要約・ラーマクリシュナの生涯(16)「ラームラーラーへのヴァーッツァリア・バーヴァ」
16 ラームラーラーへのヴァーッツァリア・バーヴァ
1864年頃、ドッキネッショルに、ジャターダーリーという修行者がやってきた。彼は礼拝の対象として童子ラーマチャンドラの像を持っており、長年にわたって深い愛を込めてこの像に仕えているうちに、彼の心は深いプレーマ(神への至高の愛)の状態に没入した。彼は時々、光り輝く童子ラーマのヴィジョンが瞬間的に現れ、彼を至福で包むのを経験した。そしてさらに修行が進むに連れて、そのヴィジョンはさらに強烈になっていった。そしてついにはそのヴィジョンは一般に外界のものを普通に目で見るのと同じようにハッキリとしたものとなり、また時間的にも長く続くようになった。
このように神への愛に満ちた瞑想状態に常に入りつつ、彼はほとんど絶え間なく、童子ラーマと一緒の世界に暮らしながら、インド国内の様々な聖地を遍歴していた。そしてついにこのドッキネッショルへとやってきたのだった。
このようにジャターダーリーは頻繁に童子ラーマの姿を眼にしていたけれど、そのことを誰にも明かさないでいた。しかしゴダドルは、初対面のときに、ジャターダーリーがそのような境地にあることを見破った。そのためゴダドルはジャターダーリーを尊敬し、彼がラームラーラーへの奉仕に必要とする品々を喜んで提供した。
もともとゴダドルの家の神はラグヴィール(ラーマ)であり、また前述のようにハヌマーンのムードのダーシャ・バーヴァの修行に没頭しているときも、ゴダドルはラーマへの深い愛と信仰の中にあった。そして今、ジャターダーリーと会い、会話を交わすことによって、ゴダドルの中に、主ラーマへの愛と信仰が再び甦った。そしてジャターダーリーが礼拝しているラームラーラーの像の中に、ゴダドルもまた、主ラーマの童子の姿をハッキリと見た。
ゴダドルは以前に家の神ラグヴィールへの礼拝のためのラーマのマントラを授けられていたが、今度は童子ラーマ(ラームラーラー)への母親としての愛の態度のためのマントラをジャターダーリーに授けられ、そのサーダナーに没頭すると、わずか数日間で、童子ラーマの神聖なヴィジョンを常に見るようになった。
ゴダドルの心は、ジャターダーリーが持つその童子ラーマへの母性愛でいっぱいになり、母親が自分の幼子に対して感じるような素晴らしい愛と執着を童子ラーマに感じるようになった(ヴァーッツァリア・バーヴァ)。ゴダドルは時を忘れて、ジャターダーリーの童子ラーマの像のそばにいつもいるようになった。なぜならこの光輝く童子ラーマは、様々な子供らしい愛らしい仕草をして、ゴダドルに他の一切のことを忘れさせるのだった。またこの童子ラーマはいつもゴダドルがいる方向を見つめてゴダドルが来るのを待っており、またゴダドルが来るなと言っても聞かずに、ゴダドルが行くところどこにでもついてきた。
この頃のことについて、後にラーマクリシュナはこう語っている。
「日が経つに連れて、ラームラーラーの私への愛情が深まるのが感じられた。私がジャターダーリーといる限り、ラームラーラーは幸せそうにふざけていた。しかし私がその場所を離れて自分の部屋に行くと、急いでついてくるのだよ。ついてくるなと言っても、ジャターダーリーと一緒にいてくれないのだよ。最初は、錯覚だろうか、とも思った。だってジャターダーリーが信愛を込めて長年礼拝してきた神像が、どうして彼よりも私を愛するだろうか? でも私の想像ではなかったのだよ。私は実際にまるでお前たちを見るように、ラームラーラーが私の後ろや前を踊りながらついてくるのを見たのだもの。膝に乗せてほしいとせがむこともあった。ところが抱き上げると、今度はじっとしていないのだ。日を浴びて走り回ったり、茨の茂みに入って花を摘んだり、ガンガーに入って水しぶきを上げたり、泳いだりしたのだよ。私は何度も言ったのだよ、『坊や、そんなことはやめなさい。日なたを駆け回ると足の裏が火ぶくれになるよ。そんなに長く水の中にいると風邪を引いて熱を出すよ』とね。なのにいくら言っても聞いてくれないのだ。そしてまたすぐにイタズラをし始めたのだよ。美しい瞳で優しく私を見つめたり、またときには口をとがらせてふくれっ面をしたりしたのだよ。『今日こそはお仕置きだよ。懲らしめてやるからね』私は彼を水の中や日なたから引っ張り出しては、何かを与えて騙しながら、部屋で遊ぶように誘ったのだ。悪さが過ぎると、ぴしゃりと叩くこともあった。するとふくれっ面をして、目に涙を溜めて私を見るので、私はひどく辛くなって、また膝に抱き上げてあやしたものだった。こうしたことは実際に起こったことなのだよ。」
「ジャターダーリーがラームラーラーのために料理を作ったのに、ラームラーラーが見つからないこともあった。困ったジャターダーリーが私の部屋に探しに来ると、床で遊んでいるラームラーラーを見つけたのだった。ジャターダーリーはひどく傷ついて、叱った。『大変な思いをして料理をしたのですよ。あちこち探し回ったのに、ずっとここにいたのですね! 私にはかまってくださらない。すべてお忘れなのだ。いつもそうなのですね。好きなようになさるがいい。思いやりも愛情もないのですね。あなたは両親を残して森に入ってしまわれた。哀れな父君は失意のあまりに亡くなられたのに、あなたはその死の床にさえ姿を現されなかった!』こう言ってジャターダーリーはラームラーラーを自分の部屋に引っ張っていって料理を食べさせたのだよ。」
「ある日ラームラーラーはずっと食べ物を欲しがっていたのに、私にはちゃんと脱穀されていない米を炒ったものしかなかったのだ。それをラームラーラーが食べているうちに、繊細で柔らかなその舌が、米の殻に傷つけられてしまったのだよ。何と後悔したことだろう! ラームラーラーを膝に乗せて、私は叫んだ。『母君コーサリヤーがあんなに注意深くクリームやバターをお与えだったのに、こんな粗野なものを食べさせてしまうとは、私はなんたる粗忽者なのだろう!』」
この話を信者たちに話したとき、ラーマクリシュナは、ずっと昔の話なのに、当時と同じ感情にうちひしがれ、激しく泣きだした。ラーマクリシュナとラームラーラーの超越的な関係を理解することができない多くの信者たちも、もらい泣きをしたほどだった。
ジャターダーリーはそれまではインド各地の聖地を放浪し続けていたが、ふらっと立ち寄ったこのドッキネッショルで、最愛のラームラーラーがゴダドルを愛し、そのそばを離れるのを嫌がったために、ジャターダーリーもドッキネッショルを離れることができず、しばらくの間ドッキネッショルに滞在し続けた。
そしてゴダドルのラームラーラーへの母としての愛のムードは最高潮に達し、ついに彼は「ダシャラタ王の息子であるラーマは、すべての衆生の中に存在する。またラーマは全宇宙に遍在し、かつそれを超越している」ということを悟った。
そしてジャターダーリーがドッキネッショルを去るときのことについては、後にラーマクリシュナはこう言っている。
「ある日ジャターダーリーがやってきて、歓喜の涙を流しながら言うのだ。
『私は今まで気づかなかったけれども、私が長年願っていたなさり方で、ラームラーラーがお姿をあらわしてくださいました。今や生涯の願望は成就されました。ラームラーラーはここから出て行かないと言っています。あなたと別れたくないのです。でも私はもう悲しくありません。あなたと幸せに暮らし、楽しく遊んでいる彼を見ると、私は至福に満たされるのです。彼の幸せこそ私の幸せだと今は悟りました。彼をあなたにお預けして、私は出て行こうと思います。ラームラーラーがあなたと幸せでいると知れば、私も幸せでしょう。』
そしてジャターダーリーは私にラームラーラーの神像を残して別れを告げたのだ。それ以来、ラームラーラーはここにいるのだよ。」