解説・ナーローの6ヨーガ(3)「共通の準備修行」
◎共通の準備修行
はい。じゃあ次いきましょう。
【本文】
一:準備修行
一-一 共通の準備修行
その一:パーラミターヤーナとマントラヤーナの共通の道を学習すること
まず、このナーローの六ヨーガの道において、パーラミターヤーナとマントラヤーナの両方に共通する諸々の基礎的な教えを学習するプロセスが必要である。
そのように基礎的な教えを押さえたうえでこの修行を修習するならば、ナーローの六ヨーガ自体を成就するのみならず、顕教と密教の両方の道の要点に完全に導かれる。これがこの流儀の大きな特長であることを理解しなければならない。
はい。ちょっとまた言葉の説明ですが、パーラミターヤーナとマントラヤーナね。
このヤーナっていうのは、これは乗り物っていう意味です。
大乗仏教の人たちは、単に僧院にこもって教えの研究をしたり戒律を守って日々静かに過ごしているだけの人たちをちょっと軽蔑しているような形で、ヒーナヤーナって呼んだんだね。ヒーナっていうのは劣ったっていう意味です。つまり劣った乗り物。
劣った乗り物ってどういう意味かっていうと、彼らのやり方では、つまり僧院にこもってひたすら戒律を守り瞑想しているだけ、そんなやり方では、確かにニルヴァーナ、涅槃の世界に至れるかもしれないが、自分ひとりしか至れないと。つまりそれはまるで小さな舟を作って、よいしょよいしょと漕いで、ニルヴァーナに渡るようなものだと。自分は行けるけど、多くの人を乗せることができない。よって、そのような道っていうのはヒーナヤーナ――つまり劣った道だっていったんだね。
それに対して自分たちがやる大乗の道こそはマハーヤーナ――マハーっていうのは大、偉大なるとか大きいっていう意味だね。つまり大きな乗り物。マハーヤーナだっていったんですね。
ヒーナヤーナとマハーヤーナ。だから、どちらかっていうとこのヒーナヤーナっていうのは、そのような体系っていうよりは、修行者の心構えにも関わってくるといってもいいかもしれない。つまり、自分のためだけに修行する人。これはまさにヒーナヤーナなんだね。じゃなくて、わたしの修行は衆生のためにあるんだと。衆生を救うために修行するんだ。この道をマハーヤーナというんですね。
で、このマハーヤーナに二つあると。それがパーラミターヤーナとマントラヤーナだと。
このパーラミターヤーナっていうのは、このパーラミターっていうのは六波羅蜜のパーラミターだね。『入菩提行論』とかにも出てくる、布
施、戒、忍辱、精進、禅定、智慧だね。これはもちろん大乗仏教の基礎となる。で、もちろんこの密教も六波羅蜜をやるんだけど、この六波羅蜜を中心として、あまり危険のない、地道な大乗の道を歩く道をこのパーラミターヤーナっていうんですね。
そうじゃなくて、もちろんこのパーラミターを土台としながら、さまざまな秘密の修行、あるいはこのマントラってありますが、マントラを唱えたり、あるいはいろんな秘儀的な瞑想法を行なったり、あるいはさっき言った、師匠に導いてもらって非常にその人に合った最短の道を行くような道、これをマントラヤーナっていうんですね。つまり密教のことです。
だから一般的な大乗、これはパーラミターヤーナ。で、密教の道をマントラヤーナといいます。タントラヤーナっていう言葉がありますが、このタントラヤーナっていうのは、これは欧米の造語なんですね。もともとはタントラヤーナっていう言葉はないんです。タントラっていう言葉はあるよ。密教の経典をタントラっていうんだね。あるいはタントラ的な修行をタントリズムとかいったりするけど、タントラヤーナっていう言葉はもともとはない。ヨーロッパとかで作られた言葉ですね。もともとだからインドとかでは密教のことはマントラヤーナっていうんだね。
はい、だから簡単にいうと、一般的な大乗と、それから密教のことですね。
はい、で、その共通の道とありますが、つまり基礎はどっちも同じなんです。パーラミターヤーナもマントラヤーナもね。つまりわれわれが普段学んでるようないろいろな仏教の教えね。六波羅蜜もそうだし、いろんな戒律もそうだし、四諦の教えとか七科三十七道品とか、いろんな基礎の教えがある。それはもうどっちも同じなんだね。それプラスアルファが、マントラヤーナ、密教に出てくるだけであって、基礎的な教えっていうのは全く変わらない。それをまずしっかりと学ぶこと。これが第一ですよっていうことですね。
逆に言うと、そのような基礎的な、しっかり教えを学ばずに密教の道に入ろうとしても、それは非常に危険がある。だからまずはしっかりと基礎的な仏教のね、修行の学習をしなきゃいけないっていうことだね。
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