冬の空のように
神は、与えて、奪う。
最初から与えられなければ、奪われる苦しみも生じなかったのに。
しかしこれが神の愛、リーラー。
「普段から一切に執着をしなければよい」というのは理想だが、実際にはそれは机上の空論になりがちだ。
よって神は、無理矢理奪う。
自分で与えておきながら。
本当のことを言うと、我々は「神から与えられたもの」を誤用しているから問題なのだ。
だから手遅れになる前に、神は奪うのだ。
そして狂った意識をもとに戻そうとしてくれるのだ。
時には聖者や師や聖典という使者を使わし、
「神が与えたもの」の本当の意味を、理解させようとしてくれているのだ。
神が愛によって奪ってくれるとき、
そしてそれを嫌がったり、適当な表面的な慰めでごまかしたり、他のもので埋め合わせしたりせず、
奪われることを、なくなることをありのままに受け入れたとき、
その人はこの世においては、狂人のようになる。
笑い狂う女神、カーリーのようになる。
それは、身を引き締める冬の寒さのようなものであり
冬の空のように、澄み渡って美しい。
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