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第七章 サマーディ・ヨーガ

 サマーディ・ヨーガは至上のヨーガであって、大いなる幸運によって得られる。つまり、グルに対する信に基づいて、グルの慈悲と恩恵によってこそ到達できるのである。
 聖典を信頼し、神秘の智慧を信頼し、自己のグルを信頼し、真我を信頼し、日々に心の目覚めを経験するヨーギーは、直ちにこのすばらしい修行に成功する。
 心を肉体から分離して、それを至高の真我へ合一させる。これがサマーディなりと知るべし。
 われはブラフマンなり。それ以外の何ものにもあらず。ブラフマンはわれに他ならず。われは苦しみにかかわらず。われはサチダーナンダ(絶対の実在・智慧・歓喜)の形相を有す。常に解脱していて、しかも自己の存在を保持す。
 
 サマーディには6種類ある。
①ディヤーナ
②ラサ・アーナンダ
③ナーダ
④ラヤ
⑤バクティ・ヨーガ
⑥マノー・ムールッチャー

(1)[ディヤーナ・ヨーガ・サマーディ]
 シャーンバヴィー・ムドラーをなして、真我の直観を引き寄せるべし。いったんビンドゥ・ブラフマンを見たならば、精神をそこへ集中せよ。
 虚空の中央に真我をすえ、真我の中央に虚空をすえる。かくして、虚空よりなる真我を見たならば、もはや何ものにも妨げられない。行者はサットと歓喜に満たされるとき、サマーディに安住するであろう。

(2)[ラサ・アーナンダ・サマーディ]
 ケーチャリー・ムドラーをなし、舌を上に巻き上げ、通路をふさいだならば、一般的な行法を放棄しても、サマーディは成就するであろう。

(3)[ナーダ・ヨーガ・サマーディ]
 空気をゆっくりと吸い込んで、ブラーマリーのクンバカを行ずべし。それから、ゆっくりと息を吐き出すべし。そのときに、メス蜂のうなり声を出すべし。
 内面にあるメス蜂のうなり声を聞いて、そこへ精神を集中すべし。そのときサマーディが生じ、そこから「ソーハム(かのものはわれなり)」という歓喜が生ずる。

(4)[ラヤシッディ・ヨーガ・サマーディ]
 ヨーニ・ムドラーを修行するとき、行者自らがシャクティ女神の力に満たされ、強い愛情を抱いて至上我と遊び戯れるべし。
 行者は歓喜に満たされたとき、ブラフマンと一体となり、そこに「われはブラフマンなり」という不二一元のサマーディが現われてくるのである。

(5)[バクティ・ヨーガ・サマーディ]
 行者は心臓内に自分の守護神の姿を観想すべし。この守護神に対するバクティ・ヨーガによって、最高の喜びを第一として思念すべし。
 そしてその歓喜による涙と身の毛のよだちとによってダシャーの状態が生ずる。そこにサマーディが生じ、これとともにマノーマニーの境地が生ずるであろう。

(6)[ラージャ・ヨーガ・サマーディ]
 ムールッチャー・クンバカを行じて、心を真我に合一すべし。そうすれば、パラマートマン(至高の真我)との結合によってサマーディが得られる。

 以上で、解脱の原因であるサマーディを説き終わった。
 ラージャ・ヨーガ・サマーディは唯一の真我に関する修行であって、ウンマニーとかサハジャ・アヴァスターとかいうのもすべて、真我と心の合一を言い表している。

 水の中に至高者はまします。地の中にも、山頂にも、火山の炎の中にも、風の中にも、空間にも、至高者はまします。全世界は至高者に満ちている。

 地を行くもの、空を行くもの、すべての衆生、植物、さらには海、山をも含めて、世界全体をブラフマンなりと知るべし。彼は、世界全体を真我の内に見る。

 真我は、不二、永遠、最高である。身体の中にあって身体と関係のない真我の本質を知れば、人は愛著を離れ、過去の経験から来る性向を離れる。

 かような仕方によって、すべてのはからいを離れたサマーディが成就されるであろう。自己の身体、親族、財宝等すべてのものに対して所有欲を抱かなくなり、サマーディを獲得するであろう。

 昔、シヴァ大神は、ラヤ、アムリタなどの秘密の真理と、その方法とを説きたもうたが、われはその説法の概要を取り上げて説いた。これは解脱への因である。

 以上、汝に説いたサマーディは、得がたい、最高のものである。これを知るならば、この地上に再生することはない。

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