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勉強会講話より「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第六回(12)

【本文】

⑱菩薩が修習(しゅじゅう)すべきことに心を向けず、世間が要求していることに心を向けることは魔事である。

 はい、これも深くは言いませんが、皆さんそれぞれ考えてくださいね。これはこの書いてあるとおりです。つまり、菩薩が注意すべきこと、もしくは、バクティヨーガにおける、神のしもべが修習しなきゃいけないことがある。しかしそうじゃなくて、世間が要求すること。この世間が要求することっていうのは、皆さんそれぞれ考えてください。ね。もちろんね、世間が――広い意味でね、あらゆる意味で世間が要求することを無視しろとは言わないよ。当然この、わたしもいつも言ってるけど、電気代払ってるしね。それ無視したら捕まっちゃうよね(笑)。「電気代払っていないんですけど」とか言われて、「菩薩である」とか言って、「世間の要求は関係ない」とか言ったら電気止められちゃうからね(笑)。それは意味のない抵抗だけども。じゃなくて、もちろんこの世間において、世間の一員としてね、もちろん義務っていうかな、果たさなきゃいけないことは果たさなきゃいけないんだけど。じゃなくて、たぶん皆さん、言っている意味わかるでしょ? 教えと関係がない、あるいは教えと反する、世間が要求することです。つまりそれは本当に細かいことから大きなことまでいろいろあります。で、もちろん何度も言うけどさ、ケースバイケースでそれをやった方がいいときもあるよ。やった方がいいときっていうのは、なんとも言えないけどね、なんとも言えないんだけど、今の自分の置かれた状況とかにおいてね、それは世間的なことではあるが、例えば家族の気持ちをはかってね、こういうことはやった方がいいとかね、それはいろいろあるでしょう。しかしそうじゃなくて、根本的なその菩薩の生き方、菩薩の道を主に置くっていうことを忘れて、なんていうかな、世間に合わせることが、あるいはその、世間一般の常識的に、こうしなきゃいけない、こうすることがいいんだ、ってやることに自分を合わせることにちょっとこう心が向いてしまっているとしたら、それは魔事ですよ、ということですね。これは微妙な問題なので、それぞれで考えてください。
 はい、じゃあ次。

【本文】

⑲大乗の仲間をよりどころとせず、小乗の仲間とともにいることを好むのは、魔事である。

 はい、これはこのままですね。つまりこれは法友の影響っていうのは、あるいは友の影響って人は受けるので、大乗の仲間、つまり同じ菩薩道歩くような仲間とその共にいるべきであってね。そうじゃなくて、修行者であっても菩薩道を否定し、ただ解脱だけを求める仲間と、あまり仲良くするべきではないっていうことだね。はい、じゃあ最後。

【本文】

⑳豊かな真理の法を持つ者たちをよりどころとせず、現世的な権力を持つ者たちとともにいることを好むのは、魔事である。

 はい。これもまあ読めば当たり前のことです。当たり前のことだけども、さっきから言ってるけども、当たり前のことにこうはまってしまう場合があるっていうことですね。だからこれも皆さん気を付けて――ふと気付いたらね、「あれ、最近カイラス行ってないな」と。「最近、法友と話してない」と。で、でも仕事はうまくいっていると。仕事はうまくいってて、で、無意識のうちに、仕事をうまくいかせるために、権力者とかととても仲良くなってると。それは確かに社会的な世俗的なことはうまくいってるけども、「ああ、でも最近、カイラス行ってないな」と。「修行してないな」と。「法友たちと接してないな」っていう状況があるとしたら、それは魔事ですよ、ってことだね。まあ当たり前のことですけどね。

 はい、じゃあバーッと二十項目いきましたが、ここまでで終わりにして、質問がね、あったら、最後に聞いて終わりにしましょう。
 はい、何か全体的にある人はいますか? 特にないかな?

(質問者)魔事っていうのを、神の愛だっていうふうに考えてもいいわけですか?

 それは、究極の正しい答えだね。うん。だから、もちろん真実には段階があるからさ、いつも言うように例えば、「このコップは何でできていますか?」って言った場合、「ガラス」っていうのが正解なんだけど、でも、「本当のことをいうと原子である」と、ね(笑)。それと同じで、魔事っていうのはわれわれが闘わなければいけないやつなんだけど、でも本当のことをいうと神の愛なんだね。でも、神の愛っていう意味っていうのは、実際はもちろん神はなぜそれをやっているかっていうと、われわれがその、魔事――ちょっとこれは誤解を恐れずに言うとね、魔事にわれわれが引っかかり、引っかかりつつ、どっかで気付き、闘い、乗り越え、成長すると。これを望んでるんだね。よって、魔も神の手下なんだね。

 はい、ほかに何かありますか?

 はい、ではなかったら、また最後は「シャーンティ・マントラ」ね、これを一緒に歌って終わりにしましょう。

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