろうか。」

 そして地神はその二人の後ろをしばらくついていった。
 ある場所に来たとき、その二人のうちのひとりが、用を足すために茂みの中に入った。そして彼がその茂みから出てくるとき、地神は美しい女性の姿に変身して、振りほどいた髪を結びなおすような、そしてはだけた衣を整えるようなしぐさをしつつ、その修行者の後ろからついてきた。
 これを見たもうひとりの出家修行者は、彼が茂みの中でその美女とふしだらなことをしていたのだと思い、こう思った。

「長く続いてきた私の彼への愛情は、今や消えた。」

 そして彼が近づいてくると、こう言った。

「友よ、お前は一人で行け。私はお前のような悪人と一緒には行かないよ。」

 こう言われた出家修行者は、心臓を鋭い剣で貫かれたように感じ、こう言い返した。

「友よ、いったいなぜ君はそんなことを言うのか。私はそのように非難されるような小さな悪でさえもおかした覚えはない。それなのに君は今、私を悪人と言う。一体君は何を見たのだ?」

「君はこれこれこのようなたぐいの女性と一緒に茂みの中から出てきたではないか。」

「友よ、そんなことはない。私はそのような女を見ていません。」

 彼がそのように三度釈明しても、もう一人の出家修行者は彼の話を信じず、自分が見たことだけを事実としてとらえて、彼と別れてひとりで世尊カッサパのもとへと向かった。

 そして彼がウポーサタの戒にやって来ると、その集まりの先頭に、例の出家修行者がいるのを見た。そこで彼はこう思った。

「このウポーサタの先頭に、あのような悪しき出家修行者がいる。私は彼と一緒になどウポーサタをおこなわない。」

 そして彼はウポーサタが行われている場所から出て、外に立った。

 これを見ていた例の地神は、「私は重大なカルマを積んでしまった」と考えて、高齢の在家信者の姿に変身して彼に近づき、こう言った。

「尊者さま、なぜあなたはここにいるのですか?」

「信者よ、このウポーサタの先頭に一人の悪しき出家修行者がいる。私は彼と一緒にウポーサタをおこないたくないから、外にいるよ。」

「尊者さま、そのように考えてはいけません。あの出家修行者は清い戒をそなえた方です。あなた様が見た女は、実は私です。私はあなた様を試してみるために、あのようなことをしたのです。」

「あなたはいったい誰なのですか?」

「私はある地の神です。」

 こう言って地神は自分の正体を現すと、彼の足もとに身を伏せて、こう言った。

「尊者さま、私をお許しください。この私のいたずらを、あの出家修行者は知らないのです。ですからあなたはウポーサタをなさいませ。」

 こうして彼はウポーサタの会に加わった。
 しかしこのようにして誤解が解けた後も、二人の友情はもう戻ることはなく、以前のように一緒に住んで修行をすることもなくなった。

 この法友を誤解して非難した出家修行者がその後どうなったかは知られていない。そして非難された方の出家修行者は、後に修行を進めてアラハットの境地に達した。

 そしてこの地神は、そのように修行者たちの仲を裂いた悪業によって、長い間、苦しみの世界を輪廻し続けた。
 そして世尊釈迦牟尼の時代に、サーヴァッティのあるブラーフマナの家に生まれ、ダーナと名付けられた。そして彼は高齢になってから、世尊の説法を聞いて、信を得て出家した。
 しかし彼が出家したその日から、以前のカルマの力によって、彼の後ろにいつも女性がついて回るのが見られるようになった。彼自身にはその女性が見えないのだが、他の人々には皆、彼がいつもその女性と一緒にいるように見えるのだった。出家修行者なのにいつも女性を連れ歩いているということで、彼は托鉢に出るたびに、在家信者たちから嘲笑されるようになった。また、僧院においても、そんな彼を若い出家修行者や見習いの少年出家者たちが馬鹿にした。そしていつの日かから彼は、クンダ(鈍い)ダーナと呼ばれるようになった。

 そして毎日のように浴びせられるそのような中傷に耐え切れなくなったクンダダーナは、ついに爆発して、
「お前たちこそ鈍い!」
と、乱暴な言葉を彼らに言い返すようになった。

 そこで修行者たちは、世尊にこのことを報告した。
「クンダダーナは、見習いの少年出家者たちと、このような乱暴な言葉を言い合っています。」

 そこで世尊はクンダダーナを呼び、なぜそのような乱暴な言葉を吐くのかと問いただした。するとクンダダーナはこう答えた。

「尊師よ、常に中傷されることに耐え切れずに、私はそのように乱暴な言葉を言い返すのです。」

「お前は過去世に積んだカルマを、今日の日に至るまでまだ滅することができずにいるのだ。もう二度と乱暴な言葉を言ってはならぬ。」

 そして世尊はさらにこうおっしゃった。

「いかなる乱暴な言葉も言ってはならぬ。言われた者たちはお前に言い返すであろう。
 憤激の言葉は(誰にとっても)苦しいし、仕返しのもろもろの杖がそなたを打つであろう。
 もしお前が、壊れた打楽器のように、自分(の怒り)を出さないならば、
 お前は寂滅を得、憤激は存在しない。」

 
 さて、クンダダーナがいつも一人の女性と一緒にいるという話は、コーサラ国の王のもとにも伝わった。そこで王は家来を派遣するとともに、自分も従者と一緒にクンダダーナの住んでいるところに近づき、彼を観察した。そのときクンダダーナは裁縫をしていたが、確かにそのそばにある女性が立っているのが見えた。これを見た王は、「これにはおそらく何かわけがあるのだろう」と考えて、その女性のところへ近づいた。するとその女性は、クンダダーナが裁縫をしている草ぶきの小屋の中に入ったように見えた。しかしその小屋に入ってみると、どこにも女性の姿はなかった。そこで王は、
「これは現実の女性ではない。これはこの修行者のあるカルマの報いである」
と気づいた。
 そして王はクンダダーナを礼拝してそばに座ると、こう言った。

「尊者よ、いつも托鉢で苦労していませんか?」

「そのとおりです、大王よ。」

「尊者よ、私はあなた様の事情がよくわかりました。しかしこのようなこと(過去世のカルマによって幻の女につきまとわれていること)を、誰が信じるでしょうか? 
 よってこれからは、あなたはどこにも托鉢に行く必要はありません。私が常に四種の必需品(衣、食物、住居、薬)を布施して、あなた様にお仕えいたします。あなた様はただ真理の探究に専念なさってください。」
 
 こうして王が常に食物や必需品を援助してくれるようになったので、クンダダーナは托鉢に出る必要がなくなり、人々からの嘲笑に悩まされることもなくなったので、集中して修行に励むことができ、ついにアラハットの境地に到達した。そしてクンダダーナがアラハットの境地に達して以来、その幻の女は消え失せた。

 
 さて、お釈迦様に偉大な信仰を持つマハースバッダーという女性がいた。しかし彼女は異教徒の家に嫁がされたために、自由にお釈迦様やその弟子たちに布施や奉仕をすることができないでいた。そこである日マハースバッダーは、
「世尊よ、私をお哀れみください。この花は世尊のもとへと飛んでいき、世尊の頭上で日傘となってとどまれ。世尊はこのしるしによって、明日、500人の出家修行者と共に、私の食事の供養をお受けください。」
と言って、ジャスミンの花を空中に投げた。するとその花は空を飛んでいき、お釈迦様の頭上に日傘となってとどまった。世尊はそれを見て、マハースバッダーの思いを知り、翌朝早くに、侍者のアーナンダにこう言った。

「アーナンダよ、我々は今日は遠くに托鉢に行こう。弟子の中で聖者の位に達した者たちには、(施食をもれなく受け取るための)食券を与えなさい。」

 そこでアーナンダが聖者の境地に達した者たちに食券を配ろうとすると、クンダダーナがやって来て、
「友よ、食券をください」
と、真っ先に手を出した。

 しかしクンダダーナがアラハットの境地に達したことを知らないアーナンダは、不審に思い、世尊に報告した。すると世尊は、彼に食券を与えるようにとアーナンダに答えた。そこでアーナンダはクンダダーナに食券を渡した。
 それを見ていた、まだ聖者の境地に達していない修行者たちは、「聖者の境地に達した者しか食券をもらえないというのに、あのクンダダーナが一番最初に食券をもらっているのは、いったいどういうことか」と不審がった。

 そこでクンダダーナは、彼らの疑念を打ち破るために、空中に上って自分の神通を示すと、次のような詩を唱えた。

『五つ(有身見、疑念、戒禁取、愛欲、嫌悪)を断て。五つ(色界の愛著、無色界の愛著、掉挙、慢心、無明)を捨てよ。さらに五つ(信、精進、念、サマーディ、智慧)を修めよ。五つの執着(愛著、嫌悪、迷妄、慢心、誤った見解へのとらわれ)を超えた修行僧は、「激流を渡った者」と呼ばれる。』

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