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第三章 欲求不満と苦しみ(1)

第三章 欲求不満と苦しみ

 三界に広がっている、無常なる輪廻のすべてにおいて
 その無常性のために、衆生は限りない苛立ちを持ちます。
 六つの世界のすべての衆生は、
 その欲求不満、無常、および一層の苦しみを引き起こす様々な性質の中で
 どれほどに疲弊しているのでしょうか。
 
 あなたがもしも全身炎に包まれたならば、
 または野生動物や野蛮人に攻撃されたならば、
 または悪い王によって牢屋に入れられたならば、
 あなたは欲求不満によって苦しめられ、
 また、そこにおいて解放されるチャンスはないという絶望感が高まるでしょう。
 輪廻のすべては、そのようなものです。

 幸福への願望を持ち、欲求不満と苦しみから解放されたいと願うかもしれませんが
 一時的に幸福を得たとしても、それが新たな原因となり、欲求不満はさらにあなたの中で増大していくでしょう。
 
 あなたは、感覚の対象への中毒からくる欲求によって騙されます。
 それは、ランプの炎に飛び込む蛾、
 狩人の笛の音に心奪われるシカ、
 食虫植物の香りにいざなわれる蜂、
 釣針の餌の味にだまされる魚、
 体を掻くことに執着する水牛などの例によって知ることができます。

 これらの例によって、人が五つの感覚の対象にいかにだまされるのかを観察してください。
 それらの感覚の中に決して幸福だけを見るのではなく、災いも隠されているのだということを観察してください。

 6種類の輪廻の存在――神、阿修羅、地獄の住人、霊、人間および動物界の住人――これらの存在のために、無限の苦痛があります。
 それは水車小屋のバケツのように、次から次へと、絶え間なく、さまざまな存在を循環して生まれ変わるのです。

 また、その無数の生まれ変わりの中で、
 ありとあらゆる衆生が、
 あるときは友人であり、
 あるときは敵であり、
 あるときは中立の存在でした。

 そして彼らそれぞれがあなたに、幸福を与えてくれた回数は数えることができず、
 悲しみを与えてくれた回数も数えることができません。
 助けてくれた回数も数えることができず、
 害を与えてくれた回数も数えることができません。
 
 また未来において、誰が自分の父親となるか、母親となるか、
 姉妹となるか、兄弟となるか、
 あるいは敵であった者がいつ友人となるか、
 友人であった者がいつ敵となるか、
 それらは全くわからないのです。

 あなたが過去世と来世について考えるとき、
 輪廻に対するより大きな嫌悪感を育てるべきです。
 
 あなたの体を蟻の大きさだと考えて、
 あなたが今まで生まれ変わってきた数だけ、その蟻を積み上げるなら
 その堆積は、世界の中心にあるメール山よりも高いでしょう。
 
 また、輪廻の中であなたが流した涙は、四つの大海の水よりも多いでしょう。

 また、あなたが地獄に生まれたときに流した血や排泄物は、世界の終りまで流れている河の水よりも多いでしょう。

 そして、無数の他の受難が、世界のすべての原子と同じくらいに多くあります。
 あなたは欲望を追求したために、何度も何度も、頭や手足を切り落とされました。
 またあるときは家畜、悪魔、蛇などに生まれました。

 輪廻の中で、あなたは無数の悲しみと喜びを経験してきました。
 ブラフマ神、インドラ神、無色界の神、
 また人間界の転輪王などに生まれ、多くの喜びを味わったこともありますが、
 その後に不幸な世界に落ち、その落差によって大いに苦しまなければなりませんでした。

 それぞれの世界で莫大な富を楽しんだ、それらの高い世界の存在も、
 最後には死を迎え、
 次の生では貧困によって苦しめられ、使用人や奴隷としてこき使われることもあります。
 それは、あなたが睡眠から覚めるともうそこには何もない、夢の中の富のようなものです。 

 幸福も悲しみも一時的である、この無常の世界の欲求不満について
 あなたが真剣に考えるとき、
 この輪廻への嫌悪感を、ますます強く持たなければなりません。

 この三界の衆生は、
 輪廻の楽しみへのとらわれを超えた、透明な光と完全無欠な明智を求めて、
 努力するべきです。
 
 欲界、色界、無色界の三界において、衆生は、
 苦しみそのもの、
 変化する苦しみ、
 そして一層の苦痛を引き起こす習性によって苦しめられます。

 過去の幸福と悲しみの経験に基づいて
 感覚的な要素が生じ、
 感覚と外界の接触が生じ、
 そして個々の感覚の識別が生じ、
 そして幸福と悲しみが生み出されます。
 この循環が、いつまでも終わることなく続きます。

 こうして、概念的・感情的な、誤った観念的識別が増大していきます。
 そしてここから、架空の存在における欲求不満がやってきます。
 これらはそれぞれがお互いに原因となり、結果となります。
 そしてこれらの根本的原因は、偽りの主体と客体を生じさせる「無明」です。

 「私」と「私のもの」に対する信念を通して、
 外的世界は固定されていき、
 輪廻の世界は確立されます。

 不変の絶対的な心の本性さえ、
 無明の結果として生じる感覚的経験とそれへのとらわれを通して
 不純で相対的な外見上の存在の見せかけを帯びます。

 そして、「私」と「他」という二つが切り離され、世界の二元的な顕現や概念が生じます。
 その結果、不可解な欲求不満が、自然に始まります。

 もしあなたが一度でも、絶対不変の心の本性の意味を理解するならば、
 あなたは、論争の余地のない絶対不変の道を歩き始めます。
 そして容易に、幻想の世界を超えた純粋な領域に到達し、
 架空の存在へのとらわれから生じる疲労と消耗は取り除かれるでしょう。

 ああ、架空の存在の道を歩むことで生じる疲労と欲求不満、
 超えることがとても難しい、終わりのない輪廻
 ここには幸福は全くありません。
 この輪廻の内の、どこにあなたが生まれても、
 不健全な行動によって引き起こされるその果報は、耐えがたいものです。
 輪廻の6種類の生き物はそれぞれ、
 夢と同じように、自己認識を誤解することによって、存在しないものを存在すると誤解し、
 はかりしれない苦しみを経験しているのです。

 伝統的な教えの、短い要約を聞いてください。
 

 地獄の一番上には、「復活の地獄」があります。
 そこで地獄の住人同士が出会うとき、彼らは武器で互いに殺しあいます。
 皆がそこで死ぬと、「復活しなさい」という声が聞こえてきて、
 彼らは生きかえり、そして再び殺しあい、延々とこの苦しみを味わい続けるのです。
 彼らのカルマが浄化されるまで、彼らはこの苦しみを経験し続けなければならないのです。
 人間界の50年が、四大王天の一日に相当します。
 そしてこの四大王天の五〇〇年が、この地獄の一日に相当します。
 そしてさらにその五〇〇年分、この世界の住人は、ここで苦しみ続けなければならないのです。

 「黒糸地獄」においては、そこの住人はより一層の苦しみを味わいます。
 ここの住人は、のこぎりで切られ、その傷を縫い合わされ、そして再びそこをのこぎりで切り刻まれるのです。
 人間界の100年が、三十三天の一日に相当します。
 そしてこの三十三天の一〇〇〇年が、この地獄の一日に相当します。
 そしてさらにその一〇〇〇年分、この世界の住人は、ここで苦しみ続けなければならないのです。

 「粉砕される苦痛の地獄」においては、そこの住人は、巨大な山と山の間に挟まれて、粉々に粉砕されます。
 そして再び山と山が離れると、彼らは前のように生き返ります。
 次に彼らは鉄の臼に入れられ、巨大な棒で粉々に砕かれ、血の海の中ですりつぶされます。
 人間界の200年が、アヴィハ天の一日に相当します。
 そしてこのアヴィハ天の二〇〇〇年が、この地獄の一日に相当します。
 そしてさらにその二〇〇〇年分、この世界の住人は、ここで苦しみ続けなければならないのです。

 「号叫地獄」においては、そこの住人は、燃える火によって焼かれ、恐ろしい叫び声を発します。
 また、彼らは沸騰した鉄の大釜の中で煮られ、苦しめられます。
 人間界の400年が、トゥシタ天の一日に相当します。
 そしてこのトゥシタ天の四〇〇〇年が、この地獄の一日に相当します。
 そしてさらにその四〇〇〇年分、この世界の住人は、ここで苦しみ続けなければならないのです。

 「大叫地獄」においては、そこの住人は、焼けた鉄の家に入れられ、
 赤々と燃える火で焼かれ、ヤマ神によって体を粉砕されます。
 人間界の800年が、ニルマーナラティ天の一日に相当します。
 そしてこのニルマーナラティ天の八〇〇〇年が、この地獄の一日に相当します。
 そしてさらにその八〇〇〇年分、この世界の住人は、ここで苦しみ続けなければならないのです。

 「熱地獄」においては、そこの住人は、炎に燃える鉄の家に入れられ、その頭を刃物で裂かれ、棍棒で打たれます。
 人間界の1600年が、パラニルミタヴァシャヴァルティン天の一日に相当します。
 そしてこのパラニルミタヴァシャヴァルティン天の一六〇〇〇年が、この地獄の一日に相当します。
 そしてさらにその一六〇〇〇年分、この世界の住人は、ここで苦しみ続けなければならないのです。

 「激しい熱地獄」においては、そこの住人は、赤々と燃える鉄の家に入れられ、三叉檄で体を突き通されます。
 突き通された三叉檄の先は、頭と両肩から突き出しています。
 また彼らは、溶けた銅の入った大釜に投げ入れられて、そこで煮られ、苦しみます。
 彼らの寿命は、アンタカルパの半分です。
 それは、人間界の時間で計ることは不可能です。
 この宇宙の創造・維持・破壊・虚空の一サイクルにかかる時間を、アンタカルパというのです。
 小カルパが四つ集まって一アンタカルパとなり、アンタカルパが八〇集まって一マハーカルパとなります。

 「絶え間のない苦痛の地獄」の住人は、燃える鉄の家に入れられ、
 そのあまりの炎の強さのため、地獄の住人と炎を見分けることができず、
 ただ恐ろしい叫び声だけが鳴り響いています。
 ここの住人は、一アンタカルパの間、苦しめられ続けます。
 ここは最も激しい苦痛の世界であり、この地獄に匹敵する苦痛は他にどこにもありません。

 これらの地獄は、後のものほど熱さが増し、苦しみはより多いのです。
 彼らはそのカルマが浄化されるまで、そこで苦しみ続けなければならないのです。

 「はかない地獄」と呼ばれる地獄の住人は、
 さまざまな場所に意識が入り、苦しめられます。
 あるときは寄り集まって、またあるときは単独で、彼らは生きます。
 たとえば山の中、木の下、空、
 または岩の中や火の中や水の中などで、彼らは苦しめられるのです。
 しかし彼らは地獄の中では比較的寿命は短く、
 また、ここに生まれる者も、比較的少ないといわれます。

 「近隣の地獄」は、「絶え間のない苦痛の地獄」の東西南北に位置しています。
 それらは、「燃えている炭火の沼」、「腐敗した汚い池」、「武器の大草原」、そして「灰の河」と呼ばれる四つの地獄です。それらが東西南北のそれぞれにあるので、全部で16あることになります。
 
 「絶え間のない苦痛の地獄」が終わる時、その1000万の門が開きます。すると冷たそうな水を湛えた池が見えるので、永い間体を焼かれて苦しんでいた地獄の住人たちはそこに進んでいきます。するとその道は燃える炭火の沼と変わり、彼らの膝から下は焼き尽くされます。彼らがそこから足を上げると、足はただ白い骨だけになっています。

 彼らがやっとその池に到着し、そこに入ると、そこは死体や、嫌な臭いがする腐った汚物でいっぱいの池であったことに気付きます。地獄の住人はその腐敗した汚い池に沈みながら、鉄の口を持った虫によって攻撃されます。

 また彼らは、きらめく短剣で切り刻まれて苦しみます。彼らは良い感じのする木立の下へ行きます。すると、森林の葉はきらめく短剣となり、カルマの嵐が吹き荒れることでそのきらめく短剣の刃が地獄の住人を襲い、切り刻むのです。

 彼らがさらに進んでいくと、素敵な山が見え、その頂上に、彼らはかつての彼らの故郷を見ます。そして家族が自分を呼んでいるような気がして、その山を登っていくと、鋭い刃で体の肉をそぎ落とされます。ハゲタカがやってきて彼らの頭蓋骨を割ります。
 山の中腹に来ると、今度は山のふもとで家族が呼んでいるような気がして、山を下りていくと、再び彼らは鋭い刃で体の肉をそぎ落とされます。
 彼らが山を降りると、炎で燃えている男女に抱擁されることで、ものすごく苦しめられます。そして、鋭い歯を持つ多くの犬やジャッカルによって食べられます。

 また、冷たそうな河を見つけ、彼らは嬉々としてそこへ行きます。そして彼らがそこに入ると、彼らは熱い灰の中に、腰まで沈んでしまいます。そして彼らの肉と骨は焼かれます。河の両側を獄卒が見張っているので、彼らはその熱い灰の河から出ることができず、何千年間も苦しみ続けるのです。

 これらの地獄の苦しみを知らず、地獄を恐れない人々は、怠惰に日々を過ごします。
 しかしある人々は、この永い苦しみの世界を理解しており、そしてそれを乗り越える方法も持っています。

 そして次に、八つの寒冷地獄があります。
 そこは氷と雪でいっぱいの、非常に寒い場所で、
 ここの住人は、深い暗闇の中で、冷たい風雪によって苦しめられます。
 それはアルブダ、ニラルブダ、アタタ、マハヴァ、フフヴァ、ウトパラ、そしてパドマ、マハーパドマという名前で、
 そこで彼らは燃え上がる鋭いくちばしを持っている生物によって食べられます。
 彼らはそのカルマが尽きるまで、ひどく苦しみ、寒さに震え続けるのです。

 そのうちアルブダ地獄の寿命の長さは、
 胡麻の粒がたっぷり詰め込まれた蔵の中から、百年に一回、一粒だけ胡麻を取り出し、最終的にその蔵が空っぽになるくらいの永い時間だといわれます。
 そして次のニラルブダはその二十倍の長さ、その次のアタタはさらにその二十倍というかたちで、どんどん長くなっていきます。

 これらの恐ろしい地獄について、正しい分別を持つ人々は、
 より一層、努力の力を強めてください。
 そして、これらの地獄の世界に決して落ちないように
 自らの悪しき心に完全に打ち勝ってください! 
 
 

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