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解説「自己の明け渡しのヨーガ」(3)

 「神に代理人の権限を与えなさい。『彼』が望むままに、『彼』に行なっていただきなさい。心配や不安はなくなり、あなたは穏やかになるだろう。」

 はい。代理人の権限――これはまさにラーマクリシュナの言葉だね。まあ、皆さんはもうおなじみでしょうけど。ラーマクリシュナが、ギリシュ――もちろんギリシュだけじゃないんだけど、いろんな人に言って、特にギリシュにそれを言い、ギリシュがそれを一生の課題とした、一つの考え方ね。代理人の権限。
 はい。つまり、繰り返すけど、代理人ね。つまり自分の人生を代わりに進めてくれる、動かしてくれる、代理人として神を任命しなさいと。つまりこれは裏を返せば、何が起きても神のご意思だから、なんの文句も言わない。なんでかっていうと、もう権限を渡しちゃったから。もう皆さんは「代理人としての権限を神に明け渡します」って書類を書いてサインをしてしまった。この感覚ね。だから何が起きてもそれは神のご意思であって、なんの文句もなければ――逆にさ、ほんとに神に信があったら、これは嬉しいことでしょ? うん。自分で自分の人生生きようとしたらエゴがいっぱい入っちゃうから。神が全部やってくれるっていうんだったらそれは、ね、完璧であるから。そういう信を持ちなさいと。
 つまり自分が真剣にこの神の道を行く限り、起きることはすべて神のご意思によって起きると。それはわたしがもう代理人の権限を明け渡してしまったんだっていう感覚ですね。もしそのような感覚をほんとに持つならば、心配や不安はなくなり、あなたは穏やかになるだろうと。
 まあ、そりゃそうだよね。繰り返すけど、ちょっと誤解を恐れずに言うとさ、「おれがやってる」っていう感覚があるからわれわれは、不安や期待や心配を持つわけですね。全部神がやってるっていうことを完璧に思ってたら、なんの不安も心配もない。だってすごく、誤解を恐れずに言ったらさ、仮にですよ、なんか間違ったとしてもそれ神のせいだから(笑)。でもこれは冗談みたいな話で。でも実際には神は間違わないから。うん。だから全くなんの心配もないんだね。
 われわれの無智によって、デメリットに見えることは起きるかもしれない。でもそれも信があれば、すべてはなんのデメリットもない。一時的には観念的に悪く見えたとしても、すべては完璧な幸せ、完璧な解放、自由へとつながる神の采配なんだっていうことを完全に信じてたら、ちょうどだからそれは、もうお母さんとかお父さんを信じきってる子供みたいなもんですね。お父さんお母さんがいなくていろいろ迷ってるときは不安でしょうがないけど、お父さんお母さんが見つけてくれてね、例えばその背中におんぶされてるときっていうのは、もう完全な安楽、完全な平安の中にいるわけだよね。つまりお母さんがわたしをどっか変なところに連れてくんじゃないか、なんて心配は全くない。もうお母さんに任せてれば、わたしはなんの心配もないっていう、完全なる、なんていうか――だからこれ、これは人間界の例えだからさ、お父さんお母さんはさ、いろいろあたふたするかもしれないよ。「どうしよう、どうしよう、この子ちゃんと家に連れて帰れるだろうか」と。でももう子供は(笑)、能天気に、「ああ、もう大丈夫だー!」と(笑)。「お父さんお母さんいるから大丈夫だー」と。うん。お父さんお母さんも道に迷っちゃって、ちょっと大変かもしれないけど、子供はもう能天気に全部任せてると。うん。
 でもこれは人間の例えだから今そういうこと言ったけど、神の場合はもちろん道に迷ったりしないからね。だからその完全なる子供のような、全幅の信頼を持って預ければ――つまり明け渡しってさ、すごく厳しい話ではあるんだけど、でも逆にほんとに明け渡したら、そこには安楽があると。
 これはまあ、誤解を恐れずに言うとね――誤解を恐れずに言うとってさっきから何回も言ってるけど、つまり誤解しやすい話なんだね、これってね。トゥリヤーナンダの言葉とかでも、まあ似たようなのがあったと思うけど。つまり、さっき言ったようなことと同じですけどね、われわれが、自由意思っていうかな、つまり自分に責任がある限りは苦しまなきゃいけない。で、責任は全部神にあるわけだから。この感覚が分かれば、なんの不安も、なんの心の動揺もなくなるんだっていう感覚ですね。

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