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解説「菩薩の生き方」第一回(2)

【本文】

 出家後、彼は密かにマンジュシュリーを瞑想し、深い智慧を有していましたが、僧院で学問を学ぶことには全く無頓着でした。しかも毎朝、五人分の食事を食べていたといいます(笑)。このように、実は深い智慧を有していたのですが、外面的には、勉強もせず、ただの大食いの怠け者に見えたので、「ブスク」というあだ名をつけられました。ブスクとは、ただ食べ、歩いて、寝るだけの人、という意味で、つまり怠惰な怠け者という意味です。

 はい。これもまあ有名な話ですね。まずナーランダー、まあ現代でもその遺跡が残ってますけどね、当時最大の権威と規模を誇っていた仏教僧院ですね。まあ仏教大学とかもいわれるけど、いわゆる僧院ですね。出家したお坊さんたちが集まって日々勉強したり瞑想したりする僧院ね。そこに出家しましたと。で、毎朝――仏教の出家修行者っていうのは朝だけなんです、食べるのはね。で、午後は食べてはいけないと。朝一食なんだけども、で、まあ昔は托鉢をしてたわけだけど、この当時はおそらく、まあ托鉢制度もあったかもしれないけど、僧院なので、ある程度食事の配給システムはあったと思うんですけども、それを五人分食べてたんだね(笑)。毎朝五人分食べてた。だからこの中でも食いしん坊の人はね、ちょっと心の支えにしたらいいね(笑)。

(一同笑)

 シャーンティデーヴァも毎朝五人分食べてたと(笑)。おそらく、なんていうかな、ちょっと肯定的に考えると、火元素が強かったんだろうね(笑)。お腹の火元素が強く燃えてて、ペロリと五人分平らげてたと。で、外面的には、勉強もせずただの大食いの怠け者に見えたと。食べて寝て歩くだけに見えたと。
 この辺はね、いろいろ考えられるけども、これもよくいわれてるのは、密教的かどうかは別にして、このシャーンティデーヴァって、マンジュシュリーの、まあ、ある意味ちょっとバクティヨーガみたいな感じなわけですけども、マンジュシュリーに完全に心を捧げ、その弟子となっていたので、ひたすらマンジュシュリーの瞑想ばっかり行なってたんだね。で、それが、みんなには寝てるように見えた。なぜかというと、そもそも僧院っていうのは、さっきも言ったけども、まあ瞑想もするけど、どっちかっていうと、この当時のその仏教僧院っていうのは、学問仏教っていうかな、そういう意味合いが強かったんだね。つまりみんな僧院にこもって、いろんな経典を暗記したりとか、あるいは経典の内容を論議したりとか、そういう意味合いが強かった。しかしブスクといわれるこのシャーンティデーヴァは、それに全く興味がなかったんだね。もちろんまあ『入菩提行論』とかあるいは『シクシャー・サムッチャヤ』とか書くぐらいだから、当然その基礎の仏教論っていうのは完全に頭に入ってたわけだけども、しかしそれ以上の、無駄に論議をしたりとかね、そういうことにはあまり興味がなかった。で、ひたすら、マンジュシュリーの瞑想、あるいはその他の深い瞑想に没入してたわけですね。で、それが多分ほかの経典研究とかしてる僧とかから見ると、まあ何もやってないと。いつもなんか目をつぶって寝てるみたいだって見えてたんでしょうね。あるいはたまに経行すると。歩き回ると。で、歩き回ってるかと思ったら、部屋で寝てると。で、朝は毎朝五人分食べ物を食うと(笑)。ね。それであいつは全然勉強しない怠け者だって、まあ言われてたんでしょうね。

【本文】

 この僧院では定期的に順番で、みなの前で経典を暗誦する会がありました。ブスクの番が回ってきたとき、僧院長が彼に、「順番が回ってきてもどうせ経典を暗誦しないのだから、もう僧院を出てどこかへ行きなさい」と言いました。しかしブスクは、「私は僧院の何の規則も破っていないのですから、私を追い出すことは正しいことではありません。私はただ学問的才能に恵まれていないだけなのです」と答え、なんとか僧院を追い出されることからは免れました。
 しかし次にまたブスクの順番が回ってきたとき、僧達は、今度こそちゃんと準備をするように、とブスクに言いました。ブスクはそれを受けいれ、僧院長は、「もし経典を暗誦できなかったら、追放だぞ」と告げました。
 しかしブスクはそれでも、経典の暗記をすることなく、経典暗誦の前夜も、マンジュシュリーのマントラを唱えるだけでした。するとマンジュシュリーが現われ、ブスクに智慧のシッディを授けました。
 経典の暗誦会の朝、僧だけではなく、王様や、他の多くの人々も、集会堂に集まりました。これはつまり、全く学のないブスクが、一体どんな間抜けな暗誦をするのだろう、それを見て笑ってやろうという感じで、多くの人が集まったわけですね。まあ、このころはあんまり娯楽もなくてみんな暇だったのかもしれませんね(笑)。
 座に着くとブスクは、
「今まで皆がしたのと同じように経典を暗誦しましょうか、それとも今まで誰もしたことがないやり方で経典を説明しましょうか」
と言いました。これを聞いて人々は顔を見合い、笑いました。王は、
「お前は、今まで誰も見たことがないような食べ方と、見たことがない眠り方と、見たことがないぶらつき方を発展させた。だから、今まで誰もしたことがないやり方で、私達にダルマを説いてもらおう」
と皮肉っぽく言いました。
 ブスクはそこで、今まで誰も聞いたことがないすばらしい内容である、「ボーディチャリヤーヴァターラ」の説明をし始めたのです。そしてさらにブスクはそのまま、空中に浮かび上がりました。
 ナーランダーの五百人の学僧と、王と、他の群衆は、全員がブスクに強い信を持ち、
「あなたは『ブスク(怠惰な怠け者)』ではない。あなたは偉大な師だ」
と、彼を褒めたたえました。
 ブスクは、こうして学僧と王たちの高慢を鎮めたため、「平和の神」を意味する「シャーンティデーヴァ」と呼ばれるようになりました。

 これが、シャーンティデーヴァが「ボーディチャリヤーヴァターラ」を説くまでのいきさつですね。もちろん、この物語の中にはいろいろ装飾もあるかもしれませんが、まあ、大体このようなことが実際にあったのではないかと思います。

 その後、ナーランダーの学僧たちは、シャーンティデーヴァに、僧院長になってくれと頼みましたが、シャーンティデーヴァはそれを辞退し、僧院を去っていきました。

 そういえば、チベット仏教カギュ派の開祖、マルパの師匠であるナーローパも、伝記によると、王子として生まれ、その後ナーランダー僧院に出家し、その後に僧院を出たといわれています。マルパのもう一人の師匠であるマイトリーパや、チベット仏教サキャ派と関係があるヴィルーパなども、一度僧院に出家し、その後に僧院を去って、密教行者の道を歩き始めました。他にもそのような話は多いですね。

 僧院を去った後のシャーンティデーヴァの消息にもいろいろな伝説がありますが、それは省略しましょう。
 その後のシャーンティデーヴァは、顕教の出家修行者的な生き方を放棄し、密教的な修行を修め、いろいろな不思議な力を発揮したともいわれています。

 はい。これも有名なね、いつも出てくる話だね。「この僧院では定期的に順番で、みなの前で経典を暗誦する会がありました」と。で、まあ順番が回ってくるわけだけども、毎回それを辞退してたわけですね。で、そうすると僧院長が、「どうせおまえは順番が回ってきてもやらないんだから、もうどこかに出て行きなさい」と言うわけだね。でもブスクは、「わたしは僧院の何の規則も破っていない」と。「ただわたしは学問的才能に恵まれていないだけなんです。だから追い出さないでください」と。
 何度も言うけども、もともとこのシャーンティデーヴァは、まあこのころブスクといわれてたわけですけども、そもそも、もちろん『入菩提行論』もそうだけども、あるいはいろんな経典からエッセンスを取り出してまとめた『シクシャー・サムッチャヤ』や『スートラ・サムッチャヤ』とかを書いたくらいだから、学問的才能がないどころか、まあ、ずば抜けた天才だったわけだね。ずば抜けて、多くの経典を、おそらくまあ暗記してただろうし、そのエッセンスを理解し、で、それを組み立てることができるぐらいの大天才だったわけですよね。しかしここでは、こういう態度を取ってるんだね。「わたしは学問的才能に恵まれていないだけですからどうか追い出さないでください」と。ね。これがまあ、この間も言った、マンジュシュリー的な菩薩っていうかな。まあ彼の師匠がマンジュシュリーだからそうなのかもしれないけど、偉大な智慧を持っていてもそれをひけらかしたり、それをもってみんなを導くというよりは、まあ、なんていうかな、表面的には、全く自分は駄目な、みんなからばかにされるような状態を取ってると。でも最終的にはそれによってみんなを引き上げてしまっていうかな、そういうタイプだったんでしょうね。
 はい。だからこの当時、この時点では、みんな――もうみんなの前で経典を暗記することなんてできない、もう全然駄目な、無智な男だって思われたわけですね。
 はい。しかし、もう何度も順番をパスしてたので、ついに僧院長が、今度は絶対にやれと。ね。今度もしやらないんだったら追放だっていう、厳しいことを言ったわけですね。しかしまあブスクは、その前日も、頑張って暗記したりとかすることなく、ひたすらただマンジュシュリーのマントラを唱えるだけだったと。するとマンジュシュリーが現われ、ブスクに智慧のシッディを授けましたと。
 はい、そしていよいよ経典の暗唱会が行なわれるときに――まあこれも面白いけどね、もう多くの人が集まったって(笑)。みんなちょっと、暇っていうか意地悪っていうかね。つまり偉大な聖者が暗唱会をするからみんな集まったんじゃなくて、もう怠け者で有名で、全然勉強しない男がいよいよやるぞみたいな感じになって(笑)、それで集まったっていうんだね。でもこれも言ってみれば神の計画っていえばそうなのかもしれない。つまりそういう馬鹿にしようと思って来た人たちの心を一気にみんな変えてしまったわけだから、まあ計画といえば計画なんだけど、みんな、「さあ、いかにばかにするか」っていう感じで集まったんでしょうね。
 はい、で、そこでまたブスクは面白いことを言うわけだね。「今まで皆がしたのと同じように経典を暗誦しましょうか」と。「それとも今まで誰もしたことがないやり方でやりましょうか」と。これをさ、例えば、みんなからあがめられてる大聖者が言ったら、「おお、素晴らしい」と。「誰もしたことがないやり方でやってください!」ってなるだろうけども、もうみんなからばかにされてて、全然経典なんか知らないって思われてた人がいきなりそんなこと言いだしたわけだから、みんな大笑いしたわけだね。おまえ何言ってるんだと。それだったら誰もしたことがないやり方でやってみてくれ、みたいに言ったわけですね。そしたら、ここでついにブスクは、この素晴らしい経典である『入菩提行論』ね、『ボーディチャリヤーヴァターラ』を説き始めたと。で、説きながら空中に浮かんでいったっていわれてるんですね。
 まあ、さっきも言ったように、そうですね、皆さんもそうかもしれないけど、わたしも、最初にこの『入菩提行論』を読んだとき、まあ非常にショックだったっていうかね。素晴らしい衝撃があったわけだけど、このときも当然、シャーンティデーヴァ本人の口で、この『入菩提行論』がここで初めて説かれたわけだから、そこに集まった人々のまあ衝撃っていうかな、あるいは感動っていうのは、とてもすごいものだったと思うね。で、そのまま空中に浮かび上がっていったと。
 この間、インドでこのナーランダー大学を訪ねて、まあそれっぽい場所があったんだね。それっぽい場所っていうのは、聴衆が集まるような場所があってね、で、こう台座みたいなのがあって、「あ、ここでシャーンティデーヴァが入菩提行論を説いて浮かび上がったのかな?」と。もちろんそうじゃないかもしれないよ。そうじゃないかもしれないし、それは全く歴史的には分かんないけども、われわれはまあ、そうだと思い込んで(笑)、ここがシャーンティデーヴァが説かれた場所だと思い込んで、みんなで瞑想してきたわけだけど。まあ実際にね、その当時の、その瞬間の、みんなの感動っていうかな、あるいは衝撃っていうのはすごかったと思うね。
 はい。その素晴らしい『入菩提行論』の教えを説いて、で、そのまま空中に浮かび上がったと。だからこの大いなるショックっていうかギャップによって、みんなの心からハッとこう、慢心が取り除かれたわけですね。つまりそれだけ、なんていうか、まあ、ばかにしてたわけですね、ある意味。つまりある意味慢心によってね、おれたちは結構、いろんな経典を暗記してる偉大な僧だけども、こいつは駄目なやつだと。人間ってまあ、そういうスケープゴートを作りたがるからね。学校のいじめとかもそうだけど、こいつは駄目だってレッテルを貼ることによって、ちょっと自分の慢心を満足させるっていうかね。そういう相手だったわけだね、このブスクはね。で、みんな、こいつだけは駄目なやつだ、みたいにレッテルを貼ってたわけだけど、その人が、聞いたこともないような、超素晴らしい教えをいきなり説いたんだね。しかも空中に上って(笑)。ここでおそらく、そこにいた人たちは反省したでしょう。おれたちは馬鹿だったと。慢心に浸って、この素晴らしい方が、こんな近くにいるってことに気付かなかったと。で、表面的に学問をしていないっていうのでばかにしていたと。しかし、この方は、今までのわれわれの仏教理解を完全に覆すような、われわれに悟りを目覚めさせてくれるような、素晴らしい教えを今説いてくださったと。わたしたちはほんとに、ね、一からやり直さなきゃいけない、ぐらいの心の変革がたぶんあったと思うんだね。で、そこで多くの人の慢心を完全に取り除いたので、シャーンティデーヴァ、平和の神、あるいは寂静の神っていう名前でね、このころから呼ばれるようになりましたということですね。
 はい。で、そのままシャーンティデーヴァは――まあ、これも伝説によると、バーッと教えを説きながら浮かんでいって、そのままどっか行っちゃったっていう話なんだけど(笑)。

(一同笑)

 それはほんとかどうか分かんないけど、とにかくこのあとに僧院を去るわけですね。で、みんなはそこですごく反省してね、今まで本当に申し訳なかったと。どうか残ってくれって言ったわけだけど、シャーンティデーヴァはそれを辞退して去っていくわけですね。まあそう意味ではそのシャーンティデーヴァのこのときの、まあ使命っていうかな――だってここでさ、見れば分かると思うけど、普通の人はですよ、普通の人は、例えばナーランダーっていわれる僧院に入る目的は、しっかり勉強して、仏教の教えを身に付けることが目的なわけですよね。でもシャーンティデーヴァは、これ見れば分かるように、全然勉強してないんです。ただ入って勝手に自分の好きな瞑想やって、食って寝て、経行してるだけだと。ね。つまり分かりますよね。シャーンティデーヴァがナーランダーに入った目的は、自分が勉強するためではなかった。つまり僧たちの高慢をつぶすためだったんだね。そういう目で見るとですよ。その使命が終わったから、もう去っていった。
 つまり、もう一回この流れを見るとね、シャーンティデーヴァはナーランダーに入る前から、マンジュシュリーと実際に会うことができ、マンジュシュリーの教えを受け、まあ、何度も言うけど、『シクシャー・サムッチャヤ』とかを見ると、おそらくもし全く勉強していなかったとしたらあんなの書けないから、ナーランダーに入る前から多くの仏教経典を学び、そしてまあ、完全な理解をしてたんでしょうね。だから彼は、言ってみれば別にナーランダーに入る必要はなかった。しかし彼がナーランダーに入った意味がもしあるとしたら、結果としてね――あの、よくいわれるようにさ、まあ僧院ができて、で、その僧院のお坊さんたちを否定するかたちで、密教とか大乗仏教が広まっていったわけだけど――なぜかっていうと、僧院のお坊さんっていうのは、慢心に満ちてるっていうかな。つまり自分たちだけ、なんていうかな、お寺にこもって、あまり衆生のことは考えないで、で、全然ほんとは悟りとか得てないんだけど、仏教経典をたくさん学んで、暗記とかの頭の理解によって、自分たちは多くの仏教のね、教えを知ってるんだと、悟ってるんだって錯覚に陥ってるわけだね。で、それが仏教の一つの、まあ、なんていうかな、ある時期の欠点だったんだね。ちょっと学問仏教に走り過ぎて、で、ちょっとみんな、あまり中身のない慢心に陥ってたときがあったんだね。で、おそらくこのときはナーランダーもそういう状態にあったんでしょう。で、その者たちをその慢心から解放するために、まあシャーンティデーヴァはその僧院に入ったのかもしれない。
 はい、で、その使命が終わり、まあ、僧院を去っていくわけですね。で、これと似たようなパターンが、ここに書いてあるように、ナーローパとか、まあ、いろんなパターンがあります。ナーローパは特に似てるんだけど――っていうのはナーローパはもともと、シャーンティデーヴァと同じように、もともと王子様だったんだね。王子様だったのがその座を捨てて、ナーランダーに入ったわけですね。で、同じようにナーランダーで――若干違うのは、彼の師匠ティローパ。ナーローパの場合は、ナーランダーを出てからこのティローパと会うわけだけども。そこはちょっと違うけども、ナーランダーで最高の智慧を持った学長といわれるまでになったんだけども、密教修行をやるためにナーランダーを去るんですね。この辺はとても似てる。あるいはまあヴィルーパとかね。ほかにも同じようなパターンの人はいるね。
 はい。で、僧院を去ったあとのシャーンティデーヴァに関しては、これはいろいろ伝説があるので、まあ、ここではちょっと端折ってるけども、例えばある王様のね、ボディーガードになって、マンジュシュリーの智慧の剣を使って活躍したとかね(笑)。いろんな、まあ、神秘的なというか、かなり密教的な伝説が多いですけど、いろんな伝説があるね。だからまあ、さっき言ったように、ナーランダーで多くの人々に大乗仏教の素晴らしい教えを説いたあとは密教行者になったっていう説もあるし、あるいはもともと密教行者だったっていう説もある。すごくその辺は、まあ、昔の人なんでね、真実は分からないけども。
 このシャーンティデーヴァの生まれ変わり、転生とされるのが、前に「八十四人の密教行者」の勉強会にも出てきたシャヴァリです。わたしミクシィで使ってる名前だけど(笑)。Shavari。
 これも前も言ったけども、わたし昔ね、ミクシィってもちろん最初は知らなくて。ただまあわたしは情報処理科の高校に行ってたので、パソコンはかなり昔からやってたので、今のインターネットじゃない、パソコン通信っていわれた時代からね、いろんな昔のSNSっぽいのはよく見てて。で、ミクシィっていうのを紹介されたときも、ああ、またこういうのが始まったか、みたいな感じであまり重要視してなくて、まあでも一応招待されたから、まあ一応やるかと思って、登録して。で、登録しようと思ったらいきなり、ニックネーム入れてくださいって出てくるんだね。で、全然わたし考えてなかったから、え、ニックネームいるの?みたいな感じで、どうしようかと思って、直感的に浮かんできたのがShavariだったんだね(笑)。そのとき、密教行者の一人としてシャヴァリっていうのがいるっていうのは知ってたわけだけど、まあマイナーな存在ですよね、シャヴァリってね。だからなんでシャヴァリが浮かんだのか分かんないんだけど(笑)、一応Shavariって入力して。でもそれからすごいミクシィで書くようになっちゃったから、Shavariっていうのがわたしのなんか宗教名みたいな感じになっちゃったけども(笑)。
 でもそこら辺もなんか不思議なものを感じるね。わたしは何度も言うように『入菩提行論』が最高の仏教の論書だと思ってるし、シャーンティデーヴァもとても好きなので、そういう意味ではわたしの名前がシャヴァリとして、偶然にしろ呼ばれるようになったっていうのは不思議な感じがする。
 で、このシャヴァリっていう人は、完全な密教行者です。これはよく弓を射る姿で描かれてて。っていうのはこのシャヴァリっていうのは、狩人みたいな人だったんだね。実際に、動物とかを弓で殺すんです。でも実際にはそれによってその動物の意識を高い世界に引き上げてたんだけど。
 で、このシャヴァリの、さらに生まれ変わりが、パトゥル・リンポチェといわれています。で、このパトゥル・リンポチェは、これも皆さん知ってる『クンサン・ラマの教え』を書いた人だね。あれもまあ読んだ人は分かると思うけど、素晴らしい本ですね。何が素晴らしいかっていうと、やっぱりね、もちろん内容も素晴らしいんだけど、分かりやすい。なんていうかな、文章がすごく美しいんだね。美しくて分かりやすくて、まあエッセンスがズバッと入ってくるっていうか。そういう意味では確かにね、シャーンティデーヴァ的なものも感じるね。だからパトゥル・リンポチェがシャーンティデーヴァの転生だとしてもまあ、あながち間違いではないかもしれない。
 シャヴァリは、さっきもちょっと話に出た、マルパのもう一人の師匠であるマイトリーパの師匠なんだね。『聖者の生涯』にシャヴァリの生涯も載っているのでそれも読んでほしいと思いますが、マイトリーパの師匠で、まあ密教行者だったと。で、現代の密教的なものの、まあ基礎を作った、古代の密教行者の一人といわれてる人ですね、シャヴァリっていう人はね。はい。で、その転生がパトゥル・リンポチェだといわれている。
 で、シャヴァリに関してはまあ、謎が多くてよく分かってないんだけども、このパトゥル・リンポチェ、あるいはシャーンティデーヴァに共通するのは、今言ったように、素晴らしい、なんていうかな、美しい教え、そしてわれわれの心にほんとにスムーズに入ってくるエッセンスが説かれていると思いますね。やっぱりそれはとても大事なことで、例えばね、『ミラレーパの十万歌』とかもそうなんですけどね。『ミラレーパの十万歌』もあれは非常に素晴らしい。で、あれはもちろんミラレーパの一つの才能です。ミラレーパっていうのはとても歌がうまくて、うまいだけじゃなくて、自分の悟りを、ほんとにわれわれに響くようなかたちで表現する能力があったんだね。これはまあ、一つの能力だと思います。まあ、神通力っていうかな。うん。つまり、いつも言うようにさ、悟ってることと、表現力はまた別なんだね。それは分かりますよね。つまり、まあ例えばですよ、口下手で表現力がないと。でも悟ってる人っていうのは当然いるわけです。ね。もう本人は素晴らしい境地に達してると。もう完全にその高い境地を分かってると。しかし表現力がない人もいるわけだね。だからこういう存在っていうのは非常に貴重であって。
 で、ミラレーパも素晴らしいんだけど、実は、『ミラレーパの十万歌』、あるいは『ミラレーパの生涯』等をまとめた人がいるんですね。これがチベットのツァンニョン・ヘールカっていう人なんですけど。ツァンニョン・ヘールカ。この人もね、もともと僧院ね、チベットのあるお寺にいたお坊さんだったんだけども、まあツァンニョンっていうのは、ツァンっていうのはチベットのある地方の名前ですね。で、ニョンっていうのは、きちがい、つまり狂った人っていうことです。きちがい。だからツァンニョン・ヘールカは、ヘールカっていうのは名前だったのかもしれないけど、この人はツァンニョン・ヨーギー、つまりツァン地方の狂ったヨーギーといわれてたんだね。なぜかっていうと、僧院に、つまりお寺に入って、このツァンニョン・ヘールカは、まあ密教行者みたいに髑髏の数珠をしたりね、髑髏のお椀を持ったり、で、真っ裸で踊ったりとか、ちょっと狂ったようなことばっかりやってたんだね。で、あるときそのお寺に、まあ、いわゆるお寺のパトロンである、後援者である王様がやって来たわけだけど、その王様の前でもこのツァンニョン・ヘールカは無礼な態度を取って、裸で踊ったりとかいろいろやり始めたので、追放されちゃったんだね(笑)。おまえなんか出ていけって追放されてしまったと。で、追放されてから、本格的に密教行者の道を歩み始めたんだね。で、この人はその密教行者としても素晴らしかったんだけど、やっぱり文才に恵まれてたみたいで。で、彼が敬愛してたのがミラレーパだったんだね。だから、その当時民間に伝わっていた――まあ民間にたくさんミラレーパの歌っていうのは伝わってたらしいですね。それを集めて、あるいは生涯の物語を集めて、非常に美しい物語としてまとめたのがこのツァンニョン・ヘールカなんだね。だから、もちろんミラレーパは素晴らしい表現力があったわけだけど、このツァンニョン・ヘールカがいなかったら、ここまでミラレーパも注目されなかったかもしれない。つまり非常に民間的な歌だけが伝わってただけだったんだね。その真意っていうかな、その歌もさ、多分ですよ、民間に伝わってたっていうことは、まあ、おそらくいろんなパターンで伝わってたと思います。あっちの方ではこういうふうにいわれてると。あっちの方ではちょっと言葉が違う感じであると。あるいは表現もちょっと違ったりする。それをあそこまできれいにまとめたのがツァンニョン・ヘールカだった。だからそういう存在っていうか登場っていうのは、すごく重要な意味を持つね。
 前も言ったけどさ、ラーマクリシュナの弟子のMとかもそうです。つまりラーマクリシュナも、あれだけ素晴らしい教えが広まったのは、まあ、ある意味Mのおかげですよね。つまりMがあそこまでの記憶力によって――単純な記憶力だけではなくて、きれいに『福音』をまとめてくれたと。うん。だからわたしはいつも言うけどさ、近代でもそうだけど、まあ、昔の人でもね、もう大聖者ってたくさんいますよね。でもそういう存在がいる人といない人がいるよね。で、いない人って非常にもったないっていうか。皆さんの好きな、近代あるいはちょっと昔の仏教系、ヒンドゥー系の聖者っていっぱいいると思うけども、彼らのその教えとかあるいは伝記とかが、非常に美しい形で、あるいは本当にエッセンスがストレートにわれわれに伝わるような形で残されてるっていうのは非常に少ない。その存在やあるいはその教えの端々によってわれわれは――あるいは縁によってね、その聖者を信仰したり尊敬したりするわけだけども、その表現役っていうかな、まああるいは本人がそれだけの表現力を有してるとかね、そういうのはなかなか少ないんですね。だからそういう存在っていうのはとても――まあ、それももちろん神の計画なんだろうけど、そういう存在がいる聖者っていうのは、すごくわれわれにとっても貴重でね、耳を傾けるべきものだと思うね。
 はい。で、話を戻すけども、このシャーンティデーヴァも、まあ、わたしから見るとね――みんながどう感じるか分かんないけど、わたしから見ると、もちろん『菩薩道の真髄』に収録してるね、『シクシャー・サムッチャヤ』とか『スートラ・サムッチャヤ』もそうなんですが、あるいは『入菩提行論』もそうなんですけども、まあ、ほんとに、何度も繰り返すけども、仏教のエッセンスをここまで抽出し、ね――っていうのは、仏教っていうのはお釈迦様の時代からいろんな教えが説かれてきたから、その中には当然エッセンスがあって、そのエッセンスを表現するための補助的な教えがあったりとか、あるいはそれとそれが組み合わさった、まあ便宜的な教えがあったり、あるいは時代に応じて一応説かれた教えとか、いろいろあるわけだけども、そこから「これだよ」っていうエッセンスをちゃんと抽出してくれて、しかもそれを、美しく、ね、われわれの心に響くように美しく、しかもわれわれの心がほんとに変化するように、非常にショッキングなかたちでまとめてくれている、こんな教えはないと。ね。で、これだけの、なんていうかな、まあ表現力っていうかな、もちろんその悟りそのものもそうだけども、その悟りそのものを表現する力を持った人っていうのは、シャーンティデーヴァとか、あるいはミラレーパとか、非常に少ないと思うんだね。だからこれはとても、何度も言うけども、修習すべき、われわれが貴重な宝物とすべき聖典だと思うね。
 これも何回か言ってるけどさ、大事なことなんでもう一回言うと、ダライ・ラマ法王がね、中国のまあ攻撃から逃れるために、チベットからインドに亡命したときね、つまり、完全に現代ではチベットは中国にやられちゃったわけだけど、まだ中国とチベットの緊張状態が続いてるときに――まあ緊張状態が続いてるっていっても、ほとんど中国の力にチベットは飲み込まれそうになっていた。で、このままだとダライ・ラマ法王自体も、まあ中国にやられてしまう危険性があった。そこでダライ・ラマは、若き日にね、ほんとにわずかな持ち物と、わずかな従者を連れて、まあ普通の人のふりをして逃亡するわけですね。馬に乗って、山を越えてね、チベットからインドへ逃亡するわけだけども。で、ダライ・ラマ法王っていうのはもちろん法王だから、宗教的そして政治的な両方の王としてチベットに君臨していたわけだから、小さいころから、もう仏教の英才教育を受けてたわけですね。つまりもうほんとに――もちろん、ただの王ではなくて宗教の王、法王にならなきゃいけないから、もうどんな大学者よりも徹底的に教えを知ってなきゃいけないから、もう徹底的に学問的な英才教育を受けてたんですね。だからダライ・ラマの部屋っていうかお寺には、たくさんの貴重な、インドからチベットに輸入してきた貴重な経典がたくさんあったわけですね。しかし逃亡しなきゃいけない、亡命しなきゃいけないから、物を持っていけない。そこでダライ・ラマが一冊だけ選んだのがこの『入菩提行論』だったんです。わたしはこの話を聞いたとき、「さすが『入菩提行論』」というよりは、「さすがダライ・ラマ」と思った(笑)。さすがダライ・ラマ法王は分かっていらっしゃると。ね。つまりここに、なんていうかな、すべてのエッセンスが含まれていると。それくらいの本ですね。
 だからこの『入菩提行論』は、何度も言うけども、皆さんが何度読んでもかまわないっていうか、ほんとに繰り返し繰り返し読んで、自分のね、心に根付かせて、で、自分の、なんていうかな、生き方の軸となるようなものにしたらいいと思うね。

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