yoga school kailas

覚醒の太陽(9)

3.忍辱のパーラミター

 忍辱が必要となるシチュエーションはさまざまであるが、それらが起こるとき、われわれはその出来事そのもの、あるいはそれらがもたらす苦しみによって落胆してはならず、それどころかその苦しみを堂々と受け入れなければならない。それらに巻き込まれて怒ったりすることはあってはならないことであり、人々がわれわれに与える危害のことは無視し、四無量心と、深遠なる空性の真実の瞑想に心を定めるべきである。

 苦しみを受け入れるべき三つの理由が存在する。

・苦しみは、われわれの悪業を枯渇させる。それゆえに、苦しみとはわれわれの悪業を一掃する箒のようなものであると理解して、苦しみを受け入れるべきである。

・苦しみによって、われわれは輪廻の放棄と衆生への慈悲、そして善行を身につけ、悪行を避けようという願いを成熟させる。それゆえに、苦しみはわれわれを善に向かって駆り立てるということを理解して、苦しみを受け入れるべきである。

・苦しみはわれわれのプライドを抑制し、妬みという棘を抜き去り、欲望や執着の力を打ち負かし、われわれを成就へと導く。それゆえに、苦しみは心の装飾品であるという見解を持って、苦しみを受け入れるべきである。

 他者が自分に対して為した危害に対して無関心になるという忍辱は、以下の三つの道理を考えて、培われなければならない。

・自分を害する者たちを慈悲の対象と見なすことによって。
 ――迷妄なる衆生は、錯乱した感情によって、己自身をも傷つけるであろう。ならば彼らが他者に危害を加えるのに何の不思議があろうか?

・すべての責任を自分に負わせることによって。
 ――自分に対して為された危害はすべて、間違いなくわれわれの過去のカルマのせいであると考え、われわれはこの目の前の状況において如何に行動すべきかと熟考すべし。

・菩薩行の支えとなってくれる忍辱を実践するというメリットを得ることができるのは、われわれの敵の助けがあってこそである、と考えることによって。

 かようにしてわれわれは、実際にわれわれに利益をもたらしてくれる敵を友と見なすことができるのである。

 忍辱は、以下の三つの方法で、しっかりと深遠なる教えを思索することで培うことができる。

・あらゆる戯論を超越した空性という究極の真理を熟考し、自分に対して為されている危害と、危害を為している者は、真実には両方とも存在しないと思索することで、忍辱を培うことができる。

・不可思議なる依存性の生起の相対的真理を思索し、危害を加えてくる者も苦しみそのものも独立しては存在しないと理解することで、忍辱を培うことができる。

・心の本性の不可分なる単一性を熟考し、怒り(として現れているものの正体としての心の本性)は純粋なるものであり、(怒りとしての表面的な現れには)何の根拠も起源もないのだと認識することで、忍辱を培うことができる。

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