yoga school kailas

 二元を超えた真実が
 マハーマーヤーの力によって
 多様な現象としてあらわれる。

 しかし多様に見えるこの世界も
 さまざまな名前や概念に縛られて固定化されているように見えるだけであり
 その本質は、今も過去も未来も、永遠に自由で純粋である。

 この世には「これである」と確定されるものは何もない。
 しかしこの世のすべての現象の本質は
 まさに「それ(タター)」としか表現することのできない、
 ありのままの「それ」なのである。

 このように、すべての眼に見える現象は、本質的にもとから完璧で純粋な「それ」である。
 よって、他のどこかに何かを捜し求めることは意味がない。
 ただただもとからそこにある完璧な「それ」に身をゆだねるべし。

 何かを探そうとしても、その「何か」はどこにもない。
 空間を超えた、
 無限に小さく、無限に大きな滴(ビンドゥ)。
 それを知ることが、真実をありのままに見る道。

 生来の純粋智性は、常にすべてに偏在する。
 「わたし」も「あなた」もないのだから、そこには空間もなく、
 何かが何かに対してなすということも何もない。

 これらを理解するならば、
 究極の真実は、
 存在しないものへの誤った努力を捨てることによって
 正しくリラックスすることによって
 発見されるということがわかる。

 それは言葉によって理解されるものではなく
 師や神の導きによって体得されるべきもの。
 口で「リラックス」と言っても
 それを経験したことのない者は、余計に力が入るだけだ。
 しかし我々は本来は常に真にリラックスしているのだから
 正しい導きがなされるならば、誰でもその境地にたどり着く。

 究極の真理は二元を超えている。
 すべての努力は二元性のものである。
 二元から非二元へは至れない。
 しかし正しく二元的な努力をなすことによって
 不思議なことに、全く関係のない方向から
 祝福によって、非二元の扉が開くのである。

 つまり祝福なしには扉は開かず
 努力なしには祝福はない。

  

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする