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解説「ミラレーパの十万歌」第一回(10)

【本文】

 汝ら、霊と悪魔たち、ダルマの敵たちよ
 今日、わたしはあなた方を歓迎しよう!
 あなた方を迎えるのは、わたしの喜びだ!
 どうか、あわてずに、ここにいてください。
 語り合い、ともに遊ぼう。
 立ち去ることなく、今夜はここに泊っていってください。
 我々の、黒と白のダルマを戦わせよう。
 そして誰が最も遊び上手か見てみようではないか。

 あなた方はここに来る前に、わたしを苦しめることを誓ってきた。
 もしあなた方がこの誓いを達成せずに帰るなら、
 恥と不名誉が後に残るだろう。

 ミラレーパは毅然として立ちあがり、洞窟内の悪魔たちへまっすぐに向かっていきました。悪魔たちはおびえて、後ずさりし、失望して目をきょろきょろさせ、激しく震えました。そして渦巻きのようにともに回りながら、一つになって溶け込んで、消え失せました。

 ミラレーパは思いました。
「これは悪魔の王、妨害者ヴィナーヤカで、害を与えようと思ってやってきたのだ。嵐もまた、彼が生じさせたものだ。わがグルの慈悲によって、彼らは私を害する機会を得なかった。」

 この後、ミラレーパは大きな精神的進歩を得ました。

 この物語は、悪魔の王ヴィナーヤカに関するものですが、三つの異なった意味を持つので、
「わがグルについて考える六つの方法」
「赤い岩の宝石の谷の物語」
 または、
「薪を集めるミラレーパの物語」
と呼ばれます。

 はい。このようにして悪魔は去り、まあ話が終わるわけですが、ここの描写はまた、さっきも言った、わたしが個人的に経験した魔との戦いの中で、ちょっと思い出す部分がある。これも前に話したことがあるけど、あるときね、ある部屋があって、そこはまあ本がいっぱい置かれてる広い部屋だったんだけど、ちょっと変な部屋だったんだね。で、しかもそのころわたしちょっとね――まあ修行の段階としてあるんだけど、心がものすごく潜在意識に突っ込んでて、普段からちょっと瞑想の世界にいるような感じのときだったんだね。普段からいろんなヴィジョンが見えるみたいな。で、普段からちょっと心が深い意識に入っちゃてて、あまりそれをコントロールできてない状態。で、そのころその部屋に入ると、魔がいるのが分かるんです。「うわ!」って、魔的なものがいるのが分かる。で、すごくそれが怖かったんだね、そのとき。でもその部屋はわたしがそのころ仕事で使ってた資料とかがそこにいっぱい置いてあって、だから何回もそこに行かなきゃいけなかった。
 で、行くたびに嫌な感じがしてたんだけど、あるときまたその部屋に行きなきゃいけなくなったときがあったんだけど、ハッと自分の中でちょっと心が変わったんだね。それは何かっていうと、今までそのわたしは「うわ、魔的な感じで嫌だ」とか、「うわー、なんか悪魔か悪霊かいるのかな」「嫌だ」みたいな気持ちだったんだけど――つまり魔を恐れてたわけだね。つまり自分っていう存在がいて、で、その自分を脅かす魔みたいなものを怖がってる感じだったんだけど、よーく考えたら――これはわたしの考えですよ。わたしの思いとして、「わたしは、修行をして、そして悟りを得て、で、すべての生き物を救おうと思ってる」と。「すべての生き物を救済したいと思ってる」と。ところでこのような魔的な存在っていうのはどういう存在だろうか。それは過去の悪業によってこういう魔的な世界に生まれ変わってしまって、人を脅かしたりして楽しんでる非常に哀れな存在だと。ということは、わたしがこいつを怖がるっていうのはちょっと変な話だと。じゃなくて、「救わなきゃいけない」って思ったんだね。そのときね。「わたしは、偉大なるこの仏教やヨーガの道をしっかりと歩んで、一生懸命修行してる」と。「魔というのはそういう意味でいったら恐れるものではなくて、わたしが一生懸命頑張って救わなきゃいけないものだ」と。そういうふうに気付いて、「あ、今までわたしは間違っていた」と。で、そこですごい、なんていうか、強い心がグーッて出てきて、で、その部屋に入ったときにね、それまではちょっとオーバーに言うと、「うわー、おれに気付かないでくれ!」みたいな感じで(笑)、そーっと入るという感じだったんだけど、そのときはバッて入って、「さあ、来い」と。「隠れてないで来い」と(笑)。「みんな救済してやるから来い」みたいな感じでバーッて入ったら、その魔的なものがまさにシュルシュルシュルって消えていったんだね(笑)。で、それからその部屋に入っても出てこなくなったんです。これはわたしの個人的な経験だけどね。そういうのもまた思い出すね。
 だからこれも皆さん、今後、魔的なものと出会ったら参考にしたらいい(笑)。魔的なものと皆さんが出会ったときに、どのようにしてそれに勝ったり、もしくは乗り越えたりするかは、そのときの皆さんの段階にもよるので、一概には言えないんだね。それはミラレーパもここでいろんなことやってるけども――ミラレーパみたいに完全に空を悟ってる場合は何もいらない。「わたしはほんとに空を悟ってる」と。これによってもうすべてが消えてしまう。でもそこまで行ってない場合は、例えば、そうですね、あるときは帰依。帰依っていうのは一心にブッダを思う、神を思う、あるいは自分の師を思う、これによって魔的な妨害を避けるやり方もあるし、あるいは慈悲ね。慈悲とか四無量心とか菩提心、これを一生懸命考える。あるいは魔に対してもそういう思いを向ける。これによって魔が消えることもあります。あるいはそうじゃなくてミラレーパがちょっと途中でやろうとしたみたいに、強力なね、例えばヴァジュラサットヴァみたいなマントラ唱えて、このマントラ――これはもう完全に物理的方法です。マントラのエネルギー的なパワーによってバッて魔をこう弾き飛ばすやり方もある。これも段階によっては、あるいは相手の魔のその状態によっては有効なときもあるかもしれない。だからそれはもういろいろやってみるしかないね。
 はい。で、これがまあミラレーパにとっても、一つの大きな精神的進歩のきっかけになったわけだね。
 これはわたしも振り返ると、やっぱりそうです。魔とのいろんな戦いっていうか、いろんなことがあって、で、それを乗り越えたときにすごい精神的進歩があるっていうかね。
 それからこの途中にある、「これは悪魔の王、妨害者ヴィナーヤカで、害を与えようと思ってやってきた」と。「嵐もまた、彼が生じさせたものだ」と。「わがグルの慈悲によって、彼らはわたしを害する機会を得なかった」と。はい。つまり最初の物語の最初の方で出てきたミラレーパが吹き飛ばされた嵐、これも魔の仕業だったと。ただこの全体を見るとまたちょっと深いことが分かってくる。よーく考えてみてください。魔的な者がやって来て、ミラレーパを邪魔しようと思って、まずすごい風を浴びせましたと。次に洞窟の中に侵入してミラレーパを脅しましたと。ね。これが魔がミラレーパに害意を持ってやったことです。結果はどうですか。ミラレーパはさっき学んだように、強烈な風を浴びせられ、それを「ああ、小枝や服が破り取らされないように」って思ってたら、「いや、なんでわたしはこんなエゴを守ってるんだ」って思ってそれに気付いた。つまりエゴをもっともっと捨てなきゃいけないっていう謙虚な気持ちになった。つまり悪魔のおかげで謙虚になった。あるいは洞窟に悪魔がやってきた。ミラレーパが去れと言っても去らない。そこでやっと、「すべては心の現われであり、そして悪魔もわたしの心にほかならない」っていうことに気付き、そして悪魔を消し去ることができた。そこで精神的な進歩を得た。つまりわれわれにとって、つまり修行者にとって魔的な存在っていうのは、もちろん妨害ではあるんだが、われわれが師やブッダや神の祝福を受けながら謙虚な心でその一つ一つに真剣に対峙してると、結果的には魔が自分を助けてくれるみたいな感じになるんだね。
 これはわたしの経験でも多くのそういう経験がある。いろんな現象的にね、「あ、これは魔的な現象だ」っていうのはいろいろあるんだけど、結果的にそれを乗り越えたら前よりも良くなってる。その一瞬一瞬を見ると魔が邪悪な感じでやって来てたりするんだろうけど(笑)、全体的に見ると魔さえも神やブッダの使いみたいなものなんだね。表面的には、あるいは瞬間的には、もう来られると嫌な存在なんだけど、結果論として見ると悪魔さえも神やブッダの使いではないかって思えるぐらいに、われわれの修行進めてくれるんです。結果論としてはね。もちろん途中でやられちゃったら駄目だよ(笑)。魔にやられちゃったら、それはまあ、もちろん自分の修行不足なわけだけど。魔にやられちゃたら、「魔なんて来ない方が良かった」ってなっちゃうわけだけど、乗り越えた暁には、「あ、魔が来て良かった」っていうふうになるんだね。これはちょっと深い意味合いだけどね。
 だから魔的なものっていうのはもちろん表面的な意味では、修行を邪魔する本当に嫌な存在ではあるんだが、もうちょっと深い意味で言うと、実はそれはわれわれの心の隙があるから、あるいは心にまだけがれがあるからやって来るのであって、それは真剣に立ち向かわなきゃいけない。で、それを乗り越えるっていうことは、同時に自分の中の何かを乗り越えるってことにもつながるんだね。だからそういうふうに考えたらいい。
 魔っていうのは、先ほどのわたしの体験とか、あとミラレーパの話でもあったように、本当にヴィジュアル的に魔が現われる場合もあります。でも多くの場合はそうじゃない。多くの場合は現象として現われる。つまり現象として最近なんかおかしいぞと。どんどん修行できない方向に向かうとか、どんどん心が煩悩的になっていくとか、どんどん何かが崩れだす、何かがおかしくなり始める。それはいろんな隙から魔っていうものがやってきて、ちょっとしたところから自分が修行とか悟りから外れていくときがある。「あ、これは魔だ!」と。でもそれも、わたしの心の現われであると。で、一所懸命それと戦い、それを乗り越えたときに、大きな精神的進歩が皆さんにあると思います。

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