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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(6)「布施と放棄」

◎布施と放棄

「一切の衆生のために、自らの身体、持ち物、過去世・現世・来世の幸福を放棄し、衆生を保護して、衆生の清浄を増大させるべし。」

 この菩薩の戒をしっかりと受け保つべし。

 ボーディサットヴァ・プラーティモークシャには、このように説かれている。

「菩薩が次の五つの『絶えず行なう行』を具足すれば、速やかに無上の最正覚の果報を得る。

①菩薩が深く堅固に作意して無上なる道を求め、菩提心を発して、小乗の修行者のステージに堕落しない。これが最初の『絶えず行なう行』である。

②自ら一切の所有を捨て、布施をし、物惜しみの心を持たない。これが第二の『絶えず行なう行』である。

③一切の衆生を救済するまでは、決して怠惰な心を起こさない。これが第三の『絶えず行なう行』である。

④一切は存在でも非存在でもなく、生まれることも滅することもないということを悟り、これに反するもろもろの見解に堕落しないこと。これが第四の『絶えず行なう行』である。

⑤全智を得るまでは、休まずたゆまず努力し続ける。これが第五の『絶えず行なう行』である。」

 それゆえに、適切な方法によって、絶えず、自己を放棄(布施)し、自己の持ち物を放棄(布施)し、自己の功徳を放棄(布施)することによって、清浄さは増大する。
 この放棄と布施を促進することに加えて、愛著のデメリットを瞑想することによって、愛欲は消え去る。
 よって、放棄と布施の素晴らしさを瞑想すべきなのである。

 チャンドラプラディーパ・スートラには、こう説かれている。

「愚者はこの堅固でない肉体に執着するが、それは無常である。
 一生は一瞬のうちに過ぎ去り、夢幻のようである。
 さらに、この肉体によってもろもろの悪業を作るが故に、苦しみは常につきまとう。
 この無明によって、死後は悪趣に落ちる。」

 また、アナンタムカ・ニルハーラ・ダーラニー(無量門ダーラニー)には、こう説かれている。

「財産や利益を計算し、とらわれることによって、衆生は闘争の因を得る。ゆえにこれらの欲望愛著を捨て去るべし。」

 また、ウグラダッタ・パリプリッチャーには、こう説かれている。

「布施はもろもろの物惜しみの心をなくし、
 とらわれの心は、物惜しみの心を堅固にする。

 また、布施は欲望愛著をなくし、
 とらわれの心は、欲望愛著を増大させる。

 布施はもろもろのおもんばかりをなくし、
 とらわれの心は、もろもろのおもんばかりを有する。

 布施は恐怖をなくし、
 とらわれるなら恐怖は大きい。

 布施は悟りの道に導き、
 とらわれの心は魔境界に導く。

 布施は障害なき心を作り、
 とらわれは障害ある心を作る。

 また、布施はもろもろの素晴らしい楽を得、
 とらわれの心は常に苦しみを生む。

 布施は煩悩を捨てさせ、
 とらわれの心は煩悩を増大させる。

 また、布施によって後に大いなる富を得、
 とらわれの心によって大貧乏となる。

 布施は善人の行なうべき行為であり、
 とらわれは悪人の所行である。

 布施はもろもろのブッダが称賛するところであり、
 とらわれの心は愚か者が称賛するところである。」

 また、同じくウグラダッタ・パリプリッチャーには、こう説かれている。

「もしも、自分の子供に過度な愛情が生じ、他者との間に不平等心が生じたならば、まず自分の子供は素晴らしき法友ではないと考えるべし。
 素晴らしき法友でないのだから、自分の子供に、愛著ではなく、慈悲の心を生じさせるべし。
 そして次に一切の衆生に対しても、同様に慈悲の心を生じさせるべし。
 そして次のように深く考察するべし。
『彼はあちらから来て、私は別のところから来た。一切の衆生は我が子である。また、私は一切衆生の子である。そしてこの世においては、どこにも真の子はなく、またどこにも他人はいない』
と。
 こうして、在家の菩薩は、いかなる所有物であろうとも、これは私のものであるとか、それを守る方法とか、それに対するとらわれの心を持つべからず。また、まだ手に入れていないものに対する渇愛の心を起こすべからず。常に輪廻からの解放の心を持ち、この世の愛欲に染まるべからず。」

 また、ボーディサットヴァ・プラーティモークシャには、こう説かれている。

「菩薩には、
①不信心
②物惜しみの心
③両舌・嫉妬心
④怠惰な心
 この四つの心があることはない。もしこの四つの心のいずれかがあるならば、無上の最正覚を得ることはできない。
 菩薩はこのような四つの心がなく、心勇猛なるがゆえに、頭、目、手足、身体、心が喜ぶ極めて楽しいこと、家、庭、一切の所有物を、あまねくよく布施するのである。」
 

 
 自己の持ち物や功徳を捨てて布施供養すべきことは、ヴァジュラドヴァジャ・スートラに、こう説かれている。

「もろもろの衆生のために、常に自己の身を捨てるべし。
 もろもろのブッダのために、一切を供養すべし。
 転輪王の位、国家、城、宮殿、一切の荘厳なるものを、それを乞うもろもろの衆生に布施すべし。
 同様に、美味なる飲食物も布施するべし。
 同様に、灯明、お香、塗香、花輪、衣服、ベッド、机、家、薬なども、布施するべし。
 また、無量無数の金銀財宝を、ブッダ世尊に供養して、帰依の心を起こすべし。
 あるいはそれを菩薩や師に供養して、稀有なる心を起こすべし。
 あるいはブッダの教えに住する一切の聖なる修行者たちに供養して、清浄なる心を起こすべし。
 あるいは父母に布施をして、恩を返すべし。
 あるいは師に供養することで、真理を求める心を増大させるべし。
 あるいは徳がなく困苦する衆生に布施することで、慈悲心を発するべし。」

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