要約・ラーマクリシュナの生涯(12)「修行の最初の四年間のその他の出来事」③
さて、ゴダドルのサーダナーの最初の四年間の中にも、様々な他の出来事もあった。
あるときは突然ゴダドルは、彼の家の祭神であるラグヴィール(ラーマ)に心を惹かれた。そして自分をマハーヴィーラ(ハヌマーン)とみなして、ラグヴィールへのダーシャバーヴァ(神のしもべとしての信仰態度)の修行に励んだ。
当時ゴダドルは、自分はハヌマーンであると常に考え続け、その思いに深く没頭していた。後にラーマクリシュナはこう言っている。
「当時は私はマハーヴィーラ(ハヌマーン)のように歩き、食物をとり、その他すべての行動をしなければならなかった。自分でそうしようと思ってするのではなく、行動が自然にそうなったのだ。私は着衣がしっぽに見えるように腰に巻いて結び、跳びはねながら歩いた。果物と草の根しか食べず、しかも皮がむいてあると食べたいとは思わなかった。大方のときを樹の上で過ごし、常に太く低い声で『ラグヴィール、ラグヴィール』と叫んだ。目はあの種の動物(猿)のように落ち着かぬ表情を示し、おまけに驚いたことには、尾てい骨がその頃には一インチ近く伸びたのである。このムードの圧倒的な強さが収まると、やがてそれは徐々に元の形に戻った。」
「その頃のある日、私はパンチャヴァティの下に座っていた――瞑想していたのではなく、ただ座っていた――そのときに、一人の、比べるものもないような、光り輝く女性の姿が私の前に現れて、辺り一面を照らした。私がそのときに見たのはその姿だけではない。パンチャバティの木々や草も、ガンガーも、周囲のあらゆるものが同時に見えていたのだ。私は、それを(人間の)女性の姿であると見た。目が三つあるなどの、女神の印はなかったからである。しかし、愛、哀れみ、及び忍耐を示すその顔の、非凡な、霊気に満ちた、荘厳な表情は、女神たちの中にもざらに見られるようなものではなかった。私を慈悲深く見つめながら、その女神のような女性は、北から南へとゆっくりとした重々しい足取りで私の方に近づいてきた。
私がこれは誰だろうといぶかっていると、そのとき突然、どこからとも知れず黒い顔をした猿が現れて彼女の足下に座り、私の心の中で何者かが『シーターだ。その生涯が悲しみの一生だったシーターだ。ジャナカ王の娘のシーターだ。ラーマを彼女の生命そのものとしていたシーターだ』と叫んだ。
『母よ』と繰り返しながら、私は彼女の足下に身を投げようとしたが、そのとき彼女は素速くやってきて、これ(ラーマクリシュナ自身の身体)の中に入った。喜びと驚きに圧倒され、私は完全に意識を失って倒れた。
その前には私は、瞑想もしていないときにそのようなかたちでヴィジョンを見たことはなかった。これが、この種のヴィジョンの最初のものだった。」
これに関連して、ラーマクリシュナの直弟子の一人であるスワミ・サーラダーナンダは、こう言っている。
「シュリー・シーターは師(ラーマクリシュナ)に、彼女のほほえみを贈り物として与えた。それ故、師(ラーマクリシュナ)がほほえむのを見た者は、彼女(シーター)のほほえみを見たのだ。」
またあるときはゴダドルは、プラーナーヤーマその他のハタヨーガの修行に励んだ。しかし後にはラーマクリシュナは、そのような修行法は今の時代には合わないという理由で、弟子たちにはハタヨーガの修行を禁じた。
またあるときはゴダドルは、いきなり口から大量の濃厚な血を吐いた。布きれでおさえて止血しようとしたが、出血は止まらなかった。ちょうどその日、一人の優れたサードゥが寺院にやってきており、物音を聞いてゴダドルのところに近づいてきた。彼は、ゴダドルが吐いた血の色と、口の中の出血の箇所を調べて、こう言った。
「恐れることはありません。血が外に出たのは大変良かったのです。あなたはヨーガを実践なさったとお見受けします。その結果、スシュムナー管の口が開き、身体の血が頭に向かって流れたのです。それが頭に行く代わりに、自然に口の中に流れてきて、本当に良かった。この血がもし頭に達していたなら、あなたはジャダ・サマーディに入り、このサマーディは決して終わることはなかったでしょう。宇宙の母は、あなたの身体によって何か特別のことを成し遂げようとしておいでなのです。そのために彼女がそれを救われたのだと私は思います。」
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