yoga school kailas

ライトエッセイ け・・・ケーチャリー・ムドラー

 ケーチャリー・ムドラーについては何度か書いているが、ハタヨーガの行法の一つで、舌の裏の筋を刃物で切って舌を伸ばし、上口蓋奥の穴に差し込む行法だ。
 わたしはこれを高校生のときにやった。安全剃刀を使い、舌の裏側の筋に軽く切り込みを入れる。その後、舌にバターを塗って、舌を何度も引っ張る。これを一週間に一度のペースでおこなう。よく考えると、この舌にバターを塗って舌を引っ張るプロセスは本当に必要だったのかどうかわからない(笑)。それよりも切った後に舌を奥に引っ込める動作をしたほうが実際的だったような気もするが(笑)。
 これを六か月続けると聖典にはあるのだが、わたしは五か月続けたころに、なんか違うような気がしてきて(笑)、切るのをやめた。
 わたしが違和感を感じたのは、おそらく、刃物で切るということがフィジカル的すぎるというか、不自然に感じたからだろう。
 ただ、六か月のところを五か月で終えたとはいえ、舌は上口蓋の奥に入るようになった。たしかにそうすることでバンダを入れたときのように気が上がる感じになるが、必ずしもわざわざやらなければいけないことでもないと思う。わたしは怖いもの知らずに毎週自分で刃物で切っていたが、手元が狂うと危険も大きいだろう。実際わたしも、うまく切れるとそんなに痛みはないのだが、ちょっと手元が狂って切る位置がズレると転げまわるほど痛かった記憶がある(笑)。
 舌が上口蓋の奥に入るようになった副次的効果としては、風邪のときに、鼻の奥にたまった鼻水を舌で引っ張り出したり、あるいは腫れているのどちんこのあたりのマッサージができるようになった(笑)。また、ご飯粒などが鼻の奥に入ってしまった場合なども、舌で取り出せるようになった(笑)。

 本来のヨーガや仏教の考え方では、肉体は不浄であり無常であり、自我意識のよりどころであり、苦しみの巣窟であり、魂の牢獄である。つまり全否定されるべきものであった。しかしクンダリニーヨーガやハタヨーガ、あるいは密教の思想では、もちろん肉体は実体のない幻のようなものだが、魂の乗り物である肉体の機能を十分に理解し生かすことによって、逆に肉体や煩悩やカルマからの解脱を推進できると考えた。
 そこでアーサナや呼吸法、ムドラーなどの肉体的操作により解脱や悟りの道を促進する技法が発達していったわけだが、どこまで肉体に注視するべきかの境目が難しい。解脱や悟りのために肉体を鍛えたり整えたりするのはいいが、それにより肉体に執着してしまったら本末転倒だからだ。
 その辺をラーマクリシュナなどは指摘したのだと思う。前にも書いたように、ラーマクリシュナはハタヨーガを否定した。それは、「体のことばかりを考えて、体に結び付けられ、神のことが考えられなくなる」からだという。しかしラーマクリシュナが語る解脱のプロセスの話は、かなりクンダリニーヨーガ的なものが多い。ハタヨーガが目指すものはあくまでもクンダリニーヨーガだ。ということは、少なくとも当時、ラーマクリシュナたちが「ハタヨーガ」として認識していた、その当時のハタヨーギーたちの所業は、本来のハタヨーガとかけ離れた、「肉体のことばかりを考えて肉体に結び付けられてしまう」たぐいのものだったのだろう。実際当時、アクロバティックなアーサナなどを見世物としておこなうハタヨーギーが横行していたようだ。

 話を戻すが、ハタヨーガの技術は素晴らしい。それは効果的に用いられるならば、解脱や悟りを急速に早めてくれるだろう。しかし同時に、フィジカル的すぎる行法も一部あるのは確かで、それらはまあ特にやるべき理由がない限りは積極的にやる必要はないだろう。

 話は変わるが、先日、風邪っぽくて少し体調が悪かったせいか、あるいは疲れがたまっていたのか、体の節々が痛くなり、特に腰が痛く重い感じになってしまった。しかしまあいいかと思い、特に気にせずにいたのだが、昨日の勉強会とクラスを終えたころ、腰の痛みがひどくなり、特に立ち上がるときや座るときなど、中腰になったときに痛みが走るようになった。また、しっかりとまっすぐ背筋を伸ばせないというか、腰が入りすぎておなかが突き出た姿勢になってしまう。おそらく後ろ側の筋肉が硬直してしまっていたのかもしれない。
 ところで、ヨーガの先生などでも、特に女性に多いが、腰が入りすぎた体形の人がいるが、あれはあまりよくないと思う。たとえば蓮華座を組んで上体を後ろに倒したとき、腰が大きく浮いてしまうようでは問題だ。
 そのような姿勢ではおそらく太鼓腹にもなりやすいだろう。最近、姿勢を整えることで痩せるダイエットというのもあるようだが、それは一理あると思う(笑)。
 
 さて、少々腰が痛くてもまあいいかと思いほっといていたが、痛みがましてきたので、直感と過去の経験からやってみたのが、まずお風呂に入って筋肉をほぐしてから、肩で立つアーサナと、上記の蓮華座を組んだままで体を後ろに倒すアーサナをやってみた。すると、体を後ろに倒すと、蓮華座が床に降りなくなっている。相当筋肉が固まっていたようだ。そこで上体を寝かせたままで、無理やり何度も足を下におろすようにすると、最後は何とか足が床に着くようになった。蓮華座の足を組み替え、逆側でもやってみた。
 そしてその後、立ち上がってみると、なんと、腰の痛みも、姿勢のおかしさも、全部すっかり治っていた。
 体の節々の痛みや筋肉のハリは一部にまだあるが、ひどかった腰の痛みや姿勢のおかしさはすっかり消えていた。

 ということで、慢性的なものや原因が違うものはまた別かもしれませんが、筋肉の硬直などからくる腰痛や姿勢の悪さの場合、この蓮華座で上体を倒すアーサナはなかなか効果的なようです(笑)。

 ハタヨーガは、もちろん万能ではありませんが、病気治しには一定の力を持っています。例えばわたしも、詳細は省きますが、高校生のときに、ダウティで喘息を、トラータカで結膜炎を治したことがあります。あるいはハタヨーガの各種の浄化法は、ある種の病気や症状には抜群の効果を発揮します。
 あるいはそのようなピンポイント的な話でなくても、正しいヨーガ行によって気が通り、骨格のずれや筋肉の硬直は改善され、生命力は増大し、免疫力も高まることで、強い体、病気になりにくい体になっていくでしょう。
 
 ただしあくまでもそれが目的ではないということですね。もちろん病気や体の弱さに苦しむ人が、その改善のためにヨーガを始めるのは良いことだと思います。しかしその先にあるのは、気が通り、生命力が充実した肉体を使って、この肉体も含めたマーヤーの世界から解脱することです。

 本当に気が通り、生命力が充実し、かつ気が上昇していると、精神状態も素晴らしい状態になります。それにより、仏教やヨーガで説かれる理想的な精神状態を実現し維持する手助けにもなるのです。ヨーガによってそのような状態をキープしつつ、同時に肉体にとらわれすぎることなく、心の浄化、そして真実を悟り得る道を、多くの人が歩まれることを願います。

 

 

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