yoga school kailas

一切のことをなさるのは

マニラル「トライランガ・スワーミーは、厳しい沈黙の誓いを守っています。彼とは違って、バスカラーナンダは誰とでも親しくします。」

ラーマクリシュナ「バスカラーナンダと何か話したか。」

マニラル「はい、長いこと話しました。その中で善と悪との話題を話し合いました。彼は言いました、『悪の道をたどってはいけない。罪深い思いは捨てよ。それが、神がわれわれに望んでおられることだ。有徳な務めだけを行なえ』と。」

ラーマクリシュナ「そうだ。それも一つの道、俗心を抱く人々のためのものだ。だが聖意識の目覚めた人、神だけが実在で他はすべて幻であると悟った人々は、別の理想を抱く。彼らは、神のみが行為者であって他は彼のお道具だ、ということを知っているのだ。
 聖意識の目覚めた人々は、決して間違った歩みはしない。彼らは、悪を避ける為に思案をする必要はない。実に神への愛に満ちているので、彼らが行なう活動はことごとく善い活動である。彼らは、自分たちは自分の活動の行為者ではなく、神の召使に過ぎないということをよく知っている。
 彼らは常に、『私は道具、彼が運転手だ。私は、彼が私を通してなさることをする。彼が私を通してお話しになるとおりに話す。彼が私を動かされるとおりに動く』と感じるのだ。
 
 完全に目覚めた魂は、善と悪を超えている。一切のことをなさるのは神だ、ということを悟っている。

 あるところに僧院があった。
 そこに住む僧たちは毎日食を乞いに出た。ある日、一人の僧は乞食に出たとき、ある地主が一人の男を無慈悲に打ち据えているのを見た。慈悲深い僧は間に入って、地主にやめてくれと頼んだ。だが地主は激怒しており、その怒りを罪のないこの僧に向けた。彼が失神して地に倒れるまで殴り続けた。誰かが事件を僧院に知らせた。僧たちは駆けつけ、兄弟がそこに横たわっているのを見た。
 四、五人が彼を運んで帰り、寝床に寝かせた。彼はまだ正気に戻らなかった。他の僧たちは回りに座って悲しんだ。ある者たちはあおいで風を送っていた。ついに誰かが、ミルクを少し飲ませてみたらどうか、と言った。それが口中に注ぎ込まれると、彼は正気づいた。目を開いてあたりを見回した。
 僧の一人が、『私たちの事がお分かりかどうか、見てみよう』と言って、耳元で叫んだ。『もしもし、誰がミルクをあげているかお分かりですか。』
 するとこのサドゥーは、低い声で答えた。『兄弟よ、私をお打ちになったお方が、今私にミルクを飲ませていらっしゃる』と。
 
 しかし神を悟らなければ、このような心境にはなれない。」

      「ラーマクリシュナの福音」より

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