20110420「供養と懺悔の会」より(4)
◎高度な秘儀
で、ちょっとさっきの話に戻るけども――そうだな……ちょっと今日は具体的なアドヴァイスをしてるので、ちょっと言葉を選んでるけども……とにかく自分が――ブラフマンとかそういう抽象的なものよりも、完全に人格的な方がいいです。クリシュナとか、あるいはラーマとか、ブッダとか人格的な方がいいんだけども、それと自分の師を完全に合一させた状態で常に思うと。
この常に思うっていうのは、もうちょっとリアルな言い方をすると、皆さんの煩悩でもかまわない。あるいは不安でもかまわない。あるいはもちろん喜びでもかまわない。心の思い全部をそこに向けるっていうことです。これは良くも悪くもです。
良くも悪くもっていうのは、いい意味で言うならば、例えば愛しくてしょうがないと。あるいは好きでしょうがないと。あるいは尊敬でいっぱいであると。これはいい意味だよね。
悪い意味っていうのはどういうことかっていうと、例えばですよ、これは一つの例ですよ、本当のことじゃなくて例ですけども、例えばT君がいて、わたしが例えばT君に冷たくしたとするよ。冷たくしたり無視したとするよ。前までは「ああ、T君、T君」ってかわいがってたのに、いきなりなんか冷たくなって無視したとするよ。そうするとT君の中に不安や悲しみが生まれるかもしれない。ああ、わたしは先生に嫌われてしまったんだろうかと。ああ、わたしは何か悪かったんだろうか。何かしてしまったんだろうか――これで頭がいっぱいになるよね。ああ、おれはもう駄目かもしれない。嫌われてしまったかもしれない。わたしの人生終わったかもしれない。
――あの、ここでね、もう一回言うと、最初の、「師を神と同一と考える」っていう前提がないと、ここでもう失敗します。つまり「先生は分かってないな」と。「わたしにはラーマがいればいいや」って(笑)、これで完全に神の作戦が失敗します。これは神の作戦なんだね。神の作戦大失敗(笑)。
ここでちゃんとT君にその前提があると、「わたしは神と同一である師に嫌われてしまったかもしれない。あるいはわたしの何かやったことが失礼だったことがあったかもしれない。どうしよう……どうしよう……どうしたらいいんだ!」――この悶々とした思いが、T君を解脱に導きます。ね。
これはもともとT君の中に、不安とか葛藤とか焦りとかがあるんだね。それはそういう形で表現されなきゃいけなかった。で、これは何でもそうなんですよ。皆さんの中にあるそのような、恐怖かもしれない、あるいは愛着かもしれない、あるいは不安かもしれないけども、いろんなそういうネガティブ・ポジティブないろんな思いを、全部神に向ける。そしてそれと同一である師に向けると。これがまさに、「わたしにはラーマしかいない」っていう意味なんだね。
つまり単純にほんわかした、「ああ、ラーマよ! ラーマよ!」――これだけじゃないんです。わたしが考えることは全部そこに向けられていると。もう焦りも恐怖も苦しみも喜びも、全部ラーマだと。ね。そしてもう一回言うけども、それがあやふやなものにならないように――あやふやなものにならないようにっていうのは、今言った話で分かったと思うけど、現実的に自分の目の前の師っていうのがいないと、自分のエゴで全部処理してしまうことになってしまうので。師っていうのがいることによって、その師が本当にその人と縁があり祝福された師だったら、当然その人のカルマとか煩悩を破壊するような形で、いろんな現象が起きるんだね。で、それから離れない限りは、その人は引っ張り続けられると。これがヨーガあるいは密教等における、師を神や仏陀と同一にみる修行の一つの意味ですね。
これは一つの意味です。一つの意味だけども、これだけでもしっかり皆さんが念頭においてやるならば、素晴らしい修行になる。
もう一回言うけども、今日言ってる話っていうのは、全員に言っている話ではありません。全員に言ってる話じゃないっていうのは、まずバクティに興味がない人には関係ないです、まずはね。バクティには興味あるけど、師を神と同一と見るっていうものに興味がない人にも別に関係ありません。それは考えなくていい。で、そういうものにもある程度理解があると。で、それで今、師がいる人ね。それはわたしでもいいし、他の人でもいいんだけど、師がいる人は、自分の今の問題として考えてください。で、まだ師とかよく分かんないっていう人は、しかし考え方は興味深いって思う人は、自分の中にそれを持っておいてね、将来そういった、皆さんと縁のある師が現われたときに、「ああ、先生そういえばああいうこと言ってたな」と考えたらいいね。
今日は本当にかなり高度な秘儀を明かしたわけだけど、この秘儀っていうのは、もちろん出し惜しみして出さないわけじゃなくて、出せないんだね、普通はね。こういうことは普通は書けないし言えない。だからそれが言えるだけのね、カルマが皆さんにはあるのかもしれないし、聞く縁があったんでしょうね。