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第七章 四つの無量心(2)

 慈愛を向けるべき対象は、「すべての衆生」です。
 あなたが自分の最愛の人に幸福になってほしいと思うように、
 すべての衆生に平等に、「幸福になってほしい」という思いをはぐくんでください。

 ここでいう「幸福」とは、その途中段階においては、人間界や天界における、功徳による一時的な幸福であり、
 最終的には、最高の悟りのことです。

 瞑想の中で思索し、まず誰か一人に対して「幸福になってほしい」と思い、
 その思いをどんどん広げて行き、最終的にはあらゆる衆生に対して「幸福になってほしい」という思いを養うのです。

 この教えが身についてきた印は、
 すべての衆生に対して、母親が一人子に対して持っている愛よりも大きな愛を抱くようになることです。
 それは一切の見返りを期待しない、素晴らしい無償の慈愛です。
 そしてそのような慈愛を持つ人には気高さが備わり、
 純粋な喜びで心は満ち、そしてその人のいるところは、楽しさや和やかさで満たされるでしょう。

 慈愛によって衆生をつつみ込んだ後、
 次に、衆生の苦しみについて考えることにより、慈悲を開発するべきです

 あなたが最愛の人の苦痛を精神的に耐えることができないように、
 その同じ思いを、すべての衆生に向けるのです。

 ――私の父母と変わりない多くの衆生は、様々な欲求不満によって、どんなに疲れ果てているでしょうか?
 彼らは、熱、寒さ、飢え、渇愛、および処刑などによって苦しめられています。
 彼らは、生、老、病、死の荒れ狂う海で溺れています。
 
 なんと彼らは哀れなのでしょうか。
 終わることのない輪廻の中で漂い、
 心の平和のない状態から救済されることを望むのですが、
 そこには、彼らに正しい道を指し示す救済者はいないのです。

 私は、彼らと縁があるのです。
 それなのに、彼らを放って置くことができるでしょうか?

 あなたは、心の奥底から深く考えるべきです
 ――過去・現在・未来において積み重ねられた私の功徳によって、
 そして私の肉体、および私が持てるすべての価値あるものによって、
 すべての衆生が、苦しみからただちに救われますように。

 この教えが身についてきた印は、
 衆生の苦痛に耐えることができなくなることです。
 それは一切の見返りを期待しない、素晴らしい無償の慈悲です。
 そしてそのような慈悲を持つ人は、原初的な清らかさで満たされ、
 悪意や執念深さなどがなくなり、物事にとらわれない、そして孤独に強い人になるでしょう。

 慈悲によって衆生を包み込んだ後、
 今度は喜の心を養うべきです。

 その対象は、一切の衆生です。

 そして心の中で、次のように喜の心を養うべきです。
 ――ああ、彼らが幸福になってよかったなあ。
 それぞれのレベルにおける幸福を見つけた彼らが、
 これからずっと、最終的な至上の悟りによって満たされるまで、
 この楽しみと幸福から絶対に離れませんように。

 この教えが身についてきた印は、
 他者が幸福であったり成功したり、修行が進んだりしたのを見たときに、
 全く嫉妬がわかず、心が喜びで満たされることです。
 その後、純粋なサマーディに入ったときのような喜びがやってきます。
 そしてそのような喜を持つ人の身口意は静かで幸福になり、
 この内側の富によって、不動なる幸福を得るでしょう。

 このように、四つの無量心の考え方に心が慣れてきたならば、
 現実生活において、より一層、これらの実践を深めていくべきです。
 これらの心を順次にすべて深めていくことによって、
 さまざまな危険な罠に陥る危険性も避けられます。

 慈愛の実践を続けるならば、あなたは周りの人々から必要とされ、執着されるようになるでしょう。

 しかし慈悲の実践を行なうことによって、あなたはそれらの執着の罠に巻き込まれることはなくなるでしょう。

 慈悲がまだ未熟であるとき、苦しんでいる人々への奉仕によって、あなたは疲弊するでしょう。

 しかし喜の実践によって、その疲弊から解放されるでしょう。

 喜の実践がまだ未熟であるとき、それは心の過度の興奮を生むかもしれません。

 しかし平等心(捨)の実践によって、心は自由で平静になるでしょう。

 平等心が未熟な時、それは大変受動的な、無関心の感覚に陥るかもしれません。

 そのときは積極的に、慈愛・慈悲・喜の心を培い、心を奮い立たせなければなりません。

 このように、四つの無量心をすべて欠けなく実践することによって、それらはその人の心に安定するでしょう。

 このような四つの無量心によって心が教化されることによって、
 最高の功徳が積まれ、高度な悟りが生じます。

 この輪廻の中にいながら、幸福と解脱を生じさせます。
 あなたは、自分を苦しめるものすべてから自由になった幸福を感じます。

 生まれ変わっても、楽しく幸福で喜ばしい国に生まれ、
 人々はあなたに親しみを感じ、またあなたは華麗で豊かになるでしょう。

 慈愛がそこにあり、嫌悪を対治しているとき、
 そこには鏡のような純粋な智慧があり、そして報身があるでしょう。
 この報身は、ブッダフッドの大小の印で飾られています。

 慈悲がそこにあり、愛著を対治しているとき、
 そこには純粋な識別智、そして法身があるでしょう。
 この法身は、ブッダの本質そのものです。

 喜がそこにあり、嫉妬を対治しているとき、
 そこには、すべてを成し遂げる純粋な智慧、そして変化身があるでしょう。
 この変化身はさまざまな世界に、さまざまな姿で生じ、
 さまざまな英雄的な活動を行ないます。

 平等心(捨)がそこにあり、プライドと迷妄を対治しているとき、
 そこには純粋な平等の智慧と、法界の純粋な本質の智慧、
 そして本性身があるでしょう。
 この本性身は、すべてを包含し、何にも汚されない純粋意識の経験です。

 したがって、天人師(ブッダ)は、この四つの無量心を、
 広大な特質を持ち、比類のないものとして、称賛しました。
 
 この四無量心を持たない道は、間違った道です。
 この四無量心を説かない師に帰依することは、邪悪な道です。

 しかし四無量心を持つ道は、非常にスピーディで、正しい道です。
 その道を歩む者は、過去・現在・未来のブッダたちによって、
 欠点のない救済へと導かれるでしょう。

 「原因の道」であるスートラの教えにおいては、
 功徳と智慧の集積を積み重ねることによって、目的に達します。
 そしてここでいう功徳とは、四つの無量心の実践を土台とします。

 「結果の道」であるタントラの教えにおいては、
 無始の過去から衆生は、純粋な慈悲と純粋な智慧と三つの身体を、もともと有しているのだと断言します。
 よってそれを覆っている無明のヴェールを焼き払うことが、タントラの方法になります。

 要するに過去の聖者や賢者たちは、同じ目的に達するための、異なる角度からの方法を説いたのです。
 そしてこのどちらの道も、四つの無量心の実践を土台とするのです。

 よって、優れたブッダの子どもたち(菩薩)が歩いた道を模倣して、
 あなたも、四無量心を実行するために確固たる努力をしてください。

 この十分に説明された、偉大なる内面的な安らぎの教えによって、
 すべての衆生の心の闇が澄みわたりますように。

 そして、間違った道の探求や、劣った道への下降によって
 疲弊しきった衆生の心が、
 今日こそ、安らぎと幸福を見つけられますように。

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