心をいやおうなく不動にする
『ヨーガ・スートラ』より
マイトリー・カルナー・ムディトーペークシャーナーン
スカ・ドゥフカプンニャープンニャヴィシャヤーナーン
バーヴァナータシュチッタプラサーダナム
慈愛、哀れみ、喜び、および無頓着が、それぞれ幸福、不幸、良い、そして悪い対象に対して思われるなら、心は静寂となる。
プラッチャルダナ・ヴィダーラナービャーン ヴァー プラーナシャ
息を吐き出す法と、息を止めておく法によっても、心の静寂が得られる。
ヴィサヤヴァティー ヴァー プラヴリッティルトパンナー マナサハ
スティティニバンディニー
あるいは、いろいろな対象を持った感覚現象が発現するならば、それは心をいやおうなく不動にする。
ヴィショーカー ヴァー ジョーティシュマティー
あるいは、すべての悲しみを超える『まばゆいばかりの光明』が発現するならば、心をいやおうなく不動にする。
ヴィータラーガヴィシャヤン ヴァー チッタム
あるいは、感覚対象へのすべての愛著を捨てた聖者の心を瞑想することも、心をいやおうなく不動にする。
スワプナニドラージュニャーナーラムバナン ヴァー
あるいは、睡眠中に得た叡智を対象とする瞑想も、心をいやおうなく不動にする。
ヤターヴィマタディヤーナードヴァー
あるいは、何であれ、自分にとって好ましいものを瞑想することによっても、心は不動になる。
パラマーヌ パラママハットヴァーントーシャ ヴァシーカーラハ
以上のような方法で、心が不動になった人には、極微の原子から極大の無限者に及ぶすべてのものに対する支配力が生ずる。
クシーナヴリッテーラビジャータシェーヴァ マネールグラヒートリ・グラハナ・グラーヒェーシュ
タットスタ・タダンジャナタ サマーパッティヒ
かくして心の作用がすべて消え去ったならば、水晶がその傍らの花などの色に染まるように、認識主体、認識器官、認識対象が、集中して同一になる。
タトラ サブダールタジュニャーナヴィカルパイヒ サンキルナー
サヴィタルカー サマーパッティヒ
言葉、その言葉の示す客体、そしてそれに関する知識、それらを区別し熟考する分別智が混じているものは、サヴィタルカとよばれる瞑想である。
スムリティパリシュッダウ スワルーパシュニェーヴァールタマートラニルバーサー
ニルヴィタルカー
憶念が清められたときに、すなわち意識自体がなくなってしまったかのようで、客体だけが一人輝き現われる。これがニルヴィタルカとよばれるものである。
エータヤイヴァ サヴィチャーラー ニルヴィチャーラー チャ スークシュマヴィサヤー
ヴィヤーキャーター
これに準じて、それよりも精妙な対象に関係するサヴィチャーラとニルヴィチャーラは説明される。
スクシュマヴィシャヤトヴァンチャーリンガ・パリャヴァサーナム
より精妙な対象というのは、万物の根源である自性に至るまでの形而上的な諸原理を総括した表現である。
ター エーヴァ サビージャハ サマーディヒ
以上が有種子サマーディである。
ニルヴィチャーラ・ヴァイシャーラディェーディヤートマプラサーダハ
ニルヴィチャーラの瞑想が曇りなき状態に達したとき、内面的静寂が生ずる。
リタムバラー タトラ プラジュニャー
その内面的静寂の中に、真理に満たされた智慧が生ずる。
スルターヌマーナプラジュニャービャーマニャヴィシャヤー
伝承や推理から得られる智慧は普通の対象に関するものである。今述べた智慧とは、はるかに高い段階のものであって、伝承や推理の貫通し得ないところまで到達しうる。
タッジャハ サンスカーローニャサンスカーラプラティバンディー
ここから生じるサンスカーラは、他のサンスカーラの発現を妨げる性質を持っている。
タシャーピ 二ローデー サルヴァニローダーッニルヴィージャハ サマーディヒ
これ(他のすべてのサンスカーラを退けるサンスカーラ)さえも止めてしまったとき、一切の心の作用が止まってしまうので、無種子サマーディが出現する。