yoga school kailas

大きな試練をいただくために

 よく、

「私のこの心の汚れ、カルマを浄化してください! そのための苦しみはどんなことでも耐えます!」

と神や仏陀や師に祈る人がいる。

 これは素晴らしいことだ。

 しかしその人を見ていると、日々の小さなことでエゴを出し、小さなことで文句を言い、小さなことで心を動かし、小さなことでプライドを出し、小さなことで嫌悪している。あるいはほんの小さなことでもう真理を見失い、自分を見失ってしまう。

 こんな状態の人に、神・仏陀・師は、「心やカルマを浄化するための試練」を与えるはずがない。与えられないのだ。
 だからそのような人には、「エゴを壊さない程度の小さな試練だけがある、甘い環境」がプレゼントされる。
 彼はそれでも「俺は大きな試練を与えられた!」と感じるかもしれない。何のことはない。彼の心が苦しみを嫌悪しているがゆえに、小さな試練を『大きな試練』と感じているだけのことだ。そのような自己満足の修行からは、あまり多くの進歩は期待できない。

 逆に、真に道を求め、自己を投げ出し、帰依し、自己がまだまだであると謙虚に慚愧し、エゴを超えようと真剣に努力している人には、自然に、「心やカルマを浄化するための大きな試練」が与えられる。

 実際、そのような試練なしには、なかなか本質的な魂の進化は成し遂げられないものなのだが、道を求めていると言いつつ、そのような心構えの準備さえできていない人が多いがゆえに、なかなかそのような祝福は発動されない。

 だからもしそのような試練を望む志のある人がいるならば、まずは日々の小さなことから、エゴを抑え、文句を言わず、心を動かさず、プライドを出さず、嫌悪せず、教え通りに生きる訓練をすることだ。
 そして自己のウィークポイントを認識している人は、それを補うための修行をコツコツとおこなう。
 あるいは全体的に、基礎的な修行をコツコツと固める。
 なぜならそれら日々の修習によって身につけたダルマこそが、自己を浄化する大きな試練という祝福がやってきたときに、それを乗り越えるための大いなる武器となるからだ。

 すべてに偏在し、常に自分をごらんになっている神・仏陀・師に対して、このように日々の小さなことから、コツコツとアピールをするのだ。全力を尽くして、完璧に教え通りに生きるのだ。そしてそのアピールが認められたときに初めて、真に価値ある試練という祝福がやってきて、その人のカルマを浄化してくれるだろう。

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