yoga school kailas

解説「ミラレーパの十万歌」第三回(5)

◎激しい吹雪

 弟子たちは、ニャノンに戻ってほしいと懇願しましたが、ミラレーパは拒みました。
「私は、ここにいることに本当に満足しています。また、サマーディもよくなっています。ここにとどまりたいので、私を置いて行ってください。」

 しかし弟子たちは言いました。
「もし今、あなたが一緒にいらっしゃらなければ、ニャノンの人々は、ジェツンを残して見殺しにしたのかと言って、私たちを責めるでしょう。」
 ウルモは声をあげて言いました。
「もし来て下さらないなら、私たちはあなたを運んでいくか、または死ぬまでここに座っています。」

 ミラレーパは、彼らの強い訴えに逆らいきれず、結局、一緒に行くことに同意しました。

 弟子たちは言いました。
「ダーキニーたちにはあなたは必要でないかもしれませんが、あなたの系統の弟子たちは、あなたを必要としています。さあ、雪靴がなくても雪に負けないことを、ダーキニーたちに示してやりましょう。」

 翌朝、彼らは皆、洞窟を出発し、ニャノンへと向かいました。
 シンドルモが先に行き、「ジェツンは生きていて、今戻ってくるところだ」という善き知らせを村人たちに告げました。

 村に近づいた時、ミラレーパと弟子たちは、台のような形をした大きな岩のところに来ました。そのうえでは、農夫たちが小麦粉を脱穀していました。このときまでに「ジェツンが戻ってくる」という知らせはすでに広まっていて、老若男女のすべての人々が集まっていました。彼らはジェツンを見ると、歓声をあげて抱擁し、様子をたずねて、恭しく挨拶をし、そして礼拝しました。

 ミラレーパは雪靴をはき、顎を支えの杖に乗せたまま、このように歌って答えました。

 あなた方、後援者と、わたし、年老いたミラレーパは
 この祝福された、吉祥なる空の下で、
 この生が終わる前に、今一度会えた。
 元気かどうかという質問に答えて、私は歌おう。
 よく注意して、この私の歌を聴きなさい!

 寅の年の終わり、兎の年が始まる前の、ワジャルの六日目に、
 現世放棄の思いが、私のうちに育ち、
 隠遁生活に執着する、この世捨て人のミラレーパは、
 人里離れたラシの雪山にやってきた。
 その時、空と大地が同意したかのようだった。
 肌を切り裂く風が送られ、
 川は奔流となって激しく氾濫し、
 全方向から黒い雲が吹き寄せられ、
 太陽と月は暗闇の中に閉ざされ
 二十八の星座は止められた。
 銀河は釘づけにされ、
 八つの惑星は、鉄の鎖で縛られた。
 天空はもやに包まれ、
 霧の中で、雪は九日九夜降り続き、
 さらに 十八日間、ますます激しく降った。
 それは、羊毛を入れる袋のように大粒で、
 空飛ぶ鳥のように、
 あるいは飛び回る蜂の大群のように降った。
 しかし雪片はまた、とても小さく、
 そして綿の房のように降った。

 雪は、はかりしれないほど降った。
 雪はすべての山を覆い、藪全体に降り積もり、木々に重くのしかかり、
 天にも触れるようだった。
 黒い山は白くなり、すべての湖も、岩の下の清水も凍った。
 世界は平らな白い広がりとなり、
 丘も谷もなくなった。
 悪人も何もできないほどだった。
 野の獣は餓死し、
 農地の家畜も山の人々に見捨てられ、
 哀れにも、餓えて弱りはてた。
 吹雪の森でも、飢えが鳥たちを襲った。
 クマネズミや小ネズミは、地中に隠れた。

 はい。この辺は、すごい吹雪が来たっていうことを、ミラレーパが詩的に表現してるわけですね。これはちょっと、なんていうかな、日本語に訳してあるんで、雰囲気がもしかすると伝わりにくいのかもしれないね。つまりチベット語で言うとね、もうちょっと雰囲気のある詩みたいな感じになるのかもしれません。これだけ多くの雪が降りましたよと。
 もちろんチベットってもともと高地で、しかも緯度も高いので、たくさんの雪が降る雪国なわけだね。で、しかもその雪山にね、篭ろうとしてたわけだから、すごい大雪が降ると。そのいろんな表現ですね。
 「世界は平らな白い広がりとなり」っていうのは、これはよく分かるね。わたしも東北の方なので、雪国の人はよく分かると思う。つまり雪って、大量に降るとさ、凹凸があるところでも平らになるんだね。全体的になんとなく平らっぽくなるんだね。そういう表現だね、ここはね。
 「悪人も何もできないほどだった」って、笑えるよね(笑)。これはなんかチベットの独特の表現らしいですね、これはね。つまり、「よし、強盗してやるぜ!」と思っても、大雪過ぎてちょっと何もできない(笑)。それはもちろん悪人だけじゃないんだろうけど(笑)、なんかこういう定型的な表現があるみたいです。雪が降り過ぎて悪人も何もできない、っていうようなね(笑)。

◎トゥモ

 このような大災難の中で、わたしは完全に隠遁にとどまった。
 年の暮れの大吹雪は、
 雪山の高くで綿のぼろをまとったわたしを襲った。
 わたしは、降りかかる雪に対して
 それが霧雨に変わるまで戦った。
 怒り狂う暴風を克服し、それをしずめた。
 まとった綿の布は、燃える松明のようだった。

 それは、生死をかけた戦いであった。
 巨人たちが格闘し、サーベルを鳴らし合うように。
 私、卓越したヨーギーは勝った。
 そして、すべての仏教徒の模範、
 すべての偉大なヨーギーたちへの見本を示した。

 はい。これはつまり、ものすごい――つまり弟子たちがミラレーパは死んじゃっただろうと思うほどの大吹雪ね――の中で、ミラレーパは吹雪と戦ってたわけだね。
 で、「綿のぼろをまとったわたしを襲った。」あるいは「まとった綿の布は、燃える松明のようだった」――これはつまり、ミラレーパっていうのは、いわゆるトゥモ――トゥモっていうのは、ここでやってるようなクンダリニーヨーガと同じと言ってもいいんだけど、体で生命力を燃やし、それによって覚醒を得ていくような修行ですが、そのトゥモの修行者っていうのは、綿ね、または麻っていう表現の場合もあります。麻とか綿とかの服を一枚だけ着る。一枚だけ着て修行するんだね。で、それによって内側で炎を燃やす。
 で、これ、何回か言ってるけど、その激しい――まあ、今もそういうことをやってる人いるか分かんないけど、激しいトゥモの修行者のやり方として、こういう雪山とかに行って、自分の着てる綿とかの服を水につける。で、パッと出すと、凍っちゃうんだね。そんだけ寒いんですね。で、その凍った服を着るんです(笑)。で、体の熱を燃やして、乾かすっていうね。――ちょっとなんか、空手とかそういう世界みたいな(笑)、武術、武道的な感じがするけど。ウワーってやって、「よし、乾いた」と。乾いたらまた水につける(笑)。それを繰り返して、その炎を鍛えるっていうのがあって。
 だからね、何度も言うけど、そういう意味でいうと、ホットヨガなんてもう最悪なんです(笑)。ホットヨガやると逆に生命エネルギーのバランスが狂います。
 だからと言って皆さん、わざわざ寒いところに行く必要もないよ。行く必要はないけども、そういう行者もいるっていうことだね。
 だから皆さん、ここでもさ、ヨーガやってて体が熱くなる経験ってよくあるよね。例えばアーサナとか気功とか、呼吸法とかムドラーとかね。で、そこからその炎をより燃やしていくんですね。そうすると、ミラレーパみたいに、すごい寒さの中でも大丈夫になると。つまりここの表現は、ミラレーパはそのものすごい寒さの中でトゥモの修行を行ない、それに勝ったっていうことだね。全くそれが大丈夫なほどまでになったと。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする