誰かのためならば
誰かのためならば
自己に厳しく生きることができる。
自分のためだけだと
ただの自己責任なので
常に妥協の誘惑がつきまとうが
誰かのためならば
自己に厳しく生きることができる。
修行者の場合、
特に菩薩道を行く者の場合、
あなたは皆の希望にならなければならない。
この輪廻の中で
本当に妥協なく、神の道を歩くことができるのだということを
示さなければならない。
それを考え、自己に厳しく
師や聖典の教え通りに生きるのだ。
師への恩を知る人は
師のために、自己に厳しく生きなさい。
あなたが成長することだけを、師は喜ぶのだから
ああ、愛する師や神に喜んでいただきたい、と考え、
努力と愛を、供物として捧げなさい。
魔の罠は常に巧妙だが
誰かのためならば
自己に厳しく生きることができる。
短い人生、
魔やエゴのためではなく、
師や神、そして衆生のために存在する生命であり続けよう。
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