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校長ことマヘンドラナート・グプタの略歴(10)

 マヘンドラナートは、家庭生活の中にありながらも出家僧であった。彼の生活は、放棄の輝ける実例だった。Mによって記録された『コタムリト(不滅の言葉)』は、単なる驚嘆すべき文学ではないのである。これは、聖なる生活における”不滅の言葉”なのである。マヘンドラナートに親しく近づきになった多くの若者は、サンニャーシー(出家僧)になり、それぞれの宗教生活に新しい光を見出した。一度彼に会った者は誰でも、ヨーガ行者のような彼の姿を、彼の謙虚さと飾り気のなさを決して忘れることはできない。
 スワミ・ヴィヴェーカーナンダはかつて、「私は、僧院の約85パーセントくらいの出家修行者は『コタムリト』を読むか、またはMとの出会いによって霊的生活に入ったのだと思う」と言っていた。これからも、スワミジが設立した僧院では、Mによって語られたコタムリトを読んで、多くの修行者が神に思いを集中することに専念し修行をおこなっていくことであろう。
 
 「コタムリト」のいくつかの章がマヘンドラの承認や何の相談もなしに英訳され、「ラーマクリシュナの福音Ⅱ」として掲載され、また、Morn,Starから出版までされたために、どれほどマヘンドラが傷ついたか、次の手紙を見れば明白である――

「親愛なるアユクタ・ババジ。私の愛と、敬礼を皆様へ。Morn,Starに掲載された福音の英訳に対して、こう言わなければならないことは非常に残念なことですが、満足のゆくものではありません。実際にタクルに会った者として当然ながら、私は翻訳の中に深い精神性が感じられることを求めます。さらに言えば、タクルとの集いの報告は、細切れで出されるべきではありません。翻訳は私がやるべきです。私が死んだ後は、そのときはあなたがやりたいようになさったらいいでしょう。それは決して遠い先の話ではないかもしれません。私は76歳で、体調も思わしくありません。福音があのようなかたちで公表されるのを目にすることは、大変な苦痛です。私は、あなた方が第二巻として出そうとしている本の翻訳を承認することはできません。」

 マヘーンドラナートは、決して弟子を作らなかったし、マントラや宗教的な手ほどきを誰にも与えなかった。タクル(師ラーマクリシュナ)の言葉について、その一語一語を正確に守るために努力した。
 彼は宗教に対して頑迷さはなく、むしろすべてのことについて、ただ一つ、シュリー・ラーマクリシュナの調和のとれた姿を見ていた。彼は生涯を通じて、タクルの甘美な不滅の言葉を人々に分配することを、人生の誓いとして守った。

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