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勉強会講話より「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第七回(2)

 はい。それからちょっと関連しますけども、今度は後半の方で、ラーマと聖者ヴァールミーキーとの会話の中で――まあこれはね、これもまた『ラーマクリシュナの福音』に出てくる話にすごく似てるんだけど。まあラーマはもちろん至高者の化身なわけだけども、そういったその至高なる神の化身っていうのは、あの、なんていうかな、普通は完全に――まあ例えばその至高者が人間界に使命を持って降りて来た場合ね、普通は完全に人間に紛れ込みます。紛れ込むっていうのは、誰も気付きません。普通はですよ。誰も気付かない。もちろんそれはその人はちょっとなんか崇高だったりするかもしれないけど、まあでもまさか神とは思わない。ね(笑)。例えば、近代で言うともちろんラーマクリシュナとかがいい例ですよね。まあラーマクリシュナをどう見るかっていうのは人によるだろうけど。まあわたしはラーマクリシュナも至高者の化身だったと思ってるけども、仮にそうだった場合ね、そうだとしても、普通に見たら、普通のなんかちょっとおじさんっていうか(笑)。普通の人が見たらですよ。普通の人が見たら、ちょっとなんていうか、うだつのあがらない感じのね、ちょっと姿勢の悪い、ちょっと面白いこと言う、まあ僧侶っていうかな。うん。そういうふうにしか見えない。で、もちろん彼にも彼の歴史があるわけです。歴史っていうのは、例えば小さい頃こういうふうに育ってとか、つまり普通の人間みたいに育って、普通の人間みたいな社会生活があってね。だから誰も――まあ、まあまあ結構知性が高い方ですね、ぐらいに思うかもしれないけど、誰も彼が神の化身って分からないんですね。で、それが今日、その後半に出てきたのは、あなたが――つまり主の恩寵がなければ、まあ別の言い方すれば、あなたが自らを明かしてくれなければ、誰も気づかない。
 これは何度も言ってるけど、ナーグ・マハーシャヤの生涯とかであるね。これはあの、ナーグ・マハーシャヤっていう方は――まあこれも知らない方はね、また『聖者の生涯』とか読んでほしいですけども――まあラーマクリシュナの弟子の、在家の弟子の一人なわけですけども。あの一番弟子のヴィヴェーカーナンダがね、「わたしは世界中を飛び回ったが、ナーグ・マハーシャヤほど偉大な人物にはついに会えなかった」っていうぐらいの(笑)、もう大聖者なんだけども。このナーグ・マハーシャヤが最初にラーマクリシュナに出会ったときにね、まあちょっとした会話があったわけだけども。その直後くらいに――ナーグ・マハーシャヤっていう人はね、まあ本当に伝記とか読むと分かるけども、まあものすごい、率直すぎるぐらい率直っていうか。純粋すぎるぐらい純粋な人なんだね。なんかこう計算とか、あるいは自己利益とかまったくそういうのがない人で、もう本当に純粋にただ真理だけを求めてた人ですね。あるいは妥協とかできない人で。で、まあ、だからっていうのもあるかもしれないけども、彼はその、ラーマクリシュナと初めて会って間もなくして、完全に確信したんです。「彼は完全なる神の化身だ」と。つまり、「ラーマクリシュナは完全なる神の化身だ」と。で、それをね、まあもちろんそのときはまだ多くの人はそんなこと思ってはいなかった。さっきも言ったように、ちょっと話が面白いお坊さんぐらいにしかみんな思ってなかったんだけど、でも最初からナーグ・マハーシャヤは、ラーマクリシュナが完全な神の化身だと気づいていたんだね。で、それをのちに周りの人から聞かれたんですね。「なんで分かったんですか?」と。「なぜあなたはそう思ったんですか?」と。で、それに対してナーグ・マハーシャヤが答えたのは、「誰であっても、主の恩寵なしに、主の正体に気付くことはできない」と。ね。「主の恩寵によってわたしは、あのドッキネッショルの片田舎の寺院で、至高者がこっそりとリーラーをやってるっていうことに気付かせていただいたんです。」
 つまりナーグ・マハーシャヤがいろんな知性によって分析して、「こうでこうでこうでこうで、この人は神の化身としか考えられない!」って分かったんじゃなくて――つまり具体的に言うと、ラーマクリシュナの側が、恩寵によって明かしてくれたってことだね。自分のその正体を気づかせてくれたと。こういうかたちでないと気付けないんだよっていうことですね。
 もちろんそれは、その魂との縁であるとか役割であるとかによって、気付く人と気付かない人がいる。これはまたラーマクリシュナがよく挙げる別の例えであるけども、暗闇でね、暗闇の真夜中に、警察官が、いわゆるランタンっていうかな、松明っていうか、明かりを持ってね、こうやってきたと。で、明かりを持ってやってきた警察官の顔をね、いくら見ようと思っても見えない。つまり暗いから。見る方法はただ一つで、警察官自身がその明かりを自分の顔に近づけてくれたとき(笑)。そのときだけ警察官の顔が見えるんだね。全くこれも同じだと。つまりその神の化身が現われたとき、その神の化身だと気付けるかどうかは、神の化身自身が自分を現わすしかないんだと。だから神の化身が現われて、それを神の化身だともし気付く人がいたとしたならば、それはその人自身の力ではなくて、化身がこっそりと分からせてくれたっていうかな――ということですね。
 

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