解説「菩薩の生き方」第一回(1)
2011年9月24日
解説「菩薩の生き方」第一回
【本文】
はしがき
さまざまな仏教の経典や論書の中で、最も好きなものを一つあげるとすれば、私は、シャーンティデーヴァの「ボーディチャリヤーヴァターラ(入菩提行論)」をあげるでしょう。
この論書は私自身の修行においても、仏教理解においても、多大なインパクトを与えてくれました。その内容のすばらしさのみならず、言葉や比喩の美しさも、ミラレーパの十万歌とともに、仏教や他の宗教書の中にも類を他に見ることのできない、美しいものだと感じます。
しかしこの論書の日本語訳については、少し不満があります。
現在、この論書の日本語訳および解説がついたものとしては、まず最も古い、金倉さんという人が訳したもの(「悟りへの道」)と、「大乗仏典」シリーズの一つとして中村元博士が解説を加えているものと、それからチベット僧が解説を加えているもの、そしてダライ・ラマ法王が少し解説しているものもあったと思います。
このうち後者三つについては、量的にも、翻訳的にも、解説においても、個人的には少し不満があります。特に訳については、この論書のすばらしさがうまく伝わってこないように感じるのです。
金倉氏の訳したものが一番良いように思うのですが、しかしこれは言葉が古いために普通は読みにくく、またこの論書自体、修行をしていない人には難解かもしれないと思うので、自分で読むにはいいのですが、人にはなかなか薦められません。
ということで、こんなすばらしい経典なのに、なかなか人に伝えられえないというまどろっこしさがあります。
そこで今回、私なりに、少しずつですが、この論書の解説を書いていきたいと思います。
私は学者ではなく修行者ですので、解説はあくまでも修行者としての視点からのものとなります。
訳に関しては、私はサンスクリット語は読めませんので、私が訳すのは不可能ですので、金倉氏と中村氏のものを混ぜたような感じで、私なりに読みやすく的を得たものを書いてみたいと思います。それに対して私が思うところの解説を加えていきたいと思います。
はい。この辺はね、まず最初の序文ですが、ここに書いてあるように、わたし個人の話からまず言うと――そうだな、昔、まあ、いつも言ってるように、わたしは中学生ぐらいからヨーガ修行を始めて、それからヨーガだけじゃなくて仏教のいろんな修行をしたり、いろんな経典をね、研究したりしてたんですけども、その中で、たまにこの『入菩提行論』っていう名前が出てくるんだね。ただまあ、そういったいろいろな、仏教の礎っていうかな、基礎をなす論書の一つとして『入菩提行論』っていうのがあるんだな、ぐらいにしか最初は思ってなかったわけだけど。
この『入菩提行論』っていうのは、当時ね、ここにも書いてある金倉さんっていう人が訳した『悟りへの道』――その当時それしか日本にはなくて、しかも絶版だったんですね。本屋とかにもなかったんです。ただ偶然古本屋でそれを見つけたんだね、わたしがね。で、それを、「あ、これが『入菩提行論』か」と思って読んでみたら、もうすごいショックだった。どれくらいショックかっていうと、飛び上がるくらいショックだった(笑)。なんだこれはと。ね。つまりそれまでももちろんわたしはヨーガとか仏教とかの本をいろいろ読んでて、ああ素晴らしいなと思ってたけども、この『入菩提行論』は桁が違うと。こんなものがあったのか、ぐらいのショックだったんだね。それはまあ皆さんの中にも、その素晴らしさを感じてる人はいっぱいいるだろうけども。
で、すごいショックだったわけだけど、まあ、こんな素晴らしい本が絶版だったんだね(笑)。で、巷には、よく分かんない仏教書がいっぱいあふれ返ってる。ね。で、みんな、なんていうかな、だいたいさ、まあ、だいぶ現代では変わってきたかもしれないけど、仏教って、ヒンドゥー教もそうなんだけど、仏教の本って特に、なんか小難しく書いてるんだね。なんか初心者はちょっと入れないような感じの、敷居が高いっていうか。あるいは、かみ砕いて書いてある本も確かにある。でもちょっと――簡単に言うと、面白くない。
なぜわたしがここまでこう言うかっていうと、つまり『入菩提行論』は面白いからです(笑)。つまり、昔のわたしが思ってたのは、ああ、真理というものは、つまり仏教とかヨーガっていうものは確かに難しいから、面白くなくてもしょうがないと。あるいは分かりにくくてもしょうがないんだって思ってたんだけど、ただ『入菩提行論』を読んで、目からうろこが落ちた。面白くできるじゃんと。ね(笑)。分かりやすくできるじゃんと。しかも、こんな素晴らしい修行のエッセンスをこんなにも、なんていうかな、われわれの心に入ってくるようなかたちで表現できるじゃないかと。っていうことはほかの仏教書っていうのはなんなんだって、こういう感じになったわけだね。しかしそこまで素晴らしい経典が、何度も言うけども、日本ではちょっと古い表現で書かれた『悟りへの道』しかなくて、しかもそれは絶版になってると。それがちょっと残念だったんですね。
で、それからちょっと月日が過ぎて、まあチベット仏教とかがはやり始めて、チベットの僧がね、解説を加えたものとか、ダライ・ラマ法王が解説を加えたものとか、あるいは中村元博士がちょっと解説したものとかが出始めたわけですね。で、そこでわたしは、「あ、ついに『入菩提行論』も日の目を浴びるようになったか」と思って読んでみたんだけど――「なんだこれは!」と(笑)。なんだこれはっていうのは、つまり『入菩提行論』の『入菩提行論』たるその素晴らしいエッセンスの部分がね、全然解説されてないじゃないかと。しかもその訳自体が、その素晴らしい部分をあまり強調しないような訳になってる。だからちょっとこれは傲慢な感じなんだけどね、わたしとしては、「みんな分かってない!」と(笑)。この『入菩提行論』の素晴らしさがみんな分かってないじゃないかと。「じゃあ、おれがやるしかない!」っていう感じで(笑)、その当時ね、ネットに書き始めたのがこの『菩薩の生き方』なんだね。
で、訳に関しても、まあ、わたしはその金倉さんっていう方はやっぱり――もう亡くなった人ですけども――素晴らしいっていうか、多分しっかりと理解してたんだと思う。だからここにも書いてあるけど、金倉さんの訳は一番いい。一番、なんていうかな、まあ意味をわれわれに伝えるようにちゃんと訳してくれてるんだね。ただこれは何度も言うようにちょっと古い訳なので――ちょっとやっぱり、そのままだと読みにくいっていうかな、古い日本語だからね。それに現代的な訳もちょっとミックスさせるようなかたちで、わたしなりに訳をまとめたのが、カイラスで出してる『入菩提行論』ですね。で、それに対してエッセンス的な部分の解説を加えてみましょうっていうのがこの本ですね。
【本文】
その前にまずは、この著者のシャーンティデーヴァという人について、伝えられているところを少し簡単にまとめてみたいと思います。
彼は西インドのサウラーシュトラという国の王様の息子、すなわち王子様として生まれました。父王の名はカルヤーナヴァルマンといい、王子はシャーンティヴァルマンと名づけられました。
シャーンティヴァルマンは若いころから、マンジュシュリー(文殊菩薩)の成就法を修行し、マンジュシュリーを実際に見神することができたといいます。また、ターラー女神も信仰していたという説もあります。
その後、父王が死に、シャーンティヴァルマンが王位を継がなければならなくなったのですが、夢の中でマンジュシュリーが、王位を継いではならないと告げたため、彼は王城から逃亡し、当時の最大の仏教僧院であったナーランダー僧院(現在のラージギルの近く)に行き、ジャヤデーヴァという師のもとで出家したといいます。
はい。まずシャーンティデーヴァっていう人自体が八世紀ごろの人で、まあ、かなり昔の人なので、いろいろ謎が多いんだね。もちろん細かく伝記が残ってるわけでもなくて、さまざまな伝説がある人なんですけども、まあ一応言われてるところでは、西インドのサウラーシュトラという国の王子として生まれたと。で、王子としての名前は、シャーンティヴァルマンと言いましたと。で、若いころはマンジュシュリーの成就法を修行してたと
シャーンティデーヴァは、よくいわれるところでは――この『入菩提行論』にしろあるいは『シクシャー・サムッチャヤ』とか『スートラ・サムッチャヤ』にしろ、大乗仏教の論書なわけですけども――大乗仏教の大聖者として知られてるわけですが、このナーランダーっていう僧院を出てからは、密教修行者になったといわれている。ただ、そうじゃなくてもともと密教修行者だったっていう説もあるんだね。だからそれはちょっとよく分かっていない。
っていうのは、そもそもですよ、そもそも、まあ、これもいつも言ってるけども、例えば密教系の真言宗、あるいは大乗仏教系の日蓮宗とか浄土真宗、あるいは瞑想ばっかりやる禅宗とか、日本の仏教はそんなふうに分かれてるけど、本当は仏教っていうのは……例えば密教徒っていうのは、そもそも基本的に原始仏教的な教えを学び、それから大乗仏教を勉強するわけですね。で、大乗仏教の発展形として密教をやるんです。だから密教修行者といっても当然、基礎というか、本体は大乗仏教なんですね。大乗仏教の理想を、いかに、もっとスピーディーに、あるいは現実的に実現させるかの教えが密教なんだね。だから密教徒といっても、なんていうかな、大乗仏教の完全なる理解や、あるいは悟りがないと、ほんとの意味での密教の成就もできない。だからシャーンティデーヴァがもともと密教行者だったといっても、まあ、それはおかしくはないんだけど、ただそれはまあ、ほんとに分かりません。つまり謎が多い人なんでね。もともと密教徒だったっていう説もあるし、あるいはお寺を出てから密教徒になったっていう説もあるし。その辺は分かんないっていう感じですね。
ただまあシャーンティデーヴァのこの最初の方のエピソードを見ると、やっぱりちょっと密教徒っぽいっていうかな。つまりもともと、マンジュシュリーね、文殊菩薩の成就法、つまりサーダナーね。文殊菩薩をイメージしたり、自分が文殊菩薩に変身したりとかそういう瞑想法をやってたと。で、彼のグルもマンジュシュリーだったといいます。つまり瞑想してほんとにマンジュシュリーが現われて、マンジュシュリーがこのシャーンティデーヴァを直接導いてくれてたっていうんだね。
まあその辺の伝説は言えばきりがないわけだね。このシャーンティデーヴァのお父さんは、ここに書いてある西インドの王様、カルヤーナヴァルマンだったわけだけど、お母さんはヴァジュラヨーギニーだったといわれています。ヴァジュラヨーギニーっていうのは修行者を助ける女神ね。ダーキニーの一つのかたちですけども。ヴァジュラヨーギニーね。だからまあ、この辺もほんとかどうか分かんないけど、そういう伝説も伝わってます。
だからもともと、まあ、なんていうかな、おそらくある意味天才的な修行者で、若いころから、実際に偉大なる存在であるマンジュシュリー菩薩とコンタクトを取ることができて、そのマンジュシュリー菩薩から、あるいはターラー女神から直接教えを受けて、修行してたっていうのが若いころのことですね。はい、その後、そのお父さんが死んだので、まあ息子である自分がその王位を継ぐことになったわけだけども、その直前に夢の中にマンジュシュリーが現われて「王位を継いではならない」。ね。そのように告げたので、逃亡して、まあ当時最大の仏教僧院であったナーランダーに行きましたと。はい。じゃあ次いきましょう。
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