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覚醒の太陽(14)

「「もし人にこれを与えるなら、私は何を食べよう」と、かく考える者は、自利のために餓鬼となり、「もし私がこれを食べたら、何を人に与えよう」と、かく考える者は、利他のために神々の王となる。

 自我のために他を苦しめれば、その人は地獄等で煮られる。
 しかし、他のために自我を苦しめれば、全ての幸福を得る。

 自我を(人の上に)高めようと願えば、悪趣に生まれ、下賤となり、おろかとなる。
 しかしその願いを他人に移し行なえば、善趣に生まれ、名声を高め、賢くなる。

 自我のために他人に命令をすれば、(後に)召使の状態を経験せねばならない。
 しかし、他のために自我に命令すれば、(後に)支配者等の状態が得られる。

 この世で苦しんでいる人々は、すべて(前世等で)自利をはかったためである。
 この世で楽を得ている人々は、すべて(前世等で)利他をのぞんだためである。

 多くを言う必要がどこにあろう。自利を求める愚者と、利他を行なう聖者の区別を、見るべきである。
 
 自己の楽を他人の苦しみと転換しない者は、確かに仏陀となることができない。輪廻界においても、どこから彼に楽が生ずるか。 」

 

 自我をとって生きる場合と、利他のために生きる場合の果報の違い--つまり前者は苦しみを生み、後者は幸福を得るわけですが--その例がいろいろと挙げられていますね。

 そしてそのまとめ、結論として、
「この世で苦しんでいる人々は、すべて(前世等で)自利をはかったためである。
 この世で楽を得ている人々は、すべて(前世等で)利他をのぞんだためである。」
と言い切っています。

 これは事実なのです。単なる道徳的な方便の言葉ではなく、この世の法則、事実なのです。

 この点について、ダライ・ラマ法王は、ユーモアたっぷりに、「真のエゴイストは、利他の実践をする」とおっしゃっています(笑)。つまり、利他こそが自己に幸福をもたらすのだから、本当に自己の幸福を追求する者(エゴイスト)は、利他の実践をするはずだ、ということですね(笑)。しかし実際は、エゴにとりつかれた人は、そのような智慧の目が持てなくなっているので、幸福になりたいと願いながら、実は自己を苦しみに突き落とす自我(エゴ)を、常にとってしまうのです。

 だから我々は、エゴを守り、自我の欲求を満たす生き方が幸福を生むのだという錯覚を--永い永い間抱き続けてきたこの錯覚を--この入菩提行論などを何度も繰り返し読むことによって、訂正していかなければなりません。利他こそが、自我を捨てて利他の実践をすることこそが、ただ我々を幸福にするのだということを、まずは何度も学び、考え、信じ、理解し、実践し、その果報を実際に何度も繰り返し経験することで、心に悟らせなければなりません。

 これもまた「最高の秘密」なのです。このような「最高の秘密」の教えに出会えた方は、大変幸運な衆生だと言えるでしょう。これは千載一遇のチャンスです。この類まれな機会を生かし、この教えを実践するかどうかは、あなたしだいです。

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