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パトゥル・リンポチェの生涯と教え(126)

◎パトゥルの死後

 パトゥルが亡くなったあと、パトゥルの希望により、パトゥルの師匠ジグメ・ギャルワイ・ニュグの生まれ変わりであるタマ・トゥルクを招くために、使者が送られた。その他にも使者を送って、パトゥルの弟子であるゲマン僧院のオンポ・テンガも招かれた。オンポ・テンガは、到着するとこう言った。

「パトゥル・リンポチェのトゥクタム(聖者が死後に瞑想に没入していること)が終わるまで、誰も使いに出すべきではない。」

 タマ・トゥルクが太陰暦の二十日目に到着すると、パトゥル・リンポチェのトゥクタムは終わった。
 オンポ・テンガやソナム・ツェリンたちは、必要事をすべて引き受けた。ケンポ・クンペルとパルシュ・ラマ・ツェリは、パトゥルの個人的な資産を集めるために送り出された。
 ゲマンのケンポ・ヨンテン・ギャツォが到着した。ザチュの低地で暮らしていたムラ・トゥルクも到着した。ムラ・トゥルクは、パトゥル・リンポチェの部屋に入ると、完全に悲しみに圧倒されて、気絶した。意識を取り戻すと、ムラ・トゥルクはまるでパトゥルに直接話しかけているかのように、こう言ったそうだ。

「まさかあなたが本当に逝ってしまったのだと思っていました!」

 その瞬間から、ムラ・トゥルクは悲しむのを一切やめた。オンポ・テンガは、「ムラ・トゥルクは、パトゥル・リンポチェのヴィジョンを見て、師の悟りが直接に注ぎ込まれたに違いない」と述べた。

 ”地獄の奥底を浚い上げる”という儀式が、パトゥル・リンポチェの弟子によって執り行なわれた。
 その後、あらゆる宗派の大勢のラマたちが到着し始めた。彼らはさまざまな供養の儀式を執り行なった。約二千人の弟子たちが集まった。それぞれが、形見として、パトゥル・リンポチェの衣の小片をもらった。
 多くの人々がその場所で、悪行を放棄し、善行を成し遂げるという誓いを立てた。執着も嫌悪もすることなく、悲しみに満たされて、輪廻の生存に幻滅し、皆が昼夜、修行に打ち込んだ。
 火葬は、同じ月の二十五日目に行なわれた。その日は、ダーキニーに捧げられる日であった。虹が、完璧に澄み渡った青い空に現われた。そこにいた全員がそれを目撃し、そしてその他の驚くべき兆候も見た。 
 その日から数日の間は、まるで夏のように雨がたくさん降った。青々と茂った牧草が育ち、花が咲いた。ザ川が突然氾濫した。多くの老若男女がその増水した川を渡ったにも関わらず、災難は一つも起きなかった。人々は、これはパトゥル・リンポチェの祈りと加護のお陰だと感じた。のちに、干ばつの間でも、パトゥル・リンポチェの般涅槃(パリニルヴァーナ)の日には、必ず雨が降った。
 二十八日目、火葬の薪から遺骨が集められた。のちにこれらの遺骨は、十万のマニ石からできているパルゲ・マニ壁の両隅にある四角いストゥーパの中に納められ、伝統に従って奉献されたのだった。 

 パトゥルはかつて、このように書いた。

一、称賛はくだらんもの――空であり、根拠のないものだ。
二、名声はただ、人を天狗にするだけ。
三、布施された富の貯蔵所を作れば、悪しきカルマの貯蔵庫を作ることとなる。
 これらの三つをすべて放棄することで、わたし、”老犬”が、犬のように死ねますように。

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