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心とマーヤー(4)

 この世界が決して、永遠で快適さと自由を提供する家を与えてくれないことに気づくと、人はよそを探し始めます。この世界のどの家が、これらを満たしてくれるでしょうか? たとえ理想的な家があったとしても、私たちの渇望を満たしてはくれないでしょう。私たちには、至福、永遠の生、そして自由への、限りなき渇望があります。そしてどんな家も、これらを限られたわずかな量しか与えてくれません。
 それゆえに、世界には決して理想的な、無限の至福、無限の快楽、無限の自由を有する家を見い出すことはできません。王や皇帝のところへ行ってごらんなさい。そして彼らがそれらを持っているかどうか、見てみてごらんなさい。あなたは、誰もが、自分の状態に満足していないことに気がつくでしょう。
 これを悟ると、人は「もしそのような家をここで見つけられないなら、他を探さねばならない」と言って、霊性の生活に対して忠実になるのです。

 これは、心を集中させるためのひとつの方法です。ここの世界や高い世界での喜びが、あなたの熱望を満たすほどではないことを知り、ここの全てが一時的なものであることを知り、そして全てが永遠(ニティヤ)であるところがあると知ったならば、あなたの心はそこへ行こうとするようになるでしょう。
 そして、人はこの全てが彼に幸福をもたらさないと知ったなら、「私はこの世界の友をつくってはならない」と言うでしょう。
 このように、彼はマーヤーというレイセーンに愛想をつかすようなっていきます。彼は、この宇宙全体をてんびんにかけ、それが無価値であると気づいたからです。しかし、そこから離れようとすると、彼は、それが非常に難しいということに気づきます。

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