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要約・ラーマクリシュナの生涯(30)「若き日のナレンドラと初めてのドッキネッショル訪問」②

◎ヴィヴェーカーナンダが語る、初めてのドッキネッショル訪問

 この日の出来事について、後にヴィヴェーカーナンダはこう語った。

「私が歌い終えると、師は立ち上がって私の手を取り、北側のベランダに連れ出された。冬だったので、柱と柱の間の空間はござでできた仕切りでおおわれていて、北風を防いでいた。つまり部屋の戸が閉まると、ベランダにいる人は完全に隠れて見えなくなってしまうのだ。師はベランダに出るとすぐに戸を閉められた。師が個人的な指示をお与えくださるのだろうと思った。しかし師がおっしゃったこと、なさったことは、全く信じられないことだった。師は私の手を取ると、喜びの涙を滝のように流されたのだ。親しい友人のように愛情をこめておっしゃった。
『ずいぶん来るのが遅かったのだね。これで良いと思っているのかね? どんなにお前を待っていたか、わからなかったのかね? 世俗的な人々のおしゃべりで、私の耳は焼け焦げてしまいそうだ。自分の本当の気持ちを誰にも言えずに、心は張り裂けんばかりだったのだよ!』
 こうして泣いたりわめいたりし続けられたのだった。それから突然合掌して立ち上がると、まるで私が聖人ででもあるかのように話しかけられた。
『主よ、私はあなたがどなたなのか存じ上げております。あなたは古代の賢者ナラ・ナーラーヤナの化身であられます。人類の苦しみと悲しみを取り除くために、下生なされたのです』
とね。」

「私は、師がなされたことに唖然として、独り語ちた。
『いったいどういうお方なのだろうか? 気が狂っているに違いない! どうしてヴィシュワナート・ダッタの息子に他ならない私に、こんなふうに話されるのだろうか?』
 だが、私が答えないままでいると、お部屋に戻っていかれた。師はバターや氷砂糖、サンデーシュを手にして戻ってくると、ご自分の手で私に食べさせてくださった。だが友達に分ける菓子をくださるようにいくらお願いしても、聞き入れられなかった。
『彼らにはあとで与えよう』
とおっしゃった。
『これはお前の分だから』
と、私が全部食べきるまで満足されなかった。それから私の手を取るとおっしゃった。
「また近く、今度は一人で来ると約束しておくれ。』
 あまり熱心に頼まれたので、断るわけにはいかなかった。私は『まいります』と申し上げた。それから師と部屋に戻ると、友人たちと座に着いたのだった。」

「私は注意深く師を見つめた。他の人に対する言葉、動き、態度には何ら異常は見られなかった。それどころか、その言葉や法悦状態は、神のために一切を捨てた放棄者であることを物語っていた。自ら実践していることを説かれているのだった。
『神は、ちょうど私がお前を見て話しかけているように、見ることも話すこともできるのだよ。だが、誰がそんなことをしたいと思うだろうか? 人は妻や子供、金や財産のことで嘆き悲しみ、水差し一杯の涙を流す。しかし誰が神のヴィジョンを求めて涙するだろうか? でもね、本当に神を見たいと思って神に祈るなら、神は必ずお姿を見せてくださるのだよ。』」

「こうしたお言葉を聞くうちに、それまでの美辞麗句を並べ立てた他の宗教指導者と師が全く違うことを、ますます確信するに至ったのだ。すべてを放棄して、全身全霊を込めて神に呼びかけ、実際に悟ったことだけを語られた。そのお言葉と私に対する奇妙な態度を一致させようとした私は、やはり偏執狂に違いないと結論したのだった。しかし師の放棄の偉大さは認めざるを得なかった。私は思った。
『さて、この人は気が狂っているかもしれない。それでもここまで放棄できるとは、実に稀な魂だ。そうだ、狂人だ。しかしなんと純粋なこと! 何たる放棄! まさに人類の敬愛と称賛に値する人だ。』
 こう考えて、師の御足に額ずいて別れを告げると、カルカッタに戻ったのだった。」

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