勉強会講話「聖者の生涯 ナーロー」⑥(5)
◎地元素の浄化、変化身の修行
はい。で、ちょっと今日はこの辺までにするけども、この十二の試練の解釈もいろんな解釈があるけども、一つの解釈としては、この十二の試練の最初の三つっていうのは、地元素――つまりムーラーダーラ・チャクラのレベルの浄化であり、同時に変化身の修行ともいわれる。変化身の修行っていうのは、つまりムーラーダーラ・チャクラっていうのは地元素、いわゆる肉体レベルの修行ですね。つまり肉体の完全なる浄化が、この三つの試練によって与えられたとされています。で、それによって――つまり変化身っていうのは、この肉体レベルが完全に浄化されたときに現われる神秘的なね、修行の聖なる身体なので――この三つの試練によって肉体、地元素レベルが完全に浄化され、変化身の成就を得たとされてる。で、それはチャクラでいうとムーラーダーラですね。
はい、ここで、みんなこう考えるかもしれない。「え!? そんな高い段階でムーラーダーラ?」と。みなさん分かると思うけど、チャクラっていうのは、もちろん下から進んでいくんだけども、何段階もあります。どういうことかって言うと、例えばね、よく一般のヒーリングとかヨガとかやってる人で、わたしもよく相談受けることあるんだけど、よくメールとか来てね、「わたしはアージュニャー・チャクラだけ開いているんですけど、喉のチャクラが開くにはどうしたらいいでしょうか」ってくるんだけど、そんな、開いていません、アージュニャー・チャクラなんて(笑)。つまり多くの人が言ってるチャクラが開いたとかっていうのは、多くの場合、恐らく七~八割は、勘違いです。ちょっとここがムズムズするとかね。普通の人でもします。こうやってればムズムズするから(笑)。
(一同笑)
みんなやったことあるよねこれ・・・・・・【眉間に指をちかづける】(笑)。「ああムズムズする……!」。誰だってするよ、そりゃ。神経が集まってるからね(笑)。うん。「なんか喉が詰まる!」って、それ風邪じゃないですかって(笑)。ね。大部分は、錯覚です。で、そうじゃない一部は、本当にそこに何か起きている場合もあるけど、でもそれは非常に表面的なことです。表面的にそのチャクラがちょっとこう動いてるとかね。
っていうのは、チャクラって誰でも使ってるから。修行してない人でも。なんでかっていうと、チャクラっていうのは神経の集まりだから。例えば喉のチャクラは、甲状腺と関係があるといわれている。で、甲状腺は誰でも使ってるよね。われわれの成長とかに関係があるといわれてる。例えばへそのチャクラは太陽神経叢といって、これも神経の集まりだと。だからいろんな神経、重要な神経とチャクラっていうのはかぶっているので、誰でもチャクラは使ってるんです。
そうじゃなくて本格的に修行に入った場合、最初の段階での元素の浄化のレベルがある。それは例えばある段階で、例えばよくここでも言うようにね、ある段階でものすごくお腹が空くようになったと。すごく消化が強くなったと。これはもう火元素のレベルですねと。これは初歩段階の元素のステージアップのレベルです。それからいきなりお腹が空くのが止んで、食べなくても大丈夫になりましたと。で、体が軽いと。あ、風元素かなと。それは確かに火から風に移行しているんです。でもそれはまだ浅いです。さらに次のレベルの地・水・火・風の段階とかあったりする。
つまり修行っていうのはそういう意味で面白いもんで、螺旋階段みたいなもんなんだね。螺旋階段。つまり分かるよね。例えばそういう意味ではね、例えば南が――例えばだけどね、南が地元素、西が水元素、北が火元素、東が風元素だとした場合、一周するよね。で、螺旋階段だから一周して、「あっ、また地元素になりましたね」と。でも高くなってるでしょ? より深い段階の地元素のステージが始まるんです。こういう感じでだんだんこう螺旋階段のように、実際言葉にすると、地・水・火・風・空……また地・水・火・風・空って進むんだけど、いってるレベルが全然違うんだね。だから小さなレベルでのそういったステップアップもあれば、非常に大きなというかな、本質的なレベルのステップアップがある。で、ここでナーローが、まずこの段階で地元素の浄化をしたっていうのは、もちろんかなり高度な、最後といってもいいぐらいの地元素レベルの浄化――つまりそれによって変化身を得られるぐらいの、浄化の話だね。
だからわれわれとはちょっとレベルが違う。「えっ、ナーローまだこんななの?」と。「おれ最近お腹空いてるからナーローより上かな」とかね(笑)。
(一同笑)
そんなレベルの話じゃないんだね(笑)。それは分かると思うけどね。はい。
◎複合的なチャクラの意味
じゃあ今日はこの辺にして、最後に質問があったら質問を聞いて終わりにしましょう。はい。今日の話と関係があってもなくても何か質問ある人、いますか?
(T)先生、今の、ムーラーダーラが地だったら、アナーハタが風になって、喉が空でっていうふうになって、アージュニャー以上はまた別でってなるんですか?
一応喉までで五大元素は終わりだね。で、頭頂は五大元素とかとは関係なくて、なんていうかな、頭頂もレベルによって違うんだけども、大まかにいうと解脱の世界。つまりこの世界と、例えば色界とか、あるいは高い場合はニルヴァーナとか、そういったこの世界を超えた世界とをつなぐ穴みたいなものですね。
で、眉間のアージュニャーチャクラはね、これはいろんな文脈によって違うんだけども、例えばここでやらせてるエネルギーの瞑想とかでも、この真ん中の気道使うときは、このアージュニャーは使わないんですね。アージュニャーは大体この表面にこう描かれてる。これはちょっとそうですね、どういう言い方したらいいかな――一つは、天界への門である。天界ね。解脱ではなく天界への門だね、一つはね。
(T)欲天ですか?
うーん、欲天が中心だけども、欲天だけではない。でもまあ欲天を中心とした天界への門。で、もう一つは、そうですね――例えば甘露であるとか、あるいはわれわれのエネルギーの変換を司っているとこだよね。というよりも、もうちょっと全体的な話をすると、当然チャクラというのはたくさんあります。つまりチャクラというのはいってみれば、神経の集まりっていうかナーディの集まりに過ぎないから。実際言われている七つのチャクラ以外にも、小さなチャクラってたくさんあるんですね。で、その機能みたいなのは、それぞれが司っている。で、その中でもわれわれの世界、つまりこの五つの元素でできた世界と関係があるのが、この重要な下から五つのチャクラなんだね。で、それから上っていうのは天への道だったり、あるいは天を超えた解脱への道だったりするわけですね。だから一般的にはこの喉までで五大元素を表わすということだね。
(T)イメージだとここが欲天でこっちが色界の天界とかそういう感じで大体……
それもさっき言った螺旋階段の話と同じで、つまりここ(アージュニャー・チャクラ)をもし欲天とするならばですよ、ここ(ヴィシュッダ・チャクラ)は阿修羅になるわけだね。例えばね。で、ここ(アナーハタ・チャクラ)が人間になるっていう感じになるわけだけども、そうじゃなくて、スワーディシュターナまでを人間と考える場合もある。で、このお腹が天界で、で、この胸がコーザル。つまりわれわれの最も深い無色界だね。で、このアージュニャーレベルを色界と考える場合もある。で、頭がそれを超えた完全な解脱というかね。
だからそれも同じだね、さっきから言ってるけど。その深さによって違ってくる。ただまあ全体の、なんていうかな、つまり下からだんだん上に上がっていくっていうそのバランスは同じなんだけど、その深みによってそこが司るものがちょっと違ってくる。
(T)おかしいと思ってたんですよ。よくアナーハタが人間界のチャクラって言われてて、人間界って水元素の世界って言われますよね? だけど今のムーラーダーラから地って考えたら、ここが風元素になるから、なんか矛盾してるなって思ってたんですよ。
だからそれは複合的なんだね。うん。いってる世界観の深さとか広さによって変わってくる。でも人間界も表わしていることは間違いない。
だからね、ちょっと変な話だけど、さっきの言い方で言うとね、かなり大きな世界観で言うと、人間はスワーディシュターナですよと。ね。でもちょっともうちょっと狭い世界観で言うと、人間がアナーハタになると。これはどっちも正しいんです。つまり両義性があるというか。よって、人間的な人、人間的な人っていうか――この二つで同時に引っかかる人って結構多いです。こことここね。つまり調子いい時はとても慈愛に満ち溢れている。調子悪くなると性欲に落ちるっていう(笑)。このパターンって多いね。つまり繋がっちゃってるんだね、完全にね。うん。そういうのってあるね(笑)。
まあだからそういう、なんていうかな、単純じゃないんだね、チャクラの世界一つとってもね。あるいは元素の世界一つとっても。かなり複雑に絡み合ってて、それを――だから逆に言うと、機能的に狙って、深い部分のものを引き出したりとかね。あるいは浅い部分のものをあえて引き出したりとかして、浄化していったりとか、修行して進めていくんだね。だからそんな適当には本当は出来ないんです。適当になんかちょっと本読んで、「アナーハタは愛でどうのこうの」とか、よく分からない人がやるような、本当は世界じゃないんだね。いいですか?
(T)ありがとうございます。
◎頼りない上司に対して
はい。他何かありますか?
(Y)すみません、ちょっとアホっぽい質問かもしれないんですけど(笑)。あの、なんか新しい職場の上司がちょっと頼りない人で、で、そういうのは、全然グルヨーガとかとは別に考えないとダメですよね? 働くときは世間の観念にある程度合わせて、で、そこの中で、こうやっぱり、なんか上司の指示をそのまま受けると、粗いところがあるのが、それはやっぱりその下の人が、やるところはやったりとか反抗したりしてもいいんですかね?
それはそうだよ(笑)。それはだって、その上司は悟ってないわけだから(笑)。うん。でもそれは状況によるけどね。状況によって、あ、これはね、本当に神がその上司の姿を借りてやってるんだって心から思えたら、それはそうすべきだけど、でもまあそうじゃない場合は普通に、要領よくっていうか、正しいと思う感じでやったらいいんじゃない、それは。
(Y)はい(笑)。
はい(笑)。はい。ただね、現世的なそういった関係においても、礼儀であるとか、誠実さとかそういうのはもちろん持った方がいいよね。それは日本人も含めて東洋人が持ってる一つの美徳であると思う。そういうところってあるじゃないですか。日本人とかって、上司とかがダメダメな人であっても、ちゃんと礼儀は払うとか。謙虚に――もちろん本当にその指示がさ――だからまさにアーナンダみたいなやり方でいいです。お釈迦様はもちろんダメな上司じゃないけども(笑)、アーナンダみたいに、ちゃんと謙虚な姿勢は見せて、でも自分で陰でちゃんとその修正をするとかね。うん。そういう感じでいいと思うね。
はい。他何かありますか? じゃあ特になければ、最後にシャーンティマントラね、を唱えましょう。はい、またいつものように、最初はサンスクリットのマントラをみんなで一回、一緒に唱えて、その後に日本語の詞章を一回唱え、で最後にAUMを三回ね、唱えて終わりましょう。
はい。では終わりましょう。
(一同)ありがとうございました。