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母なる神(5)

 5

 神の聖なる御わざの真の道具になろうとするならば、あなたの第一の目標は、欲望と自己中心的な自我からの全面的解放でなければならない。
 人生全体が至高者への捧げ物となり、生け贄となることが、必要なのだ。
 あなたが行為を通して目指すべき事柄はただ一つ、神の聖なるシャクティご自身が自らの営みを営むときの、その顕現の道具につかえ、また自らもその顕現の道具となることである。
 あなたは神の聖なる意識を通して自ら成長を遂げて、ついには、あなたの意志と神のご意思の間にはどんな違いもなく、もはやあなたの内で働く神ご自身の衝動以外にはどんな動機もなく、あなたの内で、またあなたを通して働く神ご自身の意識に基づく行為以外にはどんな行為もない、というところまで達することが、必要なのだ。

 このように力強い「神の聖なるシャクティ」との完全なる合一が可能になるまでは、あなたは自分のことを、彼女に、つまり神の聖なるシャクティご自身に仕えるために創造されて、彼女のために一切を行うようにできている、霊と物質の統一体なのだと心得ておくことが大切である。
 利己的な選択を迫ってやまない緊張、個人的利益をひたすら求める思い、自己中心的な欲望に満ちたギブアンドテイクの意識、そんなものは、すべて根絶やしにしてしまうがよい。実りを要求したり、報いを追求したりすることがあってはならないのだ。あなたにとって実りとは、ただひとえに「聖なる母神」の喜びであり、その御わざの成就であり、そしてあなたにとって報いとは、神の聖なる意識と、寂静と、強さと、至福の内にあって、変わることなく不断に進んでいくことにこそ、あるのだから。
 私心なき働き手にとっては、奉仕の喜びと、行為を通して内なる成長を遂げていく喜びとが、すでにそれ自体、十分な報いになっているのである。

 
 いつか必ず、自分はあくまでも神の道具であって、働き手ではないのだと、強く感じるようになるときがやってくるはずだ。というのも、あなたの献身によって、「聖なる母神」との接触がきわめて親密なものとなるため、いつであろうと、ただ心を集中して一切を彼女の手にゆだねるだけで、何をどのようにしたらよいのか、またその結果どうなるのかについて、彼女からの導きが即刻与えられたり、彼女からの命令や衝動が直々に与えられたり、彼女からの指示がハッキリと疑う余地のない形で与えられたりするようになるからである。
 またその後、神の聖なるシャクティは、単にあなたの行為を鼓舞し、導いているだけではなく、あなたの行為を自ら開始し、自ら遂行してもいるのだと、あなたはハッキリと気づくことだろう。
 つまりあなたの活動はすべて彼女から始まっているのであり、あなたの力はすべて彼女の力なのであり、あなたの精神・生命・身体は、物理的世界の中で彼女の行為を自らおこなう、喜びに満ちた意識ある道具なのであり、彼女の戯れを自ら戯れる、喜びに満ちた意識ある手段なのであり、彼女の顕現を自ら成就する、喜びに満ちた意識ある鋳型であるのだ。
 このような統一と依存の状態にまさる幸せな状態は、他にはない。
 このステップは、あなたが無智ゆえの緊張と苦難に満ちた人生を脱して、自らの真の本性へと立ち返り、その深い安らぎと至福へと立ち返るときの、その境界線を越えさせてくれるからだ。

 こうした変容が遂げられている時に、いつにもまして必要になるのが、自我の倒錯を示すどんなけがれにも染まらぬよう、厳しく自己の身を律することである。そこに何かエゴの要求や主張を忍び込ませることによって、せっかくの純粋無垢な献身と犠牲に、シミをつけたりすることがないように。
 自らの行為やその結果には、一点の執着もあってはならず、あなたを我がものとしてくださる神の力を逆に我がものにしようと求めたり、プライドや虚栄や高慢にとらわれたりすることは、いささかたりともあってはならない。
 あなたの信仰と、あなたの誠実と、あなたの純粋な懇願は、存在のどのような次元においても、どのような層においても、常に絶対的で滞りなきものであるように。そうすれば、混乱をもたらすどんな要因も、歪みをもたらすいかなる影響も、あなたの本性から次第に脱落していくはずである。

 こうした完成の最後の段階がやってくるのは、あなたが「聖なる母神」に完全に同一化して、もはや自分は、「聖なる母神」とは別の一個の独立した存在であるとは感じなくなって、自分のことを、「聖なる母神」の真の子供にして永遠の分身なのだと感じるようになった時である。
 「聖なる母神」はどんなときにもあなたの中にいらっしゃり、あなたはどんなときにも「聖なる母神」の中にいる。自分が考え、眺め、おこなうことの一切、自分が吐く息・吸う息の一切、自分の一挙手一投足が、実は「聖なる母神」からやってくるのであり、実は「聖なる母神」ご自身のものであるのだというのが、あなた自身の、一貫して変わることのない、単純で自然な経験となるはずである。
 あなたは自分が、「聖なる母神」ご自身の内から「聖なる母神」ご自身によって形成された人物にして力なのだということを、自ら悟り、眺め、感じるようになるはずであり、そしてまた、自分が、彼女の内から、神ご自身の遊戯(リーラー)のために取り出された存在でありながらも、彼女の存在から生まれた存在、彼女の純粋意識から生まれた意識として、また彼女の力から生まれた力、彼女の至福から生まれた至福として、彼女の内にあって常に安全に守られているのだということをも、自ら悟り、眺め、感じるようになるはずである。
 このような状態が完全なものとなって、「聖なる母神」の超精神的エネルギーがあなたを内側から自由に動かすことができるようになった時、あなたは初めて、神の聖なる御わざを通して完璧な存在となるのである。叡智も、意志も、行為も、すべては「至高者」からの流出として、「永遠の存在」ご自身の聖なる運動として、確実にして単純な、のびのびとしてキズのない、どこまでも光り輝くものとなるはずである。

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