yoga school kailas

覚醒の太陽(11)

5.禅定のパーラミター

 これには二つのパートがある。

(Ⅰ)集中を阻害する要因の放棄

(Ⅱ)寂止(シャマタ)の瞑想の対象への集中

である。

(Ⅰ)集中を阻害する要因の放棄

 第一のパート、集中を阻害する要因の放棄は、

(a)世俗的な関心事の放棄

(b)散漫な思考の除去

の二つに小区分される。

(a)世俗的な関心事の放棄

 世俗的な関心事の放棄に関して述べると、われわれの心は、両親、親族、友達などへの執着に支配されている限り、一点に没頭する境地に決して入ることはできない。ゆえに、習慣的に夢中になっていることをすべて放棄し、瞑想に適した隔離された場所に一人でとどまるべきである。

 褒美や栄光、称賛や良い評判、あるいは取るに足らない生活必需品に執着し、それらを追い求めることは、信ずるべき道の障害となるだけである。ゆえにわれわれは、そのようなものへの期待と不安をすべて断ち切り、自然に手に入るものだけに満足する訓練をしなければならない。

(b)散漫な思考の除去

 たとえ隔離された場所にいて、財産のようなものをほとんど追い求めていないとしても、心が愛欲の支配下に堕ちていれば、瞑想の真の集中状態はわれわれの中に生じず、心はサマーディの境地に安らぐことはない。したがって、愛欲への想いを放棄しなければならないのである。心を愛欲への執着から背けることは、特別な高度な段階の集中を得るためにはとりわけ重要である。ゆえに、そもそも異性とは容易く得られるものではなく、その本性は不浄であるという事実と、結果として異性というものは多くの苦しみを引き起こすこと――などを思索し、異性への渇望から心を退けるべきである。

 さらにわれわれは、八つの世俗的関心事と今生の一切の思考はわれわれの真の敵であると理解しなければならない。したがって、様々な欲望の悪しき思考によって引き起こされる問題をじっくりと熟考し、そして内なる気高き心を湧き起こさせて、どんなに多くの欲望が生じて来ようとも、それらを放棄するために心からの努力を行なわなければならない。

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