yoga school kailas

決定的な意味の灯 パート2(3) 帰依の意味(2)

 何を取るべきか、何を捨てるべきかを示してくださる方がブッダである。したがって、ブッダを師としなさい。

 ブッダが教えられたことは実践すべきものである。したがって、ダルマを道としなさい。

 聖者たちの歩みと、彼らが授ける教誡や修行は、わたしたちが従うべきものである。したがって、見知らぬ道を旅するときの案内人や同行者のように、サンガを伴侶としなさい。

 道の終わりに到達したならば、独立したものとしてのダルマとサンガは、もはや不可欠ではない。なぜなら、それらはブッダの心と一味となっているからである。したがって、究極の帰依処はブッダのみである。

 異なる宗義の立場からは、帰依処をどのように定義すべきか、また何が帰依処であり何がそうでないのかについて、さまざまな議論がある。しかし、ただ実践に専心し、善い習慣の力を養おうとしている者にとって、そのような議論は必要ない。むしろ、できる限り心を信と敬愛で満たすべきである。

 経典には、暫定的な信を生じさせるための対象として、「あなたの前に置かれたブッダ」という表現が説かれている。これは、仏像やストゥーパもブッダの一側面として数えられることを示している。また、聖なるダルマである経典とマントラの典籍、さらには戒を守る普通の人々からなるサンガも、実際の三宝として認識し、信と敬愛をもって帰依すべきであることを意味している。

 さらに、小乗(劣った乗)や世間的な対象への帰依では、完全な帰依とはならず、その十分な功徳も現われない。その代わりに、虚空の広がりほど数多く存在する一切衆生を伴って、今この時から皆が悟りを得るまで帰依すると考えなさい。この心構えは絶対に重要であり、これこそが大乗の帰依を形作るものである。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする