yoga school kailas

解説「菩薩の生き方」第三十回(4)

 はい、そして、今度は逆に、自分が褒められたときですね。自分が褒められたときは、「それをただ徳に対する認識(敬意)として観想せよ」と。
 はい、これも分かりますね。ここに書いてあるように、自分が他者を褒めることが素晴らしいことであると同様に、ほかの人だってもちろんほかの人を褒めることは素晴らしいことですよね。その対象にもちろん自分がなることもある。これはもちろん素晴らしいことなんだよね。で、自分が対象になったときは、このような、つまり慢心に陥らないように――まずそれは別に、ストップさせる必要はない。「いや、わたしのこと褒めないでください」――それは必要がない。だって相手にとっては素晴らしい実践なわけだから。素直に本当に心から人を称賛できることは素晴らしいことであると。これは素晴らしい。でも自分が褒められてるっていう感覚を持っちゃいけない。というよりも、究極的に言っちゃうと、そこでいう褒められる対象としての自分っていうのはどこにもない。自分はどこにあるんだと。自分の何を褒められているんだと。
 これはちょっと話が広がるけど、そういう、まあ褒められたいとか、あるいはけなされたくないとか、そういう自我意識が非常に強い、もしくはプライドが強いとかね、そういう場合は、そういう人はよく考えてみたらいい。そこで言っている、その褒められたいというときの褒められる対象、あるいはけなされたくないというときのけなされる対象ってどこにいるんだって話なんだね。「何が?」「何?」って(笑)。
 これは仏教とかヨーガでよくそれは追求するわけだけど、「褒められたい。」「何を? この肉体?」――肉体はただの物質にすぎないよね。何を褒められたいと思っているんだと。誰を褒められたいんだと(笑)。「いや、それはおれだ」と。「おれって誰だ?」と。うん。どこに、どの部分なんだって感じだね。他者から見たらそれは、例えばY君だったらY君っていうイメージですよね、一つはね。それはその他者から見たら、さまざまなかたちでのY君を構成するイメージをひっくるめてなんとなくY君って呼んでるわけだけど、自分がその立場に立ったときに、そのようなあいまいな分析で終わっていたら、なんとなく「あ、おれが褒められてる」ってなるけども、もうちょっと深く分析してみると、褒められてる対象はどこにもないと。「あれ? じゃあ、なんでおれは、何を褒められたいと思っているのか?」と。そうだね、「何を」って言ったらいいかもしれない。何を、もしくは誰を褒められたいと思っているのかと。そのターゲットみたいなものはどこにもないと。あるいはけなされたくないと思っている。でもけなされるっていったいなんだと。誰がけなされているのか。うん。
 あのさ、よくこういう話、何回かいろんな場面とかで話したり、あるいはエッセイ集とかに書いたりしたけど、例えばよくこういうこと言ったりするよね。例えば若者が事故とかで亡くなったときとかに――そうだね、事故でもいいけど、殺されたとかね。そういうときに、「彼は希望のある未来を奪われた」とか言うよね。ちょっと待ってくださいと。奪われたの誰ですか?って話なんだね。変な話でしょ、これ。肉体イコール人間って考えるんだったら、そういう発想にはならないよね。「人間が死んだ」で終わりでしょ。奪われた誰かがいるみたい(笑)。それ誰なんだ?って話だね。もちろんこれを肯定的にとらえるとそれは真我っていう言い方もできるんだけど、でもみんな真我とか考えてないよね。真我とか考えてなくて、あいまいな、仮の、いるかどうか分からないような人のことを言っているだけなんです。
 何回か言っているけど、わたし、そうだな、小学校とか中学校とか結構小さいころから本は好きだったんだけど、小説ってあんまり読まなかったんです、ほんとは。あんまり読まなかったっていうか、例えば中学校とかのときにみんな結構いろいろ小説とか読みだすと。でもわたしは漫画はいっぱい読んだけど小説はあまり読まなかったんだけど、ただ、いつも言ってる「宮本武蔵」とかね、あと宮沢賢治とか、芥川龍之介とか読んでた。なんでその辺の人を読んだかっていうと、短いから(笑)。そんな長編じゃないから(笑)。そういうのを結構読んでた覚えはあるんだけど。で、その辺の、「宮本武蔵」だったかほかの作品だったか忘れたけど、ちょっと面白いなって思ったのがさ、そういう小説とか物語の作りとしてあると思うんだけど――ある人物がとても話題になるわけだね。で、その人物を中心にいろんなことが起きるというよりも、例えばいろんな噂が来ると。うん。まあ、ちょっとこれ正確じゃないから違う話かもしれないけど、「宮本武蔵」だったとしたらね、例えば宮本武蔵が、剣術の道場の吉岡道場を壊滅させたと。そういう話があって、で、それがもう日本中に広まると。で、日本中の剣豪たちがそれを聞いて、いろいろ物語が展開するんだね。「そんなやつがいるのか」みたいな感じで、ある剣豪が言いましたと。で、その剣豪の周りでいろんなことが展開される。で、別の国ではそれを聞いて、また別のドラマが始まったりする。で、それがなんか結構、本一冊分くらい続くんだね。武蔵全然出てこない(笑)。つまり、なんかそれ読んでると、「え? 本当に武蔵っているの?」みたいな(笑)。それ、ただの噂なんじゃない?みたいな。なんかちょっとそういう錯覚に陥るようなことがあって。
 つまり何を言いたいかっていうと、そんなもんなんです。「わたしは」って言っているけど、ずーっと「わたしは、わたしは」って言っているけど、ちょっと待ってくださいと。冷静に考えてみてくださいと。「本当にいるんですか?」と。「あなたが『わたし』って言っているその『わたし』はどこにいるんですか?」と。はい、そういうのを追究していくのがジュニャーナヨーガ的な発想ですけどね。
 ちょっと話を戻すけども、だから普通は実体のない「わたし」が褒められたいっていう思いが非常に強くて、あるいはけなされたくないって思いが非常に強くて、で、その状態で褒められると、慢心に陥ると。あるいは、何か実体のない「わたし」が褒められているっていう錯覚に陥ると。もちろんさ、なんていうかな、ある程度そういうような錯覚があったとしても、それがいい方向に向くならばそれはそれでいいんだけどさ。そこで自信がなかった人が自信が出ていい方向に向くとか、それはそれでオッケーですよ。それはそれでオッケーっていう前提のもとになるけど――われわれが考えなきゃいけないのは、そこで褒められているのは、わたし個人ではないと。そりゃそうだよね。さっきから言っているように、わたし個人なんてどこにもいないんだから。彼らが褒めているのは、その徳そのものだと。例えばある人が、身をボロボロにして奉仕をしたと。本当に自分の時間を削って、肉体も疲弊しながら、素晴らしい奉仕をしましたと。「いや、素晴らしいですね!」と。もちろん褒めている人の気持ちとしては相手を褒めているって感覚なんだけど、でもこっちとしては謙虚に、いや、彼らが褒めているのは、当然この実体のないこのエゴのわたしではなくて、このような素晴らしい奉仕を褒めていると。それは素晴らしいことだと。自分の時間をすべてそのような神への奉仕に捧げることができたらそれは本当に素晴らしいと。それをやっている者を褒め称えるっていうのは、本当にそのような徳がこの世界に現象化していると、それを褒めているのであって、わたし個人が褒められているんじゃないんだと。
 で、逆に言うと、この気持ちを素直な気持ちで持てたら、なんていうかな、ある意味ですごく素直な人になります。素直な人っていうのは、変な頑固さがどんどんなくなってね。何を言いたいかっていうと、褒められてね、全然、ちょっとひねくれた感じにはならない。「あなた素晴らしいね!」って言われて、「ねえ! 素晴らしいね!」って、こういう感じ(笑)。つまりエゴって感覚がなければね、自分がやったことが、それは神の道から見て素晴らしいんだと、真理の道から見て素晴らしいんだと、そういうふうにみんなが褒めてくれて、「ねえ、おれも思うよ!」と。ね。「素晴らしいね!」と。「おれが!」って感覚がなければそういう感じになる。で、もちろんそういう人は、他者へもそういう気持ちになるから。他人がなんかいいことやっていたら、「本当に素晴らしいね」と。誰か褒めてくれたら、まあ自分じゃなくてその現象そのものが褒められているんだっていう感覚で、「ねえ、本当に素晴らしいと思うよ!」と。こうなれたら素晴らしいね。
 はい、これもだから一つの指針ですよね。実際にはさっきから言っているように微細な、つまり細かいケースにおいては、それぞれ考えなきゃいけない。この場面においてはどういう態度、どういう心持ちをすることが正解なのかと。だから微細な意味では変わってくるけども、原則的なことがここには述べられてるわけですね。
 はい、そして、最後に書いてあるのは、さっきもちょっと言いましたけども、同時に、そのように誰かが自分を褒めたとしたら、そもそも人を自然に褒めること自体が素晴らしいことだから、それについてもとても喜び、称賛したらいいね。「ああ、あの人もこの人もわたしを褒めてくれてる」と。「あんなに素直に人を褒められることは素晴らしいことだ」と言って――口に出さなくてもいいけどね。口に出したらエンドレスになっちゃうからね(笑)。「いや、あなたこそ素晴らしい!」みたいな感じで終わんなくなっちゃうから、口に出さなくてもいいけども、そのような称賛ができる相手の心をまた心の中で素晴らしいなと思うということですね。

 はい、じゃあまたこの部分を少しだけ瞑想しましょう。

(瞑想)

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする