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ヴィッダシャーゴル訪問(4)


 ヴィッダシャーゴルはインド哲学を学んでいたが、それを他人に教えることはなかった。しかし彼自身はヒンドゥー教の決まりを遵奉して生きていた。あるとき彼はこう言っていた。
「神を知ることは本当に不可能だ。それでは、何が我々の義務であるか。私には、もし他者が自分を真似たら、この地上がそのまま天国になるように生きるのが義務であると思われる。各人が、世間に対して善をなすよう努めるべきである。」

 シュリー・ラーマクリシュナの話は、今度はブラフマンの叡智について向けられた。

師「ブラフマンはヴィディヤーとアヴィディヤーとを超越している。それはマーヤー、つまり二元性という幻影を超えています。
 この世界は、明智と無明という二元性の幻影でできています。それは叡智と信仰を持っており、そしてまた『愛欲と金』への執着も持っている。法と非法、善と悪を含んでいる。しかしブラフマンはこういうものには属していません。善と悪は法および非法と同様、ジーヴァ(個我)に当てはまるものです。しかしブラフマンは全く、それらの影響は受けません。
 一個のランプの光で、ある男はバーガヴァタを読み、別の男は同じ光で偽金を作るかもしれません。しかしランプには何の影響もない。太陽はその光を、有徳の者たちの上に注ぐのと同じように、邪悪な者たちの上にも注ぐのです。
 『それでは苦痛や罪や不幸をどのように説明するのか』と言うかもしれない。これらはジーヴァにだけ当てはまるものだ、というのが答えです。ブラフマンはそれらに影響されない。蛇には毒がある。しかし他のものはそれに噛まれたら死ぬかもしれないが、蛇自身はその毒の影響は受けないのです。
 ブラフマンはどんなものであるかということは、説明できません。この世界にあるすべてのものは――ヴェーダも、プラーナも、タントラも、六派の哲学も――舌をつけられた食物のようにけがされている。舌によって読まれるか話されるかしたのだから。たった一つのものが、このようにしてけがされていません。それはブラフマンです。いまだかつて、ブラフマンがどんなものであるかを言うことのできた人はいないのです。」

ヴィッダシャーゴル(友人たちに)「おお! これは注目すべき宣言だ。私は今日、新しいことを学んだ。」

師「ある人が二人の息子を持っていました。父親は彼らにブラフマンの叡智を学ばせようと思って、ある教師の元に送った。数年後に彼らは師の家から帰ってきて、父親の前に低く頭を下げました。彼らのブラフマンの叡智の深さを計りたいと思って、父親はまず、兄の方に尋ねました。
『我が子よ、おまえはすべての聖典を学んだ。さて、話してくれ。ブラフマンはどういうものであるか。』
 息子は、ヴェーダの様々の本文を朗唱して、ブラフマンを説明し始めました。父は何も言いませんでした。
 父はそれから弟に向かい、同じことを尋ねました。しかし少年は目を伏せ、黙って立っていました。彼の唇からは、一言も漏れませんでした。父は満足して彼に言いました。
『我が子よ、おまえは少しばかりブラフマンを理解したようだ。それが何であるかということは、言葉では表せない』と。

 人々はしばしば、自分はブラフマンを十分に理解したと思うのです。あるとき一匹のアリが、砂糖の山に行きました。一粒でそれは満腹し、もう一粒を口にくわえて巣に帰る途中、『この次には山全部を持って帰ろう』と思ったそうです。浅はかな心はこのように考えるのです。彼らは、ブラフマンは言葉も思いも超えたものであるということを知りません。人はたとえどんなに偉くても、ブラフマンについてはどれほど知ることができましょう。シュカデーヴァや彼のような賢者たちは、大きなアリだったかもしれません。しかし彼らでさえ、せいぜい八粒か十粒の砂糖を運ぶことができただけなのです。
 ヴェーダやプラーナに書いてあることについては、それがどんなものであるか知っていますか。ある男が海を見ました。そして誰かが『さて、海はどんなものか』と聞くとします。その男はできるだけ大きく口を開き、『何という光景! 何という巨大な波と音!』と言うだけです。聖典の中のブラフマンの描写は、そのようなものなのです。ヴェーダの中には、ブラフマンは至福の性質であると書いてあります。それはサチダーナンダです。
 シュカをはじめとする賢者たちは、このブラフマンの大海の岸に立ってその水を見、それに手を触れました。ある学派の言うところによると、彼らはその中に飛び込みはしませんでした。飛び込んだ人たちは再びこの世界に帰ることはできないのです。
 サマーディの中で、人はブラフマンの叡智を得る――ブラフマンを悟る。その状態の中で推理は全くやみ、人は黙ってしまう。彼はブラフマンの性質を説明する力を持たないのです。
 あるとき塩人形が海の深さをはかりに行った。(みな笑う)水深がどのくらいであるか、みなに話したいと思ったのです。しかしそれはできませんでした。水に入るや否やそれは溶けてしまったのだから。もう海の深さを報告する者などはいないではありませんか。」

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