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慈悲

 始まりなき輪廻の中で、わたしたちは数え切れないほど多くの生を受けてきました。そのたびに父母がいました。言い換えれば、無数の転生を繰り返してきた以上、あらゆる衆生は、かつて必ずわたしたちの父または母であったはずなのです。

 そのような父母であった衆生たちが、道に迷った盲人のように、長い間、無力なまま輪廻をさまよい続けていることを思うとき、わたしたちは深い慈悲を抱かずにはいられません。

 しかし、慈悲の心だけでは十分ではありません。衆生には実際の助けが必要です。

 とはいえ、心がまだ執着に縛られているかぎり、食べ物や衣服、お金や愛情を与えたとしても、それによって得られる幸福は、せいぜい限られた一時的なものにすぎません。

 わたしたちが本当にしなければならないことは、彼らを苦しみそのものから完全に解放する道を見いだすことです。

 それは、ダルマを実践することによってのみ可能なのです。

 真の慈悲とは、
 友と敵を区別することなく、
 すべての衆生に平等に向けられるものです。

 この慈悲を常に心に保ちながら、
 たとえ一輪の花を供えようとも、
 あるいはマントラを一度唱えようとも、
 その功徳が例外なくすべての衆生の利益となりますように、という願いをもって行うべきです。

 昔の偉大な師たちは、
 空性と慈悲が不可分であることこそ、最も尊い教えであると考えました。

 彼らは繰り返し、
 慈、悲、喜、捨という四無量心を修習しました。

 そこからこそ、他者を助ける力が自然に湧き起こるのです。

 教えを一切妥協することなく実践したこれらの師たちは、

 まずブッダのダルマを丹念に学び、
 続いて瞑想による直接体験を積み重ねました。

 それこそが、究極のブッダの境地という大いなる至福へ至る正しい道なのです。

 「自分を害しようとする者に対してさえ、その幸福を願うことこそ、完全なる幸福の源である」と言われています。

 この境地に至れば、すべての衆生への慈悲は、何の作為もなく自然に湧き起こります。

 菩提心について、
 人生の営みがいかに空しく、
 いかに満足をもたらさないものであるかが明らかになるまで、
 全身全霊をもって瞑想することが非常に重要です。

 そうすれば、この末法の時代に生きる衆生の苦しみに心を打たれ、
 深い悲しみを覚え、
 輪廻から解放されたいという強い決意が生まれます。

 これらの心が本当に根づけば、
 大乗のあらゆる功徳と成就は、
 必ずそこから育ってきます。

 しかし、輪廻を離れたいという真実の決意が
 心にしっかり根づいていなければ、

 あなたのダルマの修行は、
 決して十分に成熟することはありません。

 すべての衆生は、幸福を望み、苦しみを望まないという点では皆同じです。

 違うのは数だけです。

 わたしという存在は一人しかいません。

 しかし、他の衆生は無数にいます。

 そうであるならば、わたし一人の幸福や苦しみは、
 無限の衆生の幸福や苦しみに比べれば、
 まったく取るに足りないものです。

 本当に重要なのは、
 他の衆生が幸福であるか、苦しんでいるか、ということです。

 これこそが、菩提心の基礎なのです。

 わたしたちは、自分よりも他者の幸福を願うべきです。

 そしてとりわけ、敵だと思う相手や、自分をひどく扱う人々の幸福を願うべきです。

 そうでなければ、慈悲に何の意味があるでしょうか。

 ――ディルゴ・キェンツェー・リンポチェ

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