yoga school kailas

本望

 私のヨーガ教室のある生徒さんが、癌の手術で右目の眼球を失った人と接する機会があり、その後ずっと、自分の右目がおかしくなり、今も見えにくい。そして右の鼻も通りづらくなったのだけれど、これはその人のそのようなカルマが移ってきたのでしょうか、という話をしてきた。

 実際、人と人とは、接したり話したりするだけでも、エネルギーのまじりあいを常に行なっている。ヨーガ修行をすると、エネルギーが強くなり、かつエネルギーに敏感になるので、これらの現象がよく起きるし、またよく感じるようになる。

 ところで結局、この生徒さんは、その患者さんの影響を受け、自分の右目もおかしくなってしまったのだろうか? そのようなことが実際にあるのだろうか?

 それについては、ここでは言及しない。この日記で論ずるにはあまりに複雑なテーマだから。

 それはともかく、私はそのとき彼女にこう言った。

「実際にその人のカルマの影響を受けたかどうかは別にしても、あなたはこういうふうに考えるべきだね。
『彼のカルマが私に移り、彼が、今生では無理かもしれないけど、来世、清浄で完全な目を得てくれるなら、今、たとえ私の目がつぶれたとしても、私は本望だ』と。」

 そうしたら彼女は、

「実は私もそのように瞑想していました」

と答えた。

 
 ここにも何度か書いたけど、トンレンという仏教の瞑想法がある。これは簡単に言うと、他者の苦しみが自分の中に吸収され、自分の幸福が他者に注がれるということをイメージする瞑想だ。
 私の経験では、これは座って瞑想するだけではなく、日常において行なうと効果がある。
 たとえば彼女のような状況に置かれたとき。実際にカルマの移入が起きたのかどうかはわからないけど、その可能性を感じるような状況のとき。そう、イメージではなく、本当に自分の目が見えなくなってしまうかもしれないというような状況にあるとき、それでも「彼の苦しみが私に移り、私の幸福が彼に移りますように」と考えられるかどうかだね。
 私は町を歩き、すれ違う人みんなにこういう瞑想をしていたことがある。そうするとやはり、リアルにやればやるほど、エゴが嫌がるんだね。でもだんだん、心をこめてできるようになっていった。そしてそれに比例して、私の心も平安になっていった。

 以前、ある人から、
「トンレンの瞑想をしていたら、効果が出てきたようで、心が不安定になり、苦痛が増してきました。」
というメールをもらったことがあるんだけど、これは明らかに間違いだ。この人はおそらく、トンレンというものの意味をとらえ違え、自分が相手の苦悩を背負うというイメージに酔ってしまったのだろう。

 相手の苦悩を引き受け、自分の幸福を差し出すというトンレンの瞑想を心から行なうと、実は自分の苦しみは減り、幸福は増すんだよ。それが心の仕組みの面白いところだね。幸福を放棄すればするほど、幸福が増すんだ。

 しかしそこに至るまでは、自分とのエゴとの戦いが大変だ。私もつらかったけど、思い切ってやった覚えがある。

 だからこの彼女が、そのような状況にありながら、私に言われる前から、自分でそのような瞑想をしていたというのは、素晴らしく偉大なことだと思ったんだ。

 正直、この生徒さんは、以前は執着や怒りの感情も強く、それが雰囲気としてにじみ出ているようなところも見えたんだけど、ヨーガ修行や、日々の生活の出来事を通じての修行によって、いろいろなものを乗り越えた結果、最近は顔も雰囲気も優しくなり、大変智慧を感じられる言葉を話すようになった。
 でもそのような大きな変化に費やした時間はわずか数ヶ月なんだ。もちろん持って生まれた素養というのもあるだろうけど、人を進化させていく修行というものの素晴らしさを改めて感じますね。

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