安らぎを見つけるための三部作 パート3(1)「夢」③
すべての現実は、夢のようなものです。
われわれがその夢を現実だと感じたその時から今の今まで
そこには実質的なものは何もありませんでした。
その絶え間ない夢の連続の中で
すべてのあらわれを適切に観察し、調べるなら
それは真実でも誤りでもないことがわかります。
それは存在でも非存在でもなく
そのようなあらゆる概念の限界を超えているリアリティです。
それは空のようであり
言葉で表現することはできません。
無始の過去から、このリアリティは純粋であり、明らかであると知ってください。
輪廻もニルヴァーナも、夢のようなものです。
創造的な想像力の運動の中で、
どのようにこの夢のようなキャラクターに自我意識を持ち、
巻き込まれていくのでしょうか。
それを知るには、まず座法を組んで座り、
瞑想の障害となるものを対治した後で
正しい想いを湧き起こさせてください。
それから、それ自体であらわれている、その幻影を呼び出し、集中し、観察します。
するとその幻影に空いた穴から
自由で完璧な本質が、姿をあらわしだします。
あなたがこのような瞑想を実際に成功させようと思うなら
まず、次のような観想から始めなければなりません。
あなたの頭上に蓮華があり
その上に太陽と月の座があることを観想してください。
そしてその座の上には、あなたの根本グルが座り、
その周りを、守護の神々、ダーカとダーキニー、そしてその眷族たちが取り巻いています。
あなたは根本グルとその他の神々たちに供物を捧げ、
彼らを讃嘆し、
そして、すべてが夢であると悟ることを手助けしてくださいと、祈ってください。
そしてあなた自身と、この偽りの世界のすべてが
純粋な光に溶解していくことを観想してください。
それから、空のように広がりのあるその純粋な光の中に
しばらくリラックスしてとどまってください。
その優美さの中で
深遠な理解は、それ自らやってきます。
その後、その深い智慧の意識の中で
外側の世界をイメージし、観察します。
山、谷、国、大地、水、火、空間、そしてそこに生きる多くの生き物――
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五つによって、
われわれはそれらの外部のものを知覚していると考えています。
内側の主観的な世界で
実際は存在しない自分自身と周りの世界を認識しているその仕組みは
ちょうど、夢を見ているときのようなものなのです。
あなたが昨日までの人生で経験したすべてのことは
昨夜見た夢のようなものです。
現在見ている現実さえ、あなたの主観的な心の妄想に過ぎません。
そのように、すべては何もないのに、そこにあるのです。
昨日と今日は夢のようなものであり
明日と明後日は、まだやってきていない夢です。
あなたの人生のすべてはそのようなものであり、
肯定的な思いも否定的な思いも
幸福も不幸も
すべては夢です。
決して、それらの心が真実であるという考えを抱かないでください。
しっかりと注意して、
食べているときも、座っているときも、歩いているときも、
動き回っているときも、しゃべっているときも、
「すべては夢である」という認識を保持し続けてください。
存在するすべてのもの
起こっているすべての現象
そして、考えられているすべての思考
それらはすべて夢です。
その認識から、決して離れないでください。
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2011年4月3日 仙台ヨーガ講習会より