2011年インド修行旅行記(20)「ヴァラナシとラーマ寺院」
ブッダガヤーから我々は、いよいよ今回のインド修行旅行の最後の巡礼地であるヴァラナシへと向かいました。
ヴァラナシはインド最大の聖地であり、またシヴァ神の聖地です。インド最大の聖地といっても、町中はゴチャゴチャしており、犯罪に巻き込まれる観光客も多いのですが、カオスなエネルギーに充満した町であり、人によっては非常に気に入り、また人によっては二度と行きたくないという人もいる、不思議な地です。
今回は三週間の間に多くの聖地を回ったため、このヴァラナシには一泊しかできませんでした。ヴァラナシは綺麗な高級ホテルはガンガーから離れた駅周辺にあり、立地が良いガンガー沿いのホテルは粗末なホテルが多いのですが、私はいつもヴァラナシに来たときには、ガンガー沿いでかつ綺麗な、アルカというホテルに泊まることにしています。今回も皆でここに泊まることにしました。ここはガンガーが見える広いテラスがあり、安くておいしい食事もあり、喧噪に満ちたヴァラナシの中でここだけオアシスのようなところなので、外国人にも人気があります。
ヴァラナシにはいくつもの有名なガート(沐浴場)の他、火葬場、寺院、そしてサールナート(お釈迦様が初めて法を説いた場所)などがありますが、今回は時間の関係もあり、朝に皆で一緒にガートで沐浴と瞑想をしただけで、後は自由行動にすることにしました。
私は過去何度かここヴァラナシに来て、ガートで瞑想し、多くの素晴らしいインスピレーションを得てきました。皆にもその素晴らしい感覚を味わってほしいと思ったのですが、この時期は雨期の終わり頃で、しかも今年は雨量がとても多かったせいか、ガートがほとんど水没していました笑。仕方なく我々は、地元のインド人のおじさんたちと一緒に狭い階段にぎゅうぎゅうに座り笑、瞑想し、朝日を拝み、そして沐浴したのでした。
その後、自由時間になって、希望者たちで、ラーマーヤナのミュージアムのようなところに行くことになりました。そのミュージアム自体は、あまり大したことはありませんでした。そしてミュージアムを出た後、その近くにトゥルシーダースのガートがあるというので、ついでに行ってみることにしました。
ラーマーヤナというのは元の聖典はサンスクリット語で書かれた叙事詩で、文学的にはとても価値がありますが一般人には読みにくかったために、後世にそれを現代ヒンディー語で編み直した様々な作品が作られました。その中で今、最も主流となってインド人たちに親しまれているのが、トゥルシーダースという聖者が作ったラーマーヤナなのです。
このトゥルシーダースという人は、幼い頃からラーマの御名を唱えていたという人で、いくつかの聖地を移り住みながら日々ラーマの御名を唱え、そしてラーマに関する作品を作り続けていました。そしてトゥルシーダースがヴァラナシに住んでいたときにいつも沐浴していたというガートが、トゥルシーガートと呼ばれるガートなのだそうです。
我々はラーマーヤナのミュージアムからそのトゥルシーガートを目指して、炎天下の中を歩いて行きました。すると、もうすぐ目的地というところで、あるみすぼらしい寺院がありました。それは寺院というよりも、古いビルの一室を改造したような場所で、あまり厳かな感じではありません。入り口もほとんど装飾などもされておらず、粗末な机に、受付係のようなおじさんが二人ほど座っているだけでした。中に巡礼者がいるような気配もありません。
何か、流行っていない新興宗教の事務所のような感じもして、決して第一印象が良くなかったその建物の前を、我々は一度、通り過ぎました。しかし何となく気になって、再びそこへ戻って、一応、中に入ってみることにしました。
すると、さっきまでいた受付係のような人も、もういません笑。そこにいたおじさんに聞くと、自由に入っていいという感じだったので、中に入ってみました。
するとその中は――外観とは違い、素晴らしい寺院でした。しかもそこは、ラーマ、シーター、ラクシュマナが本尊として祀ってある寺院だったのです。インドでもラーマを祀る寺院は珍しく、なかなか巡り会えません。しかもそのラーマたちの像が、何とも美しいこと!
その寺院の隅の方では、インドの昔話に出てくるリシのような、目が鋭く、髭と髪を伸ばした白髪のおじいさんが、ひたすら『ラーマーヤナ』を唱えています。これには感動しました。この寺院、我々以外に誰も訪問者はいませんでした。おそらく我々が来る前も誰も来なかったかも知れないし、我々が去った後もこの日は誰も来ないかもしれません。しかしそんなことは全く関係ないのです。ここには商用的な臭いも、プライドや見せかけの威厳も、何もありません。ただ黙々と、『ラーマーヤナ』を読み、唱え続けているのです。おそらく分厚い『ラーマーヤナ』を何日かかけて全部唱え終わったら、最初に戻って、再び、何度も何度も、『ラーマーヤナ』を唱え続けるのでしょう。ずっと!――それが彼の人生なのでしょう。
彼はいつからそれを続けているのでしょう? 子供の頃からでしょうか? それとも人生に何か転換期があって、それからでしょうか? いずれにせよこの人物には、ただ一つのことを信じて、ただ黙々と自分の使命として、当たり前のようにやり続ける、何の希望も恐怖も持たずにやり続ける、カルマ・ヨーガの見本のような姿を見て、感動しました。素朴さ、純朴さ、ひたむきさ――それは忘れてはならないことです。
そしてその後ろのほうでは、少年にも見える、あるいは中年にも見える年齢不詳の男性が、インド独特の楽器を演奏しつつ、「ジェイシアラーム・・・・・・」と、ラーマとシーターを称える歌を歌っていました。そしてこの人も、単調なメロディのこの歌を、ずっと歌っているのです!――我々が来る前から。我々がいる間もずっと。そしておそらく我々が去ってからも!
「ラーマーヤナ」を唱えるおじいさんも、ラーマを称える歌を歌うこの男性も、何か儀式の時間に、儀式的にこういうことをやっているというわけでもないようです。本当に一日中これだけをやっているような感じです。一日中、ひたすらラーマの御名だけを唱えていたトゥルシーダースのように・・・・・・
そして二人とも、外国人観光者である我々がそばによっても、何か恥ずかしがりもせず、こびもせず、愛想も振りまきません。ほとんど無視です(笑)。本当にただ自分のやるべき事に没頭しているという感じなのです。この、誰もいない、古びたビルの一室の、素晴らしい寺院の中で・・・・・・何だかとても感動しました。
我々はその知られざる素晴らしい寺院で、その無私のカルマヨーガの香りのする『ラーマーヤナ』の詠唱とラーマを称える歌をBGMにしばらく瞑想した後、トゥルシーガートへと向かったのでした。