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聖者の生涯「ナーロー」④(6)

◎魔術劇

【本文】
 再びナーローが旅を続けていると、ある都にたどり着きました。そこの大王に、グル・ティローを見なかったかと聞くと、大王は、
「見たことはある。だが、案内する前に、わしの娘と結婚しなさい」
と言って、ナーローと自分の娘を結婚させてしまいました。そしてその後、永い時が過ぎたように思われました。ナーローが、神通力で何とかしなければいけないと考えていると、声が聞こえてきました。

『お前は魔術劇にだまされていないか?
 欲望や嫌悪によって
 三種の形態の邪悪な生活に浸っていて
 どうしてグルに出会えるというのか?』

 そのとたん、王国は消えうせました。

 はい、これはまあ書いてあることはこの通りですね。ナーローが旅してると、ある大王のところに行って、大王が「案内する前に、自分の娘と結婚しなさい」といって結婚させられちゃうと。その間に永い時が過ぎたように思われると。で、声が聞こえてきたと。

『お前は魔術劇にだまされていないか?
 欲望や嫌悪によって
 三種の形態の邪悪な生活に浸っていて
 どうしてグルに出会えるというのか?』

 これはまさに――このね、旅のいろんな現われ一つ一つがナーローの心のけがれの現われなわけですが、これは分かりやすいっていうか、われわれ全員が持ってる、特にこの人間に生まれたカルマを持つわれわれが持っている、非常に人間的な欲望と、嫌悪と、あるいはそれに付随する嫉妬心とか、あるいは疑いの心であるとか、いろんなもろもろの感情の現われだね。
 つまり、これは一つの幻影としてナーローは経験しているわけだけど、われわれの人生っていうのはほとんどこれなわけです。
 ナーローは、ここでは「王様に娘と結婚させられて、永い時が過ぎたように思われました」って書いてあるね。で、この「永い時が過ぎたように思われました」っていう一文には、実際には多くの意味が含まれています。つまり、その後の詞章で、

『欲望や嫌悪によって
 三種の形態の邪悪な生活に浸っていて
 どうしてグルに出会えるというのか?』

って書いてあるね。三種の形態っていうのはおそらく三悪趣――地獄・餓鬼・動物的なっていうことだと思うけども――つまり嫌悪や、あるいは性欲や、あるいは無智ね。あるいはさっきから言ってる、それに付随するいろんなものが――例えばここは結婚生活っていうのが一つの課題になっているわけですけども――結婚生活の中で多くあるわけだね。
 これは別に難しい話じゃなくて、普通の話としてね、普通に――例えば、結婚しましたと。はい、いろんな、相手との、愛着をしあったり、あるいは愛着があるがゆえの嫌悪が出たり、あるいは嫉妬心が出たり、疑いが出たり、あるいは独占欲が出たりいろいろするよね。こういったことを、例えば結婚生活でいろいろ経験すると。でも、それそのものがすべて――例えばナーローの心の中にまだある小さな三悪趣的な愛着、嫌悪、性欲、疑念――ね。こういったものの現われの夢のような劇なんだと。

◎グルの発見

 これと似た話でさ、これも書いたことあるけども、こういう話があってね――これはヒンドゥー教の話ですけども――ちょっと細かいシチュエーションを忘れちゃったんで大雑把に言うけども、ある人がね――あれはヴィシュヌ神だったかな? ヴィシュヌ神だったかクリシュナだったか忘れたけど、つまりある偉大な魂とその弟子が一緒に歩いてたんだね。そしたらその弟子の方がね、その偉大な魂に、「マーヤーとは何ですか?」と。マーヤーって神が現わす幻のことなわけだけど、「マーヤーとは何ですか?」って質問したんです。そしたらその師匠っていうか聖者は、すぐにはそれに答えずに、「その前にあの村に行って、ちょっと喉が渇いたので水を一杯もらってきてくれ」って言ったんだね。そこで弟子は「分かりました」って言って、その村に入っていって、そのある一軒の家に行ってね、「ちょっと水を一杯下さいませんか?」と。そしたらそこから出てきた女性がものすごい美しい女性で、その弟子はその女性と恋に堕ちてしまったんだね。恋に堕ちてしまって、で、そのまま結婚してしまうと。結婚してしまって子供ができたと。子供ができて、家族もできて、で、弟子はもともと修行者だったんだけど、修行もやめてその家の主人として働きながら、優しい奥さんと可愛い子供達に囲まれて過ごした。
 そうして何年か経ったときに村を大災害が襲ってね、大洪水が襲って、で、一生懸命その男は家族を守るために頑張ったんだけど、ついに奥さんも子供もその大災害で死んでしまった。で、男だけが生き残った。村はもう壊滅状態。奥さんも死に、子供も死に、そこで男はものすごく苦しむわけです。「愛する妻が」と。「愛する息子が」と。「何てわたしは不幸なんだ」と。「ああ、神よ……」と苦しんでたら、そこに師匠がやってきて、「おい、水はどうしたんだ?」って聞いたんだね(笑)。で、ハッとした弟子に対して師匠が一言、「これがマーヤーだ」って言ったんだね。
 これは何ていうか、フィーリング的にこの話の真意はみなさんに感じ取ってもらうしかない。つまり、それがマーヤーだと(笑)。
 ここで硬い頭で考えちゃ駄目だよ。「結局それ何年か経っちゃったんですか?」とか(笑)、「それ夢だったのか現実だったのか、はっきりさせてもらえませんか?」とか(笑)、そういうのはいらないからね。うん。その境界線もないほどマーヤーなんです、すべてがね。
 だからこれはとてもこのナーローの話とも似ている。実際にはもちろん、ちょっと論理的に考えると、おそらくこれは一瞬の出来事だったと思います。このナーローの場合はね。でも実際ナーローの自分の意識的には、もう本当に何年も経ってるような夫婦生活を経験してたんだね。で、そこで、ここには書かれてないけども、いろんな執着や、あるいは嫌悪の、喜びと苦しみを経験した果てに、実はすべてが幻だったわけだけど。そこで「そんな愛着と嫌悪からくる三悪趣の生活に浸っていて、どうやってグルを見つけるんだ」っていう言葉が出て、パッとすべてが消えていったと。
 これはだから非常に根本的な問題ですね、これはね。つまりわれわれが、そういった心の煩悩とか、心のけがれからくるさまざまなカルマっていうものに翻弄されている限りは、ちょうどこのナーローが引っかかったような、あるいは今わたしが言った話のようなもので、完全に魔術劇に騙されているようなものであって、そこから目覚めない限りグルは見つけられないよ、ということですね。
 これは前回も言ったけども、毎回決まり文句として出てくる「どうしてグルに出会えるというのか」っていう言葉には、前も言ったけどね、二つ意味があると考えてください。一つはそのままの意味。つまり「しっかりそういったカルマを乗り越えないと、お前の真のグルであるティローには出会えないぞ」っていうのがひとつですね。
 で、もうひとつはそうじゃなくて、それは一番最初に言った話と関連するんですが、われわれが本当の意味で心を浄化してくると、心から「あ、すべてはグルだった」って気づくんです。「この世界はすべてグルだった」――グルだったって、仲間だったって意味じゃないよ(笑)。

(一同笑)

 そのグルじゃないですよ(笑)。じゃなくて、師匠っていうかね、まあ神でもいいんだけどね。「あれ? この世界には至高者クリシュナしかいなかった」とかね。あるいは「この世界には、わたしの師匠しかいなかった」とかね。こういったことに、本当に気づきはじめる。これが、本当の意味でグルを発見したっていうことなんだね。
 だから単純に「ある偉大な師匠を見つけて弟子入りしました。わたしはグルを見つけました」っていう話じゃないんだね。それはあくまで表面的な話であって。それをきっかけとして、この世界の仕組みっていうか、この世界が実は、聖なる至高なる存在しかここにはいなかったっていうことに気付くっていうかな。これが「そんなんで、どうしてグルと出会えるというのか」っていう言葉の深い意味だと考えてください。
 ――はい、じゃあ今日はこの辺で終わりにして、最後に質問があったら質問を聞いて終わりにしましょう。はい、質問がある人いますか? 
 はい、ちょっと早いですけど、特になかったらこれで終わりにしましょう。

(一同)ありがとうございました。

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