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解説「王のための四十のドーハー」第五回(1)

2009年8月1日

解説「王のための四十のドーハー」第五回

 はい、今日はサラハですね。今日は新しい人もいますが、ちょっと難しいんですね、サラハのシリーズはね。かなり高度な内容になります。
 まあ、サラハってたまにしかやらないので、もう一回ね、ちょっと、参加したことのない人もいると思うので、前提の話、物語から言うと、このサラハっていう人は、そうですね、インドの、仏教的な密教の開祖の一人といってもいいね。特に、いわゆるマハームドラーといわれる密教の教えの流れの開祖的な人の一人といってもいい。だからチベットとかでは、ものすごく尊敬される、まあ昔のね――八世紀ぐらいといわれていますが、インドの大聖者ですね。
 で、この人はどういう人だったかっていうと、もともとは伝統的なヒンドゥー教の、まあいわゆるブラーフマナね、バラモンですね。その非常に高貴な家の出の、なんていうかな、非常に秀才的な青年だった。つまり、ヒンドゥー教のさまざまな教えを理解し、そして、まあ、修めていたというか。で、その国の王様のお気に入りだったんだね。つまり若くて、で、家柄も良く、そして、まあ非常に天才的というか秀才的というか、非常に、なんていうかな、多くのヒンドゥー教の教えを理解してる。ですから王様のお気に入りの存在だった。
 しかしこのサラハが、あるとき仏教に改宗します。この当時のインドっていうのは、まだ仏教の勢力も強くて、まあヒンドゥー教と仏教が半々で、なんていうかな、ある部分では協力し合い、ある部分では戦いながら、共存し合ってた時代ですね。もうちょっとあとになると、イスラム教の攻撃その他の理由によってね、仏教は滅んでしまうんですが、この当時はまだ仏教が元気で、インドにおいてヒンドゥー教と人気を二分していた時代ですね。で、しかもこのころのインドの仏教とヒンドゥー教っていうのは、お互いに密教化していたので、密教の部分においてはお互いちょっと区別が付かないような時代だったともいわれています。つまり仏教は多くのヒンドゥー教の要素を取り入れ、で、ヒンドゥー教も仏教のいい部分を取り入れ、お互いに融合してたんだね。誰が見ても融合してるんだけど、表面上はけんかしてるんです(笑)。表面上は、仏教側はね、ヒンドゥー教は間違ってると。ヒンドゥー教側も、仏教というのは駄目だって言ってけんかしてるんだけど、実際には融合してる。で、この時代に、皆さんもよく知ってるような、例えば、いろんなね、密教の神様がいますね。ああいう神様っていうのはだいたいヒンドゥー教の神様を仏教が取り入れ、で、形成されていったものです。そういうのもこの時代につくられていった。そういう時代ですね。
 で、そのヒンドゥー教の優秀な家の出のサラハが、あるとき仏教に改宗してしまうんですね。つまり仏教の師のもとに弟子入りしてしまった。で、これは、そのサラハを気に入っていた王様にとってはとてもショックな出来事だった。やっぱりその王様はヒンドゥー教徒だったから、やっぱり伝統的なヒンドゥー教こそ唯一の真理だって考えてたから、仏教っていうのは間違っていると思っていた。だからそっちの方にサラハが行ってしまったんで非常にショックであった。
 で、サラハは仏教の師匠について、しばらく修行するんですね。で、仏教の、まあ恩恵を得て、どんどん修行ステージを上げていくわけだけど。でもまだ究極の悟りには達していなかった。で、あるときに、サラハが夢の中でね、ある女性のヴィジョンを見るんだね。で、この女性は、いわゆる弓矢を作る職人の女性だった。で、これも、いつも言ってるけどインドはもともとカーストがあって、カーストっていうのはつまり、単純にね、奴隷とか庶民とか王族とかいう大ざっぱな分け方だけじゃなくて、ものすごく細かく分かれてるんですね。例えば床屋のカーストとか、あるいは今言った弓矢作りのカースト、あるいは花屋さんのカーストとかね。まあつまり花屋さんに生まれたら、もう花屋決定なんです。花屋から逃れることはできないんです。これはね、いい悪いは別なんですよ。西洋的な、いわゆる自由主義から見ると、それは非常に不自由な悪しき風習ってなるけども、もともとそのような西洋的な発想が入る前のインドっていうのは、もうそれが当たり前だから、ある意味カルマヨーガなんだね。花屋に生まれたら全力で花屋を生きると。ね(笑)。これがインド人にとって修行だったんです。だから外部からああだこうだ言う問題じゃないと(笑)。今は違うよ。今は西洋的な考えが入っちゃったから、インド人の中でも多くの人が不満を持つようになってる。こうなったらカーストはもうなくなった方がいいかもしれない。でももともと、みんなが不満を持たずに自分の人生に完全に没入するような時代っていうのは、別にカーストっていうのは必ずしも悪いものじゃなかったのかもしれない。
 まあ、それはいいとして、多くのカーストの分け方があって。で、われわれにとってはね、なんていうかな、ちょっと理解できない上下関係があるんだね。うん。つまり、なんでこれが卑しい職業で、なんでこっちがいい職業なのかよく分かんない。根拠がよく分かんなかったりするんだけど、その中でいわゆる弓矢職人っていうのは、あんまり高い身分じゃないんだね。低いカーストなんです。で、その弓矢職人の女性をヴィジョンで見たんですね。で、サラハは、直感的にその女性が実在していて、で、自分にとって非常に重要な存在であるっていうことに気付いて、で、そのヴィジョンで見た場所に向かうんだね。
 で、その場所に向かったら、ほんとにその女性がいたわけです。ほんとにその女性がいて、弓矢を作っていた。で、それは、言ってみればただ弓矢を作ってるだけなんだけど、サラハっていうのはもともと非常に素質があって、しかもまあ、その前の、偉大なヒンドゥー教の修行、そして仏教の修行を固めてたから、すごく智慧の目が高まっていたわけですね。で、このマハームドラーの系統の一つの特徴っていうのは、なんていうかな、象徴を読み取る力がすごく強いんですね。どういうことかっていうと、その女性はただ、普通の人が見たらただ弓矢を作ってるだけなんだけど、実は多くの象徴を含んでるんです、そこに。で、それを見て、女性が表現していること、あるいは伝えたいことっていうのがあるわけだけど、それをサラハは見事に読み取るんだね。――それは細かくは今日は言わないけども、それをズバズバッて読み取って、サラハはそれをその女性に言うわけですね。「あなたは普通の女性じゃありませんね」と。「あなたがやってる行ないっていうのは、こうこうこういう意味がありますね」っていうことをズバズバッと言うわけですね。で、そこでその女性は非常に喜んで、まあ、サラハを弟子にするんだね。
 で、この女性っていうのは実は、いわゆるダーキニーだったわけですね。ダーキニー。ダーキニーっていうのは、密教によく出てくる、修行者を助ける女神です。密教っていうのは、いわゆる原始的な仏教と違い、シャクティ――シャクティっていうのは人間の生命力――を非常に重視するので。このシャクティっていうのは女性的なエネルギーなんだね。だからこのダーキニーっていうのも非常に重要視されるんだね。

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