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勉強会講話より「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第七回(3)

 はい。そしてもう一つ関連して言ってたのが、まああのね、ヴァールミーキーがラーマのことを、「あなたは完全な至高者である」ってこう、褒め称えるわけだけども、でもちょっとラーマは逆に、ちょっとこう冗談っぽくね、「いや、あなたはもう悟ってらっしゃるから――つまり、悟るとね、もちろん神はすべてに遍在していると。つまり一個の原子の中にも至高者はいらっしゃると。すべてが至高者であるって気付くから、あなたはその境地に達してるから、わたしのこともそう思えるんですよ」みたいなこと言うわけだけど(笑)。いや、そうじゃないんだと。
 で、これも同じような話が――前も言ったけど、ラーマクリシュナの話にある。これもね、聞いたことある人いると思いますが、ラーマクリシュナが――ラーマクリシュナはさっきも言ったように、恩寵によって一部の弟子に自分の正体を気付かせてはいたけども、口では別にそういうことは言ってなかったんだね。「わたしは神の化身である」とか、「わたしは至高者である」ということは、まあほとんど言わなかった。でも何回かだけ言ってるんです。何回かだけね。その一つはね――「かつてラーマとして現われ、そしてクリシュナとして現われ――そしてそのあとチャイタニヤっていう聖者がいたんですが――チャイタニヤとして現われた、あれと同じものが今ここにいるんだよ」ってことを、晩年に仰ってる。うん。で、それからもう一つは、ヴィヴェーカーナンダに対して、これもラーマクリシュナがほとんどもう亡くなる直前ですけども、ヴィヴェーカーナンダが口に出さないで心の中でね、その亡くなる直前のラーマクリシュナを見て、こう心の中で思ったんですね。それは何かっていうと、「もし彼が――つまりラーマクリシュナご自身が――自分は完全なる絶対者であるということを仰ってくれたなら、わたしは完全に彼に帰依し、すべてを捧げよう」っていうことを心の中で思ってたんだね。つまりラーマクリシュナはずーっとそういうことは仰らなかった。で、それに対しても――まあおそらく心を読んでね、まあ今言ったようなことを仰ったんだね、ラーマクリシュナが。つまり、「かつてラーマやクリシュナとしてあらわれた者が今ここにいるんだよ」と。で、最後に付け加えたのが、「しかしお前のヴェーダーンタの見地から言ってるんじゃないよ」って言ったんだね。
 これは今言ったヴァールミーキーの話と同じで、ヴェーダーンタの見地っていうのは、ヴェーダーンタの悟りっていうのは、さっき言ったように、すべてはブラフマンだったと。すべては完全なる至高者がこの宇宙に遍在していらっしゃるんだっていう考えだから、その考えで言うと、まあ全部至高者になっちゃうと。で、そういう意味で言ってんじゃないですよと。そうじゃなくて本当にここにいるんだと。ね(笑)。今わたしの、このラーマクリシュナとしての現われは、あのラーマやクリシュナが現われたのと同じように至高者のリーラーとして、今生やってきたんですよっていうことを、最後にこっそりとヴィヴェーカーナンダに言うわけですね。これもだからさっきの話と同じ。
 だからもう一回言うけども、まあ絶対の真理としてはこの宇宙に完全に至高者が遍在してるっていうのは確かなんですよ。そういう意味ではここにいる全員が至高者の化身であるし(笑)、あるいはこの宇宙すべてが至高者と言えるんだけども、そうじゃなくてまた全然別の見地で、それはそうなんだが、その至高者の本質みたいなものが、世を救うためにっていうかな――まあもうちょっと言えば世の調整をするために――世が魔ではなく真理の方に向かうための調整をするために降りてくるんですね。で、その存在っていうのは、普通は誰にも分からない。しかし、まあその至高者が意思した者っていうか、自ら明かした者だけがそれに気付くっていうことだね。
 はい。まあ今日はあんまりね、メイン的な話ではなかったけども、エッセンスとしてはそういう話がありましたね。はい。

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