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要約・ラーマクリシュナの生涯(8)「ドッキネッショルのカーリー寺院」

8 ドッキネッショルのカーリー寺院

◎カルカッタにて

 ラムクマルは、カルカッタでサンスクリット語の学校を開き、同時に数軒の家の神々の祭司を毎日執り行なっていた。しかし学校の生徒が増え、非情に忙しくなったために、ラムクマルは学校の仕事に専念し、祭司の仕事はゴダドルにゆだねることにした。ゴダドルはそれを喜んでおこない、また彼はカマルプクルでそうであったように、すぐにすべての人々に愛されるようになった。人々は何かと理由をつけてはゴダドルに会いたがり、そのため結局ゴダドルの学業は全く進歩しなかった。
 
 そのようなゴダドルの様子を見て、ラムクマルはしばらくはほうっておいたが、ついにある日、保護者としての義務の感情に促され、彼の将来のことを心配して、もっと勉強に心を向けるようにとゴダドルに忠告した。
 それに対してゴダドルは、パンを得るための教育は受けたくないとう自分の思いを、様々な言葉で説明した。しかしラムクマルは彼の言葉を理解できなかった。

 その後、ラムクマルの経済事情は急速に悪くなっていった。様々な努力をしても効果がなかった。ラムクマルは仕事を変えようかとも考えたが、彼は学業を教えることと、祭司をおこなうこと以外の仕事は、学んだことも経験したこともなかった。この年齢にあっては、時代にあったもっとお金を稼げる仕事の技術を学ぶほどの時間も気力もなかった。
 そして結局、「ラグヴィールの思し召しにお任せしよう」ということになり、彼はそれらの思いから心を離して、日々の仕事を続けていった。
 そして実際に、神の思し召しによってある出来事が起こり、彼を経済的心配から救うことになるのだった。

◎カーリー女神のお告げ

 ラニ・ラスモニはカルカッタ南部のジャンバジャルに住んでいた。44歳のときに夫が亡くなり、彼女はその莫大な財産を相続し、その後それをさらに大きく増やし、カルカッタの人々の間では有名な富豪となっていた。
 彼女は信仰、活力、勇気、知性、心の落ち着きなど、無数の徳をそなえていた。特に貧しい人々への慈悲心が強く、彼らを助けるためには出費を惜しまなかった。その高貴な性質と善行により、漁夫という低いカースト出身であるに関わらず、ラニ(女王)の名に値する婦人として、あらゆるカーストの人々から敬愛されていた。

 あるとき、ラニの三女のカルナーマイーが亡くなった。しかしラニは、カルナーマイーの娘婿のモトゥラナトをとても気に入っていたので、彼を今度は四女のジョゴドンバと結婚させた。

 ラニ・ラスモニは、長年の間、カーシー(ヴァーラーナシー)に行って、宇宙の主ヴィシュウェーシュワラ(シヴァ神)と母なる神アンナプールナーに対して特別の祭祀を行いたいという望みを抱いていた。そのために巨額のお金を用意していたが、夫が突然亡くなり、資産管理の仕事が自分にのしかかってきたために、忙しさのあまり、しばらくはその念願を果たすことができなかった。
 しかし今や、モトゥラナトを初めとした娘婿たちが仕事を覚えて彼女の片腕となってくれるようになったので、彼女は仕事を彼らに任せ、いよいよ念願のカーシー参りに向けての出発の準備を整えた。
 しかしその出発の前夜、彼女の夢にカーリー女神が現れ、こう言った。

「カーシーに行く必要はない。バギラティー(ガンガー)河畔の美しい場所に私の石像を安置し、毎日食物をそなえて祭祀を行いなさい。私は像の中に現れ出て、汝の日々の礼拝を受けるであろう。」

 信仰深いラニは、この夢のお告げを非情に喜び、カーシー行きをやめて、貯めたお金はこのお告げの実現のために使おうと決心した。

◎ラニ・ラスモニの悩み

 彼女はお告げどおりにバギラティーの河畔に広大な土地を購入し、莫大な資産をつぎ込んで、いくつもの聖堂を含めた庭園の建設に着手した。
 1885年、この時点で工事はすでに7、8年続けられていたが、まだ完成に至っていなかった。ラニは、
「人の命はわからぬもの故、工事にこれほど長い年月を費やしていては、宇宙の母をここにお祀りしたいという私の念願は、私の生きているうちに叶えられるかどうかわからない」
と考え、まだ未完成であった時期に、奉安の儀式をおこなうことにした。

 さて、しかしラニには一つ、大きな悩みがあった。それは、彼女が低いカースト(シュードラ)の出身であるということである。
 彼女自身は、自分のカーストが何であれ、宇宙の母が自分の供養を受け取って下さることを、疑うことはなかった。しかし伝統に忠実なブラーフミンや高いカーストの信者たちは、寺院に来てプラサード(神に捧げられた食物のお下がり)を受けることはしないだろう、と考えた。
 これについて悩んだラニ・ラスモニは、諸方面の多くのパンディットに相談したが、一つも彼女の納得する答えはなかった。
 彼女がほとんど絶望していたとき、あのラムクマルの学校から、この問題に関する一通の意見書が届いた。それにはこう書かれてあった。

「もしラニが寺の資産をブラーフミンに譲り、彼が神像を安置して食物奉献をおこなうならば、聖典の掟は守られます。したがって、ブラーフミンやその他の高いカーストの者たちがそこでプラサードを受けても落ち度にはならないでしょう。」

 この意見を喜んだラニ・ラスモニは、家のグルの名前で寺院を奉献し、彼の許しを得てその資産を管理し、自分は彼の寺で奉仕する役員という位置に着こうと決めた。

 ところで、聡明なラニ・ラスモニは、家のグルとその家族に対してしかるべき敬意を払ってはいたものの、彼らが聖典に対して無知であり、したがって彼らが聖典に則って神への奉仕を正しくおこなうことはできないであろうと考えた。そこで彼女は、家のグルとその家族に捧げる贈り物には手抜かりのないように気をつけつつ、寺院における実際の奉仕の全責任は、他の、聖典に精通した、徳のあるブラーフミンの手にゆだねようと心に決めた。

 しかしここでまた一つ問題が生じた。宗教上の慣習に忠実なブラーフミンたちは、シュードラ階級の者などが安置した神像は、礼拝しないどころか、挨拶さえしなかったのである。彼らは、ラニ・ラスモニの家のグルになっているブラーフミンのことも、堕落したブラーフミンと見なし、事実上シュードラと見なしているほどだった。それゆえ、学識ある高貴なブラーフミンたちは決してラニ・ラスモニの寺院での祭祀は引き受けないということは明らかに思えた。しかしラニ・ラスモニは希望を捨てずに、この仕事を引き受けてくれる聖職者を諸方に探し続けた。

 するとモヘシュというブラーフミンが、ラニ・ラスモニへの協力を申し出た。彼は自分の兄のケットロナトを、寺院の中のラーダー・ゴーヴィンダ聖堂の神職として推薦した。しかしカーリー聖堂の神職に相応しい人物を見つけることがなかなかできなかった。
 
 モヘシュはラムクマルと知り合いであり、ラムクマルをカーリー聖堂の神職に推薦しようと考えた。しかしラムクマルがシュードラ階級のラニが建立した聖堂の神職を引き受けてくれるかどうか心配だったモヘシュは、とりあえず奉安の儀式の当日だけでも神職を引き受けてくれるようラムクマルに頼んだらどうかと、ラニ・ラスモニに提案した。

 前述の意見書の件でラムクマルのことを高く評価していたラニ・ラスモニは、その提案に喜び、低くへりくだった態度で、彼に手紙を書いた。

「私はあなたのご指示を頼りに、今は宇宙の母の神像奉献の準備を整え、次のスナーナ・ヤーットラー(ジャイシュタ月の満月)の日の吉祥の時刻に儀式をおこなうための一切の手配もいたしました。私どもはラーダー・ゴーヴィンダのお祀りのために聖職者を見いだしました。しかし母カーリーのお祀りの司祭を務めてくださるブラーフミンはまだ見つかっていません。どうぞ何とかご都合をつけてくださって、私のこの窮境をお救いください。あなたは聖典に精通した学者でいらっしゃいますから、私から申しあげる必要はないことですが、これは誰彼の区別なしにお願いできる役目ではないのです。」

 モヘシュはこの手紙を持ってラムクマルを訪れ、事情を説明して、適当な人が見つかるまで、カーリー聖堂の司祭を務めてくれと説得した。信仰深いラムクマルは、最初は、宇宙の母の奉献式が中止されることがあってはならないと考えて、その役を引き受けた。そして結局その後、適当な人が見つからぬままに、ラニ・ラスモニとモトゥルの懇請にしたがって、生涯をここで暮らすことになったのである。

 ラムクマルが奉安の儀式だけではなく、その後もカーリー聖堂の司祭を務めることになったと聞いたとき、ゴダドルは最初、それに反対した。彼らの父も、シュードラのためには祭祀を行わないという伝統を守っていたからである。議論の末に、彼らは「ダルマパットラ」という手段で神意をはかることにした。
 これはベルの葉または紙片を二枚用意し、それぞれに意見を書いて、それを子供に引かせるというものである。
 この試みの結果、ラムクマルが勝利し、彼はカーリー聖堂の司祭を続けることになった。このとき引かれた葉には、「ラムクマルは神職の役を引き受けても罪は招かない。すべての人々のためになるであろう」と書かれていたといわれている。

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