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要約・ラーマクリシュナの生涯(23)「ショーダシー・プージャー」

23 ショーダシー・プージャー

◎サーラダーデーヴィー、ドッキネッショルへ

 前述のように、1867年にラーマクリシュナが故郷のカマルプクルを訪問したとき、14歳になっていたサーラダーデーヴィーもそこへ呼ばれ、夫であるラーマクリシュナとまみえた。サーラダーデーヴィーはラーマクリシュナの無私の愛と心遣いを受け、その神聖な交わりの中で、言いようのない神々しい至福を経験した。
 後にサーラダーデーヴィーはこのことをたびたび、信者たちにこのように話した。

「私の心は絶えず言いようのない至福に満たされており、そのとき以後私は常に、まるであふれるほどに満たされた至福の瓶が自分の心の中に据えられているように感じました。」

 数ヶ月後、ラーマクリシュナがカマルプクルからドッキネッショルに戻ったとき、サーラダーデーヴィーもまた実家に帰った。至福という無限の富をラーマクリシュナによって与えられた彼女は、行為、言葉、動作などのすべてが変化していた。それは彼女の心を移り気ではなく落ち着いた状態にし、出しゃばりではなく思慮深くし、そしてわがままではなく無欲にした。その上に、心の中に一切の不満や不足の感情はなくなり、他者の不幸と悲しみに対して限りなく同情深くなり、徐々に慈悲の権化そのものへと変わっていった。
 ラーマクリシュナから与えられたこの至福の影響で、日々の様々な苦しみも彼女にとっては些細なことと感じられるようになり、たとえ他者に対する心遣いや愛が報われなくても、少しも不満に思うことはなかった。
 こうして、物質的には最低の貧しい生活に満足しつつ、我が思いを心に秘め、実家にありながら、心は遙かドッキネッショルの師であり夫であるラーマクリシュナの御足の下に暮らしていた。

 そうして四年の月日が流れ、サーラダーデーヴィーは18歳になった。ラーマクリシュナへの思いは全く変わらなかったが、村の人々の心ないうわさ話に、彼女は心を痛めていた。村の男たちは、ラーマクリシュナは気が狂い、裸で『ハリ、ハリ』と言いながらうろついていると言い、同じ年頃の女性たちは、サーラダーデーヴィーを狂人の妻と言い、哀れみ、軽蔑の目で見た。サーラダーデーヴィーは何も言い返さなかったが、深く心を痛め、さんざん考えた揚げ句、自らドッキネッショルに出向き、事実を確かめてみようと考えた。

 シュリー・チャイタニヤは、パールグン月の満月の日に生まれた。これはドル・ヤーットラー(ブランコ祭)、つまりシュリー・クリシュナをブランコに乗せて揺り動かすという祭礼の日である。毎年、このときにガンガーの聖水を浴びるために、ベンガルの遠い外れの地方からも大勢の人々がカルカッタにやってくる。
 サーラダーデーヴィーの遠い親戚に当たる婦人たちが数名、今年は自分たちもその祭礼に合わせてカルカッタに行こうと考えていた。それを知るとサーラダーデーヴィーは彼女たちに、自分も一緒に連れて行ってほしいと頼んだ。婦人たちがこのことをサーラダーデーヴィーの父親のラームチャンドラ・ムコパッダエに告げると、彼は娘の真意を悟り、自分も一緒に行くことにした。

 その頃には鉄道ができたことにより、カルカッタと、遠く離れたカーシー(ヴァーラーナシー)やヴリンダーヴァンなどへの移動は楽になっていたが、ラーマクリシュナの生地カマルプクルやサーラダーデーヴィーの生地ジャイラムバティなどの田舎はそのような恩恵を受けておらず、カルカッタからは相変わらず遠かった。ラームチャンドラ・ムコパッダエもサーラダーデーヴィーも、そしてその他の婦人たちも、徒歩でカルカッタへの長い旅に出発したのだった。

 最初の二、三日は皆、楽しく元気に歩いていた。しかしこのような長旅に慣れていないサーラダーデーヴィーが、高熱を出して倒れてしまった。
 しかしこの高熱の中で、サーラダーデーヴィーはあるヴィジョンを見た。熱にうなされ横になっているサーラダーデーヴィーの傍らに、一人の少女がやってきて座った。その顔色は黒かったが、かつて見たことがないほど美しかった。少女はサーラダーデーヴィーの枕元に座り、サーラダーデーヴィーの頭と体をなでた。するとサーラダーデーヴィーの体の熱と焼けるような感じは次第に引いていった。サーラダーデーヴィーが少女に「どこからおいでになったのでしょうか?」と尋ねると、少女は、「ドッキネッショルから来ました」と答えた。サーラダーデーヴィーは驚いて、こう言った。

「ドッキネッショルですって!? 私も、彼に会い、そして彼に仕えるために、あそこに行こうと思っていたのです。でもこんな熱病にかかってしまいましたので、私の願いは叶えられないでしょう。」

 するとその美しい少女はこう言った。

「そんなことがあるものですか。必ずあなたはドッキネッショルに行くことができますよ。あなたはよくなってあそこに行き、彼に会います。私が彼をあそこに引き留めているのは、あなたのためなのです。」

「そうなのですか? あなたは私たちの親類でいらっしゃるのですか?」

「私はあなたの姉妹です。」

「本当!? だから来てくださったのですね!」

 このような会話を続けるうちに、サーラダーデーヴィーは眠ってしまった。

 そして翌朝起きると、サーラダーデーヴィーの熱はひいていた。まだ体調はよくなかったが、前夜のヴィジョンに励まされて、サーラダーデーヴィーは再び歩き出した。途中で駕籠が見つかったので乗ったが、サーラダーデーヴィーはまた熱を出してしまった。しかし昨日ほど高くはなかったので、サーラダーデーヴィーは生来の忍耐心によって、誰にもそれを言わずに熱に耐えた。
 そしてついにその夜の九時頃、サーラダーデーヴィーはドッキネッショルのラーマクリシュナのもとへと到着した。

 ラーマクリシュナは、熱に苦しんでいるサーラダーデーヴィーを見て心配し、こう言った。

「とうとうやってきたのだね。ああ! 私のモトゥルはもういない。誰が君の面倒を見るのかな。」

 薬、食事などの行き届いた配慮のおかげで、サーラダーデーヴィーは三、四日のうちに回復した。そしてラーマクリシュナはその後、サーラダーデーヴィーを、当時ナハヴァト(音楽堂)に住んでいた彼の母親のもとで一緒に住まわせることにした。サーラダーデーヴィーは喜んでナハバトに住み、ラームチャンドラ・ムコパッダエは、娘の幸せそうな様子を見て、喜んで家に帰っていった。

 こうして月日は過ぎていった。夫のラーマクリシュナも妻のサーラダーデーヴィーもまだ若く、そして非常に近くに住み、また最初の頃はラーマクリシュナは、サーラダーデーヴィーを自分のベッドに一緒に寝かせたこともあった。にもかかわらず二人は、普通の夫婦のような性的交わりは一度もおこなうことはなかった。これについてラーマクリシュナは後にこう語っている。

「もし彼女(サーラダーデーヴィー)があれほど純粋でなく、自制力を失って私を責めるようなことでもしたなら、それでも私の自制は破られず、肉体意識が起こらなかったと誰が保証できよう。私は結婚後、彼女の心を色欲から完全にお守りくださるよう、母なる神に懇願していた。当時彼女と一緒に暮らしてみて、母なる神が本当に私の祈りを聞き届けてくださったことを知ったのだよ。」

 

◎ショーダシー・プージャー

 1873年5月25日、パラハーリニー・カーリカー・デーヴィーを祀る神聖な行事が行われる新月の日だった。ラーマクリシュナはその日、宇宙の母を祀るための特別な準備をした。それは聖堂ではなく、自分の部屋の中に密かに準備されたのである。準備がすべて終わったのは午後九時頃であった。そこにサーラダーデーヴィーが呼ばれ、儀式が始まった。

 マントラによって祭具が清められ、一連の前行が終わると、ラーマクリシュナはサーラダーデーヴィーを、米の粉の絵の具によって文様が描かれた木製の座に座らせた。サーラダーデーヴィーはすでに神聖な半意識状態に入っていた。それ故、自分が為しつつあることをハッキリとは意識していなかった。
 
 ラーマクリシュナは聖典の指示通りに、マントラによって清められた水を、何度もサーラダーデーヴィーに振りかけた。そしてマントラを唱え、祈りを朗唱した。

「おおあなた、おお、すべての力の支配者であられる母トリプラスンダリーよ、完成への扉を開きたまえ。彼女(サーラダーデーヴィー)の心身を清めて、御自らを彼女の内にあらわし、ご慈悲を垂れたまえ。」

 そしてラーマクリシュナは、聖典の指示通りに、サーラダーデーヴィーの身体にニヤーサ(マントラを唱えて身体の各部分を諸々の神に譲渡する儀式)を行い、16種類の品物を捧げて、サーラダーデーヴィーを女神そのものとして礼拝した。それから食物を供え、その一部を自らの手で彼女の口に入れた。サーラダーデーヴィーは通常意識を失い、サマーディに入った。ラーマクリシュナもまた半意識状態でマントラを唱えつつ、完全なサマーディに入った。ラーマクリシュナはサマーディの中で、サマーディにある女神と完全に一体となったのである。

 長い時間が経過した。真夜中を過ぎ、さらに数時間が過ぎた。このとき、サマーディで真我に歓喜していたラーマクリシュナは、わずかに通常意識を取り戻し、半意識状態の中で、自らを女神に捧げた。ラーマクリシュナは今や、彼のすべてを――サーダナーの果実、種々の持ち物、そして彼自身そのものを、永遠に女神の蓮華の御足に捧げ、そしてマントラを唱えつつ、彼女に挨拶をした。

「おお、御身、すべての幸あるものの幸いよ! 
 おお、避難所よ!
 おお、三つの目を持ちたもうお方よ!
 おお、白き肌のシヴァのお妃よ!
 おお、ナーラーヤニーよ!
 御身を礼拝したてまつる。御身を礼拝したてまつる。」

 祭祀は終わった。サーラダーデーヴィーの身体に宿った宇宙の支配者、母なる神、神秘の叡智そのものの権化へのこの礼拝によって、ラーマクリシュナのサーダナーは最高潮に達した。すべての面において完成に達したのである。

 このショーダシー・プージャーの祭祀の後、サーラダーデーヴィーは五ヶ月間、ラーマクリシュナとともに暮らした。昼はナハヴァトに住みつつラーマクリシュナとラーマクリシュナの母への奉仕にいそしみ、夜はラーマクリシュナと同じベッドで寝た。
 この頃のラーマクリシュナは、夜となく昼となく、バーヴァ・サマーディに入り続けていた。そしてときどき完全にニルヴィカルパ・サマーディに没入しきり、身体に死の徴候が現れることもあった。夜中に突然このような状態が起きたらどうしようかと心配して、サーラダーデーヴィーは眠ることができなかった。
 あるときは、ラーマクリシュナが長い間サマーディから通常意識に降りてこないので、サーラダーデーヴィーは危険を感じ、フリドエたちを起こして助けを求めた。フリドエがかなり長い間ラーマクリシュナの耳元で神の御名を唱えて、ようやくラーマクリシュナは通常意識に戻って来た。
 これらのことを知り、サーラダーデーヴィーが毎晩眠れないことを知ったラーマクリシュナは、その後は夜はサーラダーデーヴィーをナハヴァトで休ませることにした。

 こうして結局このときはサーラダーデーヴィーは一年四ヶ月をドッキネッショルでラーマクリシュナとともに過ごした後、おそらく1872年の10月頃、カマルプクルへと帰って行った。

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