Mとサティシュ・チャンドラナート(9)
◎1927年12月27日 モルトン・インスティテューション
夕暮れだった。Mは信者に囲まれて座っておられた。
さまざまな河の水がガンガーに入り込むや、そのアイデンティティを失ってしまうように、人々のさまざまな気質や見解も、Mと交わるや、エゴ的な個性を失ってしまうのであった。
Mはこう言った。
「クリスマスの日に、私はダルマターラ(中央カルカッタ)のロマン・カトリック教会に、祈りに、そして彼らの祈り方を見に行ったのだよ。
その次の日もまた彼らの祈りに参加し、牧師さんたちとキリストについて話す機会を得ることができた。
彼らの聖なるバイブルに対する見解は、われわれのものとは違う。ねえ、われわれはキリストを見たのだよ。
あなたが『どうやってですか? 彼は1900年前に生きておられたのです』と言ったとする。さて、師はこうおっしゃっておられたよ。
『私はラーマであり、クリシュナであり、キリストであり、チャイタニヤであるのだ。』
それだからね、私はキリストを見たのだよ。
それと同じ日に、私はドッキネッショルに行き、母なる神のプラサードをいただいた。
祭司が親切に西の扉を開けてくださったので、私は母なる神の寺院に入ることができた。
私は南、南西、西の三か所から母なる神を見た。それぞれのアングルからは違ったふうに見えるのだよ。
ねえ、われわれは師にまみえたのだよ。
彼にまみえた人々は、彼についてある言い方で話す。彼について聞いただけの人々は、彼についてまた違ったふうに話す。そして彼について読んだだけの人はまたさらに違ったふうに話す。
海を見た人はそれを詳しく述べるだろう。ところが海についてただ聞いただけの人は、眼で見たようには印象的に話すことはできない。
ある者はミルクを見、ある者はミルクについて聞き、ある者はミルクを飲んだ。
われわれは最後のグループに属している。つまり、ミルクを飲みながら、それを見、聞き、味わったのだ。
師はあらゆる宗教の見解を受け入れておられた。実際には、受け入れていただけではなく、それらの宗教の修行を実践されたのだ。
彼はイスラム教の修行をして、神がすべての道をお創りになったことを悟った。
イスラムの修行をしている間は、師はイスラム教徒のように着飾った。そしてカーリー寺院に行かずに、イスラム教の食事を取ることを望まれた。
だからモトゥルはヒンディー教のコックにイスラム教の食事を作らせたのだった。
ある者はこう言った。『シュリー・ラーマクリシュナはどんな奇跡を起こしたのですか?』
師の奇跡がなかったなんてことがあったかね?
ギリシュ・ゴーシュが師の奇跡の中の一つだ。――彼が以前はどのようであって、どのように変わったことか。彼の人生の流れがある方向に動いていたのを、師が逆転させたのだ。
他の奇跡はガウリー・マーだ。師は彼女にサーダナーを実践させ、彼女を通じて多くの仕事を行った。
ラトゥ・マハラージ(スワミ・アドブターナンダ)は、師の奇跡のまた別の例だ。彼は本当に驚くべき例だよ。師の一触れによって、錆びた鉄のかけらが黄金に変わったのだよ。
彼はもともとラーム・ダッタの召使いで、師のもとにいろいろなものを運んでいたのだが、後に、彼はドッキネッショルで師に仕え始めた。
彼が夕方寝ているのを見て、師はこう仰った。
『夕方寝るというのなら、お前はいつ霊性の実践をするのだね?』
それからというもの、ラトゥ・マハラージは夜眠るのをやめ、サーダナーを実践したのだ。
人の人生の流れを変えるということは、最も偉大なる奇跡だ。」
そうおっしゃると、Mは厳粛になり、無言になった。
もう夜も更けてきて、信者たちは彼に暇を告げた。
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