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校長ことマヘンドラナート・グプタの略歴(5)

 タクルはときどき、どれほど真理を理解しているか彼をテストなさったが、そのこともコタムリトの中に書いてある。――例えば1884年11月9日の記述等に。こうして見ると、この仕事(コタムリト)は、マヘンドラナートにとってはすることに決定していたものと思われる。マヘンドラナートは、タクル・シュリー・ラーマクリシュナのところへ来ていたときに、あの方の甘露のような不滅の言葉を、その都度詳細に日記として筆録していたのである。年、月日、曜日、白分・黒分などももれなく記入している。この記録を基礎にして『ゴスペル』(英語で書いたコタムリトの一部)と、ベンガル語による『シュリー・ラーマクリシュナ・コタムリト』五巻を書き上げた。この仕事は、歴史上で例を見ないものであるし、また、アヴァターラ(神の化身)の生涯の言行(伝記)を、いつの時代にも、どの神の化身についても、このような形で記したものはないのである。この全く新しい形の聖書であるコタムリトについて、インディアン・ネーション紙のN・ゴーシュ先生が、まさに次のように書いている。

「これは、形而上学的な迷路を通してではなく、まっすぐに我々を真理に導く。その形式は、単純さにおいて聖書的である。このようにもしシュリークリシュナ、ブッダ、イエス・キリスト、モハメット、ナーナク、シュリーチャイタニヤの言葉がすべて保存することができていたら、何という財宝を世界にもたらしたことであろう。」

 この仕事は、誰にでもできるものであろうか。たとえできたとしても、これほど純真にありのままのタクルを表現することはできなかったであろう。Mのこの仕事には疑いもなく、タクルのご意思と恩寵が注がれているのだ。タクルはまず、マヘンドラから著者であるという気持ちを取り払われた。マヘンドラナートが自らを隠していくつかの仮名を用いていたのもそのためなのである。そのことは『コタムリト』の中によく表れている。

 マヘンドラナートの口から出た言葉や彼の態度は、どの点から見てもタクルと共に住んでいるタクルのしもべそのものであった。そして、自身は出家としての生活をしていた。いつも彼は、我々のただ一つの目標を達成すべきである、――「我々の天の父が完全であられるように完全であれ」と言っていた。
 
 タクル・シュリー・ラーマクリシュナの死後、彼は、バラナゴル僧院にときどき通って同胞の弟子たちと一緒に過ごし、彼らの世話をしたり共に修行をしたりして、離欲と堅固な信仰を身につけていった。ときおり、神に全託する精神を養うために、極貧の人のようにカルカッタ大学のセネト・ホールの軒先で夜を過ごした。しばしば、家の西の小屋に住んで修行僧のように苦行をしていた。ときおり、巡礼から戻ってくる人々を見るためにハウラ駅に行っては、手を合わせて彼らを拝んだ。彼らのところからプラサードのおさがりをもらい受け、そしてもし誰かが一緒にいたならば、彼らに「プラサードは、神と交流させてくれる」と言って、その人にもプラサードを分け与えていた。

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