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ヴィッダシャーゴル訪問(3)


 ヴィッダシャーゴルは誰かに水を持ってくるように言いつけ、Mに、師は甘いものも召し上がるだろうか、と尋ねた。Mが反対しなかったので、ヴィッダシャーゴルは一生懸命に自分で奥の間に行き、菓子を持ってきた。それは師の前に置かれた。菓子がMにも勧められたとき、ヴィッダシャーゴルは言った、「おお、彼は家族の一員のようなものです。彼のことを心配する必要はありません。」

 ある若い信者のことを、シュリー・ラーマクリシュナはヴィッダシャーゴルに、「彼は善い若者で、心が健全です。パルグー川のようなものだ。表面は砂に覆われているが、少し掘ると下の方で水が流れている」とおっしゃった。

 若干の菓子を召し上がった後で、師はほほえみながらヴィッダシャーゴルに向かって話を始められた。その間に部屋は人でいっぱいになった。ある人々は立ち、ある人々は座っていた。

師「ああ、今日、ついに私は海に来た。今までは、堀か、沼か、せいぜい川ぐらいにしか会わなかった。しかし今日はシャーゴル(海)と顔を合わせている。」(みな笑う)

ヴィッダシャーゴル(微笑して)「では、どうぞ塩水をお持ち帰りください。」(大笑い)

師「おお、どうして塩水などと言うのですか。あなたはアヴィディヤー(無明)の海ではない。ヴィディヤー(明智)の海だ。あなたは練乳の海です。」(みな笑う)

ヴィッダシャーゴル「まあ、そのようにおっしゃるがよろしい。」

 パンディットは黙ってしまった。シュリー・ラーマクリシュナはおっしゃった。

「あなたの活動はサットヴァの息吹を吹き込まれている。それらはラジャス的ではあるが、サットヴァの影響を受けている。慈悲心はサットヴァから生まれる。他者の福祉のための仕事はラジャスに属するのだが、しかしこのラジャスはその根底にサットヴァを持っていて、害はない。
 シュカをはじめとする賢者たちは、人々に宗教上の教えを与えるのに、つまり神について教えるのに、心に慈悲の念を抱いていた。あなたは食物と学識とを分かち与えておられる。それもまたよろしい。もしこのような活動が無私の精神でなされるなら、それらは神に通じる。しかし大部分の人は名声のため、または功績を立てるために働くのだ。彼らの活動は無私ではない。それに、あなたはすでにシッダであられる。」

ヴィッダシャーゴル「それはどういうことですか?」

師(笑いながら)「ジャガイモやその他の野菜はよく煮えると柔らかになるでしょう。あなたは実に柔らかな性質を持っておいでだ。実に慈悲深い!」(笑い)

※「シッダ」という言葉は、「修行の成就者」という意味だが、「よく煮えた」という意味でもある。

ヴィッダシャーゴル(笑いながら)「しかしカライ豆の練り物を煮ると、いっそう固くなります。」

師「しかしあなたはあの種類には属しておられない。ただのパンディットたちは、固くなって決して熟すことのない病気の果物のようなものです。そのような果物は、未熟なものの持つ新鮮さもなければ、熟したものの持つ風味もない。
 ハゲタカは、たいそう高く舞い上がるが、その目は常に地上の腐肉に注がれています。書物の学者は、賢いという評判は立っているが、『愛欲と金』に執着している。ハゲタカのように、彼らは死肉を探しているのです。彼らは無明の世界に執着している。
 慈悲、神への愛、および放棄は、真の明智の輝きです。」

 ヴィッダシャーゴルは黙ってこれらの言葉に聞き入っていた。他の人々も、師を見つめて彼の一語一語に耳を傾けていた。

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