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解説「ナーローの生涯」第九回(5)

◎心において一つになる

【本文】
 その後、ナーローは、ある寺院にやってきて、そこの僧達をすべて論破しました。しかしそれを知ったティローは不機嫌になり、こう言いました。

「本に書いてあるのはただの言葉であって、それは市場で売っている不純なミルクと同じくらいひどいものだ。」

 そして臭くて汚いものを骸骨の器にいっぱいに満たし、ナーローに「これを食え」と言いました。ナーローがそれを飲み込むと、とてもおいしい味がしました。ナーローは思いました。

「純粋な精神性がないと、この汚いものはとてもまずく感じるが、純粋な精神性があると、これは永遠、不老、不死、純粋、平和、寂静、超越、至福という八つの風味がある。
 同様に、もし正しく瞑想しなければ、感情は輪廻の因となるが、もし正しく瞑想すれば、感情もニルヴァーナの至福となる。だからグルは私に、瞑想しろと言いたかったのだ。」

 ティローは、「お前の考えたとおりだ」と言いました。そしてナーローに、さまざまな行動において、誤った思考に陥らないための、障害を取り除く教えを与えました。そしてここにおいてティローとナーローは、心において完全に一つになったのでした。

 ナーローが完全にティローの心と一つになるときの話は、別の話も伝えられていますので、簡単に付け加えておきましょう。
 あるときティローはナーローに、お湯を沸かすように指示しました。ナーローが指示通りにお湯を沸かしていると、ティローは後ろからそーっと近づき、サンダルでナーローの頭を思い切り殴り、ナーローは気絶してしまいました。しかし気絶から覚めたとき、ナーローの心には、ティローの悟りが、そっくりそのまま移入されていました。

 まずナーローがある寺院で僧たちを論破したと。もともとナーローはインド一の大学者だったわけだから、仏教的知識とかもいっぱい知ってるわけですね。で、それで論破したわけだけど。でもティローは、「本に書いてあるのはただの言葉である」と。「それは市場で売ってる不純なミルクと同じくらいひどいものだ」と。
 もちろんいつも言うように、われわれのようなまだ完全に悟りを得ていない人にとっては、本の言葉っていうのはわれわれを導く材料になる。しかし最高の境地というかな、純粋な境地そのものに至った者にとっては、言葉遊びをあまりしていてもしょうがないっていうわけですね。

◎悟りの心のインプット

 はい、そして続いて、「臭くて汚いものを骸骨の器にいっぱいに満たし、ナーローに『これを食え』と言った」と。ね。で、それを飲み込むととてもおいしい味がしたと。
 で、まずここでナーローが「純粋な精神性がないと、この汚いものはとてもまずく感じるが、純粋な精神性があると、これは永遠、不老、不死、純粋、平和、寂静、超越、至福という八つの風味がある。同様に、もし正しく瞑想しなければ、感情は輪廻の因となるが、もし正しく瞑想すれば、感情もニルヴァーナの至福となる。だからグルは私に、瞑想しろと言いたかったのだ」と。
 これはさっき言ったこととも関連する話だね。つまり、まずここで、なぜこの腐ったような汚い臭いものがおいしかったのかっていう問題なんだけど、これはまさにティロー、つまりこのグル・ティローが――ティローっていうのはもう本当に桁外れの大聖者なわけですが――自分の力によってね、非常に汚い――皆さん想像してみてください。人によって汚いっていうイメージ違うだろうから。ね。骸骨の器の中にどろどろとした汚いものがいっぱい入ってる。例えば人の吐いたゲロであるとか糞尿であるとか、あるいは腐った食べ物であるとか、野良犬の食べ残しであるとか、もう本当に見るのも嫌だし匂いも嗅ぎたくないようなどろどろとしたものが入っていると。当然それは嫌なわけです、普通は。でもそれを、言ってみればティローが神通力によって――神通力によって、それをおいしく変えていたわけではない。ここでポイントは、神通力によってそれをおいしい食べ物に「エイッ!」って変身させたわけではないんです。つまり何を言いたいかっていうと――もっと分かりやすく言うと――ティローは大聖者です。大聖者であると。で、もう一回言いますよ、この誰も近寄りたくないような汚い食べ物があって、これは誰が食べても気持ち悪い。で、ティローがそれを超能力でおいしくしたわけではないんです。じゃあ何なのかっていうと、ティローは超越的な境地にいたので、そもそもそれがおいしかったんです。つまり汚いものをもう全く美味として感じることができたんだね、ティローはね。
 さあここで問題なわけです。それをティローはナーローに差し出したんです。もう一回言いますが、この食べ物は超能力で別においしくなっているわけではない。誰が食べても気持ち悪いものなんだが、ナーローがそれを食べたらおいしかったんです。つまりこれが、この最後に書いてある「ここにおいてティローとナーローは、心において完全に一つになった」っていうところなんだね。つまり、これがマハームドラーなんです。マハームドラーというかマハームドラーの特徴なんだね。
 マハームドラーと呼ばれる悟りのプロセスの一つの特徴は、前も言ったけども、グルの悟りの境地をそのままダイレクトに――この後のほうのね、「サンダルで叩いたら悟りがそっくり移入されていた」っていうのもそうだけど(笑)、ダイレクトにあげちゃってるっていうか、合一させてると。
 だから前もちょっといろんな例えで言ったけどね。前にも言った例えだけど、例えばね単純な例えでいうと、ある王国があったとして、その王国の王様がいたとして、その王様が「王になるにはどうしたらいいか」っていうセミナーとか開いて、「王になる教え」とかいうのをお金とって教えたとしてね(笑)、そのセミナーに参加したって何人が王になれるか分からないよね。そうじゃなくて、ここに美しい女性がいて、その女性が王様と結婚すると。結婚してしまえばその王が持っている権力、あるいは国の財産、あるいは王としての多くの喜び等を、それによって一瞬にしてその女性は手にすることができるわけだね。
 つまりもうグルが完全なダルマカーヤとか悟りの境地に達してしまっているならば、グルに完全に心を合わせることによって、あるいはグルからその心のエッセンスをインプットしてもらえれば簡単じゃないかと。これがマハームドラーのやり方なんだね。
 しかし当然このナーローが苦労したように、つまりその準備が大変なんだね。つまり普通はエゴが非常に強く、つまり「わたしは」っていう心が強すぎるから、それができない。よっていろんな試練が必要だったんだね。
 っていうのはさ、特に現代人って「わたしが」っていう心が強すぎるから、多分それができないどころか、この考え方さえ恐らく受け入れられない人が多いと思います。この考えが受け入れられないっていうのはどういうことかっていうと、例えば悟りを得たグルの心をインプットされるって聞いたらね、「え、そんなのは嫌だ」と。「おれはおれなんだから、おれのやり方でやる」っていう(笑)、そういうなんていうか発想になりやすいと思うんだね。それだけ現代っていうのは非常にエゴが強いっていうか。
 その場合、もちろん当然そのグルが悟りを本当に得てるのか、あるいはどの程度の悟りを得てるのかとか、あるいは究極の世界っていうかな、仏陀の世界とかと繋がってるのかっていうのが非常に問題になるわけだけども、もし繋がってるとしたら、当然それをもらっちゃった方が早いんだね。
 で、そのための準備作り。つまりさまざまな心の屈折、グルのプレゼントをストレートに受け入れることができないさまざまな屈折を治療するために、ナーローはひたすらティローからいろんな試練を受け続けてきたんだね。で、それによって勘違いっていうかな、ナーローの中にあるさまざまな修行に対する勘違い、あるいは祝福を受け入れることができない心の壁みたいなのが取れて、やっと準備ができて――一つの説だけどね――一つの説として、頭をバーンとサンダルで叩いたと。これによってパッとこう悟りの心が完全にインプットされたとかね。
 この汚いものを食べたっていうのは一つの象徴に過ぎないんだけど。つまりその前の段階で、もうほぼグルと同じ心の状態にはなっていて、まあその一つの試験みたいな感じだね。試験みたいな感じで「さあ食ってみろ」と。で、食ったらおいしかったと。つまりそれはもう完全に心の状態が一致してたっていうことですね。

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