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キャラ・ケンポ・チェチョク・トンドゥプの生涯(4)

 1943年に、わたし(この伝記の著者)は四歳でケンポ・コンメのトゥルクとして認められました。ケンポがわたしの師として任命されたことは、わたしにとって本当に素晴らしい幸運でした。1944年以来、ほぼ十四年間、彼の足元で学びました。彼はわたしのダルマの教師であるだけでなく、わたしが実際に知っている親でもありました。わたしは幼い頃、よく彼の部屋で眠りました。わたしは起きるといつでも、常に喜び輝く彼の顔を目にしました。そして彼は自分の瞑想室に座り、揺らめくバターランプの薄暗い光の中で瞑想するか、祈りの言葉を唱えていました。安らぎや暖かさ、不思議さに満ちた無限のエネルギーがわたしの素朴な心をいつも圧倒し、多くの人が、子供の頃に愛情深い親の暖かさによって包まれたときに感じる素晴らしい思いを思い出すように、完全な安心感を与えました。

 わたしが彼のそばにいるあいだのケンポの日々のスケジュールは、ケンポ・コンメの日課と似たようなものでした。
 彼は朝三時に起き、瞑想を始めました。
 六時頃朝食をとり、一時間半後に瞑想を再開しました。
 十一時頃われわれはみんなで集まり、一緒に供物を捧げたり、祈ったりし、昼食をとりました。
 昼食後、ケンポは教えを開始し、日に一つから三つの授業を行ないました。彼は詳しく説明をしながら、最も深く難しい経典を、最も平易な言葉で教えました。彼はドドゥプチェン僧院のすべてのケンポと同様に、生徒から代金を一切受け取りませんでした。反対に、貧しい生徒に食べものを与えたり、本を貸したりしました。彼はとても教えることが好きだったので、彼がいつも貴重だと思っている自分の瞑想のための時間を生徒たちに割くことを全く気にしませんでした。
 夜六時にわれわれは再び集まり、祭壇の明かりをつけ、一緒に祈りを捧げ、そのあとお茶を飲んだり、さまざまな話題について話し合いました。それが終わると、彼は瞑想を再開し、夜十時くらいまで行ないました。それから四時間ほど眠るのでした。

 ケンポは過去の昔話を楽しく語ることもありましたが、しかしそのあとで、自分が無価値だと考えているおしゃべりで貴重な時間を無駄にしてしまったと、とても後悔するのでした。
 
 
 チベットの教師は自分の生徒たちを厳しく訓練しがちなのですが、ケンポは例外的に優しく、いや、優しすぎるくらいだったかもしれません。わたしが覚えている怖かった出来事がたった一つだけありました。わたしが六歳くらいの頃、ある本のページを引っ張ると、その紙はとても薄っぺらかったので、破れてしまいました。わたしは何やら悪いことをしてしまったと気づき、それを隠したくて、そのページを小さく丸めて穴に投げ込みました。その日のうちに、ケンポがわたしのところへやって来て、こう尋ねました。

「それをトイレに投げ込んだのはあなたですか?」

 わたしは何も言いませんでした。彼はわたしを持ち上げ、とても強く抱きしめ、そして床の上に置くと、こう言いました。

「今から棒を持ってきて、あなたを打ちますよ。」

 わたしはとても怖くなり、考えもなく、このような言葉が口から出てきました。

「わたしはあなたのグルのトゥルク(変化身)です。もしあなたがわたしを打つなら、それはあなたにとって恐ろしいカルマを積むことになりますよ!」

 結局、彼はわたしを打ちませんでした。わたしにはその理由はいまだにわかりません。何年かして、わたしはその紙の切れ端が、瞑想の最も重要な経典の一つであるジグメ・リンパ著のゴムチョク・ティレンであり、そしてわたしが投げ捨てた場所は外のトイレだったと気づきました。つまり、最も尊ぶべき経典を最低の場所に捨ててしまったのでした。

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